第10話 夜のダンジョンに、俺は檻を組んでいく

 夕食を終え、食器を洗って台所を片付ける音が静かに響いていた。母と美咲が並んで皿を拭くその後ろ姿を、俺は黙って背に受ける。


 食卓に残った湯気も、話し声も、ほんの数分前までの団らんの空気だ。けれど俺は、そこから一歩引いた場所にいる。


「ちょっと、作業してくる。……夜のうちに済ませておきたいことがある」


 言い訳のように言った言葉に、母は「はいはい」とだけ返した。一方、美咲は一瞬だけ手を止めて、俺の顔を見た──気がした。

 でも、次の瞬間にはもう、何事もなかったように布巾を動かしていた。


 階段を上がり、自室の引き戸を閉める。外の喧騒がぴたりと消え、部屋にこもるのは、自分の呼吸と、壁越しの薄い生活音だけ。


 俺は机の下にしゃがみ込んで、アイテムボックスを展開した。空間の奥から引き出したのは、夕方のうちに資材屋で揃えておいた金網、杭、結束バンド──

 それに作業用として購入したナタとスコップ。 金属の重さが掌にずしりと伝わる。どれも整備に必要な最低限の道具。

 “武器”としては無いよりマシだが、計画で使うには十分な性能がある。


 布に包まれていたスコップの柄を握り、もう片手で小さな生き物を掬い上げる。それは、プニ。俺が最初に手懐けたスライム。

 ぷるん、とやわらかく揺れて、こちらの視線にぴたりと応じるように静止する。


「行くぞ、プニ」


 俺はそれだけ言って、そっと瞼を閉じる。物置の扉の向こう──俺だけの、誰にも見せられない空間へ。

 本格的に、“飼育”という名の環境整備が始まる。





 ダンジョンの空間に入った俺は、まず広間に満ちたスライムたちの様子を確認する。

俺の魔力に馴染んだ“飼育済み”個体たち。だが──


 足元に広がるスライムはざっと見ただけでも軽く四百は超え、密集状態だった。群れは今や、見渡す限りの“ぬめり”の海だ。

 動きに統一性はなく、音も立てず、ゆるやかに一定のリズムがある。


 繁殖の速度は異常と言っていい。生きて、分裂して、放っておけば延々と分裂し続ける。


「……多すぎるな」


 スライムは繁殖に時間がかからない。わかっていたことだが、数がここまでくると、さすがに放っておけない。


「プニ。いるんだろ?」


 呼びかけに応じて、広間の一角からぷるんと跳ねる音が返ってくる。

 目に見えないほど静かに、プニが現れた。


「……プニ。お前に試してほしいことがある」


 ぷるん。


 静かに跳ねて、プニが応える。

 ──プニ。その姿は、他のスライムよりもひときわ透明感があり、動きに迷いがない。俺の命令を最も“理解”している存在だ。


 俺は背後にいたスライムを捕まえた。すでに繁殖の勢いが止まらないこの“素材”が、果たしてどうなるのか。


 「魔石ごと吸収してみてくれ。……このスライムを、丸ごと」


 プニは一拍おくと、すっとその対象に接触し──次の瞬間、対象のスライムが跡形もなく溶けて消えた。


(……吸収できた、か?)


 そこに残ったのは、ほんの微細な、光の揺らぎのような“脈動”。


(……反応があった。間違いなく)


 魔石は生成されていない。けれど、プニの体内に変化が起きたのは確かだ。この変化が何を意味するのか、今はまだわからない。


(プニに……何かが起きようとしてる?)


 その可能性を否定できない。だからこそ、俺は命じる。俺はそばにいたプニに声をかけた。


「なあ、プニ。今後は毎晩、寝る前にここへ来てスライムの数を百体ぐらいになるように……吸収してくれ。終わったら、そのまま帰っていい。出入りは、俺の部屋の窓からで玄関は使うなよ」


