第8話:忘れられた祠(前編)――勇者は歌う


「本当に試練の祠だ……。まさか、こんな町中にあるなんて」


 岩肌に描かれた絵は、暗闇の中でもよく見える。

 始まりの聖者とその仲間が魔王と戦っている様子が描かれている。


 試練の祠に辿り着くため、幾度となく魔物が跋扈する深い地下や高い山を奔走していたマーティは、まさか町中、それも民家の裏の林に試練の祠が隠されているとは思いもしなかった。


 大きな岩に阻まれた洞穴は、一見、なんの違和感のない風景に見えたが、注視すると下部に僅かな隙間があった。

 あの子なら、好奇心を抱いて潜り込むこともしただろう。


 その光景がありありと浮かび、大岩を動かすためにフル稼働した関節を押さえながら、マーティは苦笑を漏らす。


「興味深い空間だね。思ったよりじめじめしていない」

「……あの、外で待っていてもいいんですよ? ネイロンさん」


 ネイロンの同行を渋るのは、それなりの理由があってのことだ。

 そのことをネイロンも分かっているだろうに、知らないふりでもするように先を進んでいる。


 マーティは、ネイロンに近づきながら、もう一度、説得を試みた。


「……ここが塞がっていたのは、それなりの理由があるんじゃないでしょうか。たとえば……魔物がいる洞窟と繋がってるから塞いでた、とか。その場合、ネイロンさんには町に魔物が入らないように、入口で待っていてほしいな、なんて……」

「聖地に魔物は入りようがないさ。それに、奥に魔物がいるかもしれないなら、それこそ一緒にいたほうが、いいんじゃないかな。なにかあったときは、お互いを助け合える」


 まったくそのとおりだ。

 我ながら、ちぐはぐな言い訳だったが、ネイロンにすべて正論で返されたマーティはなにも反論できず、結局は黙って先を進んだ。


 五分もしないうちに、マーティたちは試練の祠に繋がる最奥への扉に辿り着く。

 扉の四隅を囲うように枠線や絵が描かれたそれは、幾度となく目にしたものだ。


 今から行うことを思うと気まずくて、マーティは自分の頬を掻く。


 一般の巡礼者は、試練の祠の入口で祈りを捧げるのが通常だ。


 しかし、マーティらの巡礼の旅は、祠の最奥にある『祈りの間』に聖剣を置き、その剣に魔を祓う力を授かる目的も含まれていた。



 祈りの間への扉は、古代語の詩と光の資質を持つ者の言霊に反応し、開かれる。

 ――つまり、扉を開くには、鍵となる詩を歌う必要があるのだ。



 古来では、詩は人々の嗜みとなっているが、それにしたって――扉を開く仕掛けにするなんて、やり過ぎだ。


 そのうえ、古めかしい響きの歌詞を間違えたり、音程を何度も外すと一から歌い直すことになる。


 歌唱の才に長けているとは言えなかったマーティは、この旅で何度も赤面するはめになっていた。


 聖剣に聖なる力を宿すという儀式的な側面から、試練の祠の最奥へは、ひとりで行く――という名目で、今までマーティは仲間を締め出した状態で、詩を歌っていた。


 きっと仲間の前で歌わなければいけない流れだと、公開処刑に耐えきれずにいただろう。


 巻き戻りったことで自尊心をすっかり失っていたマーティは、それを想像して顔を赤くした。


「ネイロンさん。俺、人前で歌うのは、ちょっと……」


 歯切れ悪く言うマーティの真意を知ってか知らずか、ネイロンは杖を握り直しながら、考える素振りをみせた。


「実のところ、きみの言霊で祈りの間への道が開かれる瞬間や仕組みを、一度見てみたいと思っていたんだ。……だめかな?」

「で、でも、何度も失敗すると一から歌い直しになりますよ?」

「付き合うよ」


 ――付き合うと言われても……!


 あなたがいるから集中しにくいんだよ、と、マーティは食い下がりたかったが、ネイロンからこうも悪意なくお願いされると断りづらい。


「じゃあ、やります……」


 我ながら、なんて押しに弱いんだ。

 かなり恥ずかしかったが、マーティは覚悟を決めて扉に向き直る。



 試練の祠は、始まりの聖者が魔王を打ち倒し、古代ラヴェリア王は暴君となった後に作られたものと聞く。


 ――こんな恥ずかしい仕掛け、他の方法で開けるように作ってくれればよかったのに……!


