第9話 ダンジョンの中で、何してるの?

5限の英語。

 教師の声は、ずっと遠くで反響しているようだった。黒板に書かれる文法事項も、単語テストの予告も、いまの俺には正直どうでもよかった。

 ノートの端、余白を使ってメモしていたのは、


 ダンジョン内の配置案。金網と杭で作る簡易仕切りの設計。作業導線。収納ゾーンの拡張。

 ──誰にも見られないように、ページの端に小さく、けれど本気で。


(仮にこの配置でいくとして、通路幅は……最低でも一メートル)


 ペン先を走らせながら、無意識に図を描いていく。途中、先生の声に名前を呼ばれた気がしたが、適当に「はい」とだけ答えてやり過ごす。

 三谷が横目で笑ってたけど、反応する余裕はなかった。


 6限。世界史。

 教科書に挟まったプリントの端を指でいじりながら、視線はぼんやりと黒板の方へ。


(仕切りの固定は……杭だけじゃ不安か。結束バンドだけでも……いや、補強が足りない)


 思考の中で試行錯誤する。文字にせず、でも頭の中では何度も組み直している。

 俺にとって、今の“授業”はこっちのほうだ。


 ──飼育。管理。構築。


 チャイムが鳴ったとき、俺は真っ先にノートを閉じて立ち上がった。そのタイミングで、後ろから声がかかる。


「ひなた、今日やけに集中してたな。何書いてたんだよ?」


 三谷の声。


 少しだけ笑って、俺は答えた。


「ああ。まあ、そんなとこ」


 机の中にノートを突っ込み、カバンを引っ提げる。

 夕焼けに染まりかけた教室の窓を一瞥して、俺は早足で廊下へ出た。


 ──次の段取りは、すでに頭の中にある。


 放課後。帰宅して部屋に入ると、制服を脱ぎながら、俺は今日の目的を再確認する。 魔石の換金。それと──もう一つ、やっておきたいことがある。


 アイテムボックスを展開。──昨日倒したゴブリンの魔石で、見た目は地味な小粒ばかりなのが、全部で十七個。

 

「……よし」


 結果はともかく、持ち帰ったまま眠らせておくのも嫌だった。


「……行くぞ、プニ。今日はちょっと付き合ってくれ。昨日の魔石を売りに行く」


 机の下で丸くなっていたプニに声をかける。名前を呼ぶと、ぷるんと一度揺れる。 そのまま小さく跳ねて、床をすべるようにしてこっちへ寄ってきた。

 餌付けしてからというもの、従魔というには曖昧だけど、俺の飼育スキルでここまで馴れた個体だ。まるで家に馴染んだペットみたいな存在になった。

 名前も、もう“プニ”で定着している。なら、それをちゃんと登録しておこうと決めた。

 言葉が通じるかは分からないけど、意思表示くらいなら普通にしてくるから不思議だ。まるで「わかってる」みたいな顔して。


「騒ぐなよ。……声、出すな。動くな。……できるな?」


 袋の中が小さく揺れて、“はい”とでも言いたげにぷるんと返事があった。

 プニを、魔石と一緒にアイテムボックスへ。 準備は完了。俺は玄関へ向かい、靴を履いた。




 ダンジョン管理局・換金所。登録制度の整った施設で、管理局の認可もある。入り口のドアを引いて中に入ると、ひんやりとした空気と、無愛想な視線が迎える。

 中へ入ると、思ったよりも明るい照明と、女性職員の柔らかい声が迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。換金の方ですね?」