 プニはこくん、と頷いたように身体を傾け──ゆるりと跳ねて、他のスライムを吸収しはじめた。


 もしかしたら飼育個体に“進化”の兆しが訪れるかもしれない──

 その可能性を、俺は確かに感じていた。




 さて次は、ゴブリンたちの様子を確認だ。飼育ゴブリンを探していたが、異臭と──血の気配。


「……あ?」


 スライムたちが整備した簡素な区画の中央に── 短剣を持ったそいつはいた。

 背丈こそまだ子供じみたゴブリンのままだが、その目だけは異様に澄んでいた。

 俺が何も言わずに見ていると、そいつは胸を張るように短剣を掲げた。


 その足元には、倒れ伏した2体の♂ゴブリンたちの死骸が転がっていた。

 いずれも喉を一閃で切られ、動かぬ屍となっている。

 ──すべて、そいつの仕業だった。


「……やっぱり、お前か」


 そのすぐ後ろには、すでに妊娠中の同族のメスたちが腹をふくらませて床にうずくまっている。

 まもなく次の世代を産もうとしている個体たちだ。


 一体は──昨晩、生まれたばかりの娘だ。


「……おいおい」


 吐き気ではない。ただ、感情が固まった。

  妊娠個体の中には、産まれた♀個体も混ざっている。

 こいつは、自分の娘と交配した。そして、その上で他のオスたちを全て“殺した”。

 けれど目の前のゴブリンは、どこか誇らしげに胸を張る。

 ──そう、自分こそがこの場の支配者であるとでも言いたげに。


(まさか、娘にまで……)


 繁殖対象としての線引きも、倫理も、こいつには存在しない。

 ただ本能のままに交配し、そして“余計な♂”は容赦なく始末していく。


 俺は内心、思わず後ずさった。

 ──けど、その手段と結果を否定はできなかった。限られた空間に限られた資源、そして目的。

 “繁殖効率の最適化”という一点において、こいつの行動は完璧すぎた。


(……異常。でも、理にはかなってる)


 オスは一体いればいい。

 妊娠効率も、繁殖速度も、むしろ安定する。

 倫理観なんて通用しない空間で、こいつは“合理”を選んだ。

 


 だからこそ──


 俺は腰に提げていた布袋を開き、小さな剣ナタを取り出した。

 短剣よりも重量はあるが、そのぶん一撃の破壊力は段違い。


「……お前の名前は今日から“種馬”だ。これからも、その役を頼む」


 ゴブリンは、一瞬だけ瞬きをした。

 そして──喜びを隠しきれないといった様子で、肩を揺らしてにたりと笑った。

 差し出した剣ナタを両手で受け取り、重みを確かめるようにゆっくりと振ってみせる。


 俺はその様子を見ながら、傍らの短剣を静かに回収した。

 道具の管理も、もう少しきちんとしなきゃな……と思いつつ。


(……効率のためとはいえ、俺が“名前を与えた”初めてのゴブリンが、よりによってこいつってのも、な)


 少しだけ乾いた笑いを漏らしながら、俺は部屋の壁際へと視線を向けた。

 作業はまだ始まったばかりだ──




「ここだな。……とりあえず、六畳くらいは欲しい」


スライムたちが整備した簡素な区画の中央とダンジョンの出口を繋ぐ通路の右側の壁に決める。


 俺はアイテムボックスから、資材屋で購入しておいたスコップ、杭、金網、ロープ、木材。これだけあれば作業には十分だ。


 (ここを“繁殖部屋”にする。まずは六畳、将来的に拡張可能な配置で)


 呼びかけると、低い唸り声とともに、種馬が姿を現した。


「おい、種馬。ここを掘るぞ。お前はこっちの角から」


 指示すると、種馬は素早くその場に膝をつき、手にしたスコップで壁の表層に手をつける。

 俺もすぐに作業を開始した。


──スコッ、ザクッ。スコ、スコ、ザザッ。


 俺はスコップを構え、床の泥をざくりと掘り起こす。

 ダンジョンの壁は自然石に近い硬さがあるが、スコップの刃は思いのほかよく入る。

 ある程度“魔力の通った空間”だからか、土のようでいて、削り出す感触は柔らかさもあった。


──ゴリッ。


「ッ……重っ……」


 時折混じる石の感触にスコップを取られそうになりながら、無言で黙々と掘り進める。

 横で作業する種馬も、汗まみれになりながらひたすら壁に向かっていた。


 額に汗を浮かべながら掘り返すと、すぐ隣で種馬が俺の真似を始める。


「よし……その調子だ」


 動きは粗いが、確実に理解している。動作ひとつひとつに“学習”の痕跡がある。


 時間の感覚は曖昧だ。

 でも、気づけば壁は徐々に奥へと食い込んでいき、少しずつ空間としての“輪郭”を成し始めていた。


「……あと、もう少しだな」


 半身を起こし、額の汗を拭う。

 掘り出した土は背後のスライムたちがいつの間にか処理していた。さすがに学習してきたらしい。


 (……“作業員”としても優秀になってきてるな、お前)