 神聖な意味合いを持つ詩を歌う前に内心で文句を言いながら、マーティは数度、咳払いをして、息を吸い、歌を紡いだ。



 鍵となる古代語の詩、『安息と恵み』は、カルレイヴと密接した結びつきのある詩で、特徴的なハミングから始まる。


 全体的な歌詞は、大地に種を撒き、採れた綿を紡ぎ、美味いぶどうのジュースとパンを味わい、戦いで疲れた後は安らぎの地で身を休めよう、という趣旨のものだ。


 戦いや勝利を賛歌する詩ではなく、題名どおり、安息を求める意味合いが強い。

 平民の出自だった聖者カルレイヴの見方を意識させる歌詞だ。


 今までは古めかしい響きの言葉を理解するので精一杯だったが、素朴で切実な歌詞に動かされている自分がいた。



 ――マーティは身体を動かす事やアクティブな分野はそつなくこなすが、芸術や歌などの繊細な分野は苦手なタイプだった。


 対象的に、ヒナタは絵を描くことや、歌うことが好きだ。


 幼少期の楽器の習い事の延長で歌を習った影響で、皆は面倒がっていた合唱コンクールも楽しめたし、頻繁に友達とカラオケに興じていた。


 だが、引きこもるようになってからは、その機会もなくなった。


 人と喋らず、運動もしない生活でスタミナ自体もなくなっていたため、以前のように歌うことなどできなかったのだ。

 貧弱になった喉は、何気ないハミングで掠れるほどだ。


 それが、この身体では――よく声が伸びる。自分でも驚くほどに。


 背後のネイロンが感嘆のため息を漏らすが、集中していたマーティはそれに気づかなかった。


(思い出した……)



 ――自然に歌えるということは、こんなにも心地よかったのか。


 思い出す前世のことといえば、嫌なことばかりだったが、マーティは歌うことの喜びを知っていた。



 洞窟の中は程よく自身の声が反響している。

 久しぶりの歌唱に、マーティはひそかに感情を揺さぶられていた。



 歌い終わって、岩の扉に施された文字が淡く光り、重厚な音をたてながら開く。

 歌唱が失敗なく終わり、マーティは、思わず安堵の息を吐いた。


「い、一度で開いて良かった……。あの、気づいたことはありますか? 扉の光る絵とか……」

「気づいたことがあるかだって? もちろん、大いにあるとも」


 歌に言及されたくなくて、いささか早口で尋ねるマーティを、ネイロンは興味深そうに見た。


「マーティ、きみはとても歌が上手だ」

「う……。ど、どうも……」

「今までの試練で聞けなかったのが勿体ないくらいだよ」


 マーティは曖昧に笑いながら、先に進んだ。

 しかし、ネイロンは「良い声をしているね」、「もっと聴いていたいくらいだ」と隣で念入りに褒めてくる。


 自分の歌声をこんな風に褒められたことは、スフェルにだってない。

 マーティは、羞恥やら照れくさいやらで、思わず真っ赤になった。




 試練の間へ足を踏み入れる。そこは小さな部屋で、奥に飾られた祭壇には、ネレデアを表した小さな像が置かれている。


 数分前は文句を言ったが、さすがにネレデアの象徴を見ると、罰当たりだったという気持ちになる。


 だけど、やはり歌だけは納得できない。


 祭壇の前まで来たマーティは、腰に携えていた聖剣を引き抜いた。

 手にした途端、重たい感覚が戻り、ガクンと肩が落ちる。


 聖剣クロンは淡い光を放っており、神聖な空間に呼応するように、強く明滅を繰り返しながら輝いている。


 ネイロンが背後で跪く気配を感じ、マーティは細長く窪んだ祭壇に剣を置くと、同じように跪き、神聖な礼をとる。


 すると、聖剣がひときわ強く輝いた。


 驚いて、マーティは礼の姿勢を解く。ネイロンも、少し遅れて姿勢を楽にした。


「これが、魔を祓う聖なる光……なんとも神秘的な光景だ」


 ネイロンは感心したように言っていたが、マーティは内心、不安がよぎっていた。

 この場所で祈る際、今のようにクロンが光ったのを見たことなかった。



 ――今まで数々の試練の祠に足を運び、祈りを続けていたのは無意味なことだったのだろうか。


 マーティ自身、信心深いほうではない自覚はあるので、そんなことを思う。

 だが、それ以上に、前世の記憶を有していなかった自分に問題があったような気がしてならない。

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