 受付に立っていたのは、二十歳前後に見える若い女性だった。

 長い髪を一つにまとめ、淡いピンクの制服を着ている。笑顔の張り付き方が自然で、無駄な圧がない。


「魔石、十七個です。それと……登録を一件」


 封筒をアイテムボックスにしまいながら、俺は軽く会釈して一礼。


かしこまりました〜! ……従魔さんのご登録、初めてですか?」


 俺がうなずくと、彼女は端末を操作しながら、そっと覗き込んだ。


「わあ……スライムさんですね。えっと、お名前は?」


「“プニ”で」


 「はい、プニさん。こちら、登録番号をお出ししますね」


 端末から小さな音がして、仮登録の票がプリントされてくる。俺の名前とプニという識別名。それだけの簡単な情報。


「これで完了です。以降、こちらで記録が紐づきますので、何かあった際も対応できますよ」


 笑顔のまま、彼女は次の作業に移る。特に詮索もせず、必要なことだけを淡々と。けれど、どこか安心できる空気をまとっていた。


「……ありがとうございます。……帰ろう、プニ」


 誰にも聞かれないような小声で呟いて、換金所をあとにする。夕陽が落ちかけた路地を歩きながら、俺はほんの少しだけ、足取りを軽くした。




 換金所を出たあとは、駅裏の商店街を抜けて、少し遠回りの帰宅ルートを選んだ。

 すれ違う人々の流れを避けるように、静かな裏路地を歩いていく。

 プニは、換金所を出た時点で《アイテムボックス》に戻してある。 プニのような従魔でも、うかつに外で見せるわけにはいかない。飼い慣らされていようと、一般人の目にはただの“魔物”にしか映らない。


(こうして魔物を直接連れ歩くのも、いつまでも続けられない)


 プニのように小型で、音も立てずに動く魔物なら、なんとか誤魔化して連れ歩くこともできる。

 けれど──今後、飼育対象が中型個体に広がっていけば、そうもいかない。

 街中で人目を避けて行動するには、《アイテムボックス》の運用が前提になる。

  このスキルは、俺の《飼育スキル》と相性がいい。ただの《アイテムボックス》じゃない。俺にとっては、“動物舎”であり、“搬送装置”でもある。

 なぜか入れるのが生きた魔物であっても──俺の魔力に馴染み、馴化が進んだ個体なら問題なく収容できる。


 今日の“登録”も、その一歩だ。

 こいつは“俺の魔物”として記録された。ただそれだけの行為。けれど──それが意味を持つ。


 ──そのとき、角を曲がった先で、唐突に声が響いた。


「……あっ、兄さんっ」


 制服姿の少女が、電柱の影からぬっと姿を現す。肩までの髪が揺れて、真っ直ぐな視線がこちらを射抜いた。


両手いっぱいに買い物袋を抱えて、見た目にも重そうだ。それでも眉をひそめて、じっとこっちを睨んでくる。


「……何やってんの、そんなとこから出てきて。遠回り?」


「……別に、ちょっとだけ寄っただけだ」


「ふーん……“ちょっと”ね。……また、何か隠し事?」


 問いかけは、まるで刺すような温度だった。

 でも、その中にほんの僅かに──困ったような、呆れたような、そんな揺れもあった。


「……そういうわけでもないけど」


「そういう“わけでもない”のね……。ふーん……まあいいけど。ちょうど良かった」


 そう言って、美咲は手提げ袋をこちらに突き出してきた。


「途中で買い足したら想像以上に多くなって……ほら、ちょっと手、貸して」


「……俺が持てばいい?」


「当たり前。兄さん、無駄に背もでかいし筋力もそこそこあるし」


 冗談交じりの口調に返事もせず、俺は無言で袋を受け取った。

 その中身をちらりと覗く──牛乳パックにペットボトル、缶詰、惣菜パック。予想以上に重い。

 ふと周囲に目を配り、人目のないことを確認すると、俺はゆっくりと指先を握る。


(──収納)


 何の音もなく、手元から重みがすっと消える。

 袋ごと、《アイテムボックス》に収めた。


「……は?」


 隣から、美咲の間の抜けた声が漏れる。


「兄さん? あれ? 今、持ってたよね? その袋、どこ行ったの?」


「しまった。あとで出す」


「しま……って……どこに!? え、え? 消えたけど? 物理的に消えたけど!?」


 美咲が俺の手元を凝視しながら、右手を何度も振ってみせる。

 その仕草は、まるでマジックショーを目撃した子供のようだった。


「兄さん、ポケットに入れてないよね? っていうか、ポケットに入るサイズじゃないよね!?」


「気にすんな。壊れ物はなかった」


「そういうことじゃないでしょ!? ていうか、今の何!? 普通におかしいでしょ!」


「重くなくなって助かったろ」


「……う、うん、まぁ……そうだけど……!」


 完全に混乱しながらも、無理やり納得しようとしている様子が痛々しい。けれど──それ以上の追及はなかった。

 美咲はやがて、ぷいっと顔をそらして前を歩き出した。


「……もう。いちいち説明してくれないし、意味わかんないし。ほんとムカつく……」


 そんな小さな声だけが、耳に届く。


 俺はその背中を見ながら、ほんの少しだけ視線を落とした。アイテムボックスの中で、プニが小さく跳ねたような気がしたのは──気のせいだろうか。


商店街を抜けた先、住宅街の一角にひっそりと佇む小さな資材屋。

 色あせた木の看板と、軒先に積まれた金網ロールや支柱の山。俺が足を止めると、美咲も不思議そうに振り返った。


「え、ここ? ……資材屋?」


「ああ」


 そう答えて、古びたドアを押し開ける。鈴がカランと鳴いた。


「なにここ……めっちゃ職人感。てか、ほんとに買うの? これ、DIYってレベル超えてるけど」


 中には、針金・結束バンド・杭・ロープ──DIYや工事現場で使いそうな資材が所狭しと並ぶ。

 無骨で整然とした空間。だが、俺にとっては馴染み深い“作業場の匂い”だ。

 無言で棚に並ぶ金網のロールに手を伸ばす。目の細かさと、素材の硬さを指先で探る。


「……なに? なんで無言で金網じっと見てんの。怖いんだけど、そういう職人スイッチ」


 隣から飛んでくる茶化しに苦笑しつつも、目は離さない。作業導線を頭の中で描きながら、使用目的を当てはめていく。


「……ねえ、兄さん」


「ん」


「ダンジョンの中で、何してるの?」


 横から、美咲がじっと俺の横顔を見ていた。穏やかな声。けれど、どこか張り詰めたものを含んでいて──その一言だけで、俺の手がわずかに止まった。


「……整備とか。作業とか。ちょっとした準備」


「またそれ。なんか、全部それで済まそうとするよね。絶対、なんかやってるじゃん」


「別に怪しいことはしてない」


「“別に”ってつけると逆に怪しいって気づいてよ! もう!」


 反射的な突っ込みに、美咲がぷいっと横を向く。それでも、俺の手元から目は離れていない。


「これとか、これ……金網、杭、ロープ。これ何に使うの?」


「囲いを作るのに使う。仕切りと保護も兼ねて」


「仕切り? 保護? なんの?」


「……いろいろ」


「またそれ!」


 声を上げて、美咲がほんの半歩だけ詰め寄ってきた。睨むような視線。けれど、その奥にはほんの一瞬、迷いのような光があった。


「最近さ……兄さん、ちょっと“向こう側”に行ってる感じするんだよね」


「向こう側って」


「言い方ヘンだけど。なんか、前より遠く感じるっていうか。こっちのこと、もう見てないのかなーって」


 その言葉に、俺は返事をしなかった。

 ……説明しようとしても、うまくいく気がしない。話しても伝わるとは限らない。いや、それ以前に──自分でもまだ、言葉にできていない。


「……置いてかれるの、なんかムカつく」


 ぽつりと、美咲がつぶやくように言った。それは“妹”としての言葉のはずだった。でもその声には、わずかに滲む熱があった。怒りでもなく、苛立ちでもなく──焦りに近いもの。

 俺はカゴに必要なものを入れていく。選ぶ手は止まらない。だけど頭のどこかで、美咲の言葉が小さく刺さっていた。


「……じゃ、もう行くぞ」


「うん。……ちゃんと、持つのは私ね」


「俺が払うんだけどな、それ」


「運ぶのは私。……兄さんが片手あけときたい理由、ちょっとだけ分かった気がするから」


 その意味深な一言に、俺は一瞬だけ眉をひそめる。でも、それを追及する間もなく、美咲は先に店の外へ出ていった。

 扉の外。夕方の空気が、冷たく肌を撫でた。

──いつの間にか、陽はもう傾きかけていた。

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