 この調子なら、予定どおり今日中に六畳程度の空間は確保できそうだ。


 プニは相変わらず静かに跳ねていた。俺たちの作業を、少し離れた場所でじっと見つめながら──まるで、応援してるみたいに。


 作業は一時間ほど続いた。

 最終的には、六畳分のスペースに買ってきた資材でを組み合わせて、横穴を牢屋のようにして、粗末ながら“女たち”の“繁殖に集中させるための部屋”として成立した。


「……これで、繁殖部屋は完成。今後、数が増えたら拡張だな」


 視線の先では、種馬が残った資材でベッドを作り始めた。……相変わらず、独自の判断が多い。


 だが、そこに“無駄”はない。


(……これで、今夜の作業は完了だ)


 ──こうして、俺と“種馬”による最初の整備作業は完了した。


 少しずつだが、“俺の牧場”は進化している──その実感だけが、背中を押してくれていた。




 整地を終えた俺は、腰を伸ばしながら、ダンジョンの出口──いや、物置の扉へと視線を向けた。

 そろそろ、今日の作業は切り上げるべき時間だ。


「──プニ。あとは頼んだぞ」


 振り返ると、少し離れた場所でぷるぷると揺れていたスライムたちが、俺の声に反応して静かに集まり始める。


「この♂の死骸──吸収して、魔石を回収。作業が終わったら、プニは次に増えたスライムを吸収してそのまま帰宅しろ。部屋に入ったら、戸締まりは忘れるなよ」


ぷにゅ……とひときわ静かな鳴き声。

 プニは軽く跳ねて応え、スライムたちに短い動きで指示を飛ばすと、スライム達が滑るようにゴブリンの死骸へと移動していった。


 まるで“指揮官”のように振る舞うその様子に、俺は思わず苦笑いした。


 次に、種馬のほうを振り返る。


「お前もだ。今夜の役割は変わらない。……あの♀たちと、引き続き繁殖を続けろ。新しい個体が生まれたら、性別を確認して──」


 言葉を区切る。

 種馬はうなずきながら、腰の剣ナタに手を添えている。


「──オスなら、すぐに処理して構わない。お前と、スライムたちでな。ここの管理は任せた」


 種馬は「任された」という言葉に、満足そうに口の端を持ち上げるような──いや、どこか誇らしげな仕草を見せた。


 あの目には迷いがなかった。

 たとえ相手が自分の“息子”でも、役割を理解しているのかもしれない。


「……じゃあ今日は帰るよ、また来る。」


出口へ向かう途中、種馬がすっと手を差し出す。

 その手のひらに、小ぶりな魔石が五つ──

 すべて、昨日から処分されてきたオスのものだ。


 「……しっかり仕事してくれてたんだな」


 種馬は何も言わない。ただ、当然のように魔石を差し出す。

 俺はそれを一つずつ受け取りながら、その重みと、役割の確かさを感じていた。


 魔石五つ。誰にも知られず、俺たちだけで積み上げた、最初の結果。


魔石は、どれも小ぶりな──けれど確かな手応えだった。

 ゴブリン一体あたり、魔石の価値は五百円。

 五体分で、ざっと二千五百円か……。


(……これが、毎日どんどん増えていく)


 誰にも知られず、誰にも干渉されないまま。

 確実に金になる。


(まだ、始まったばかりだ)


 今はほんのわずか。それでも、この結果が“積み重なっていく”限り俺の“飼育”は確かに価値を生み出してる。

 ダンジョンから出て部屋へ帰る。今日もまた、一歩先へ進んだ気がする。






※10話時点、ダンジョン撤退後

魔石5所持


ネームドモンスター

プニ(スライム)

種馬(ゴブリン)


飼育魔物

ゴブリン♀5体妊娠、♂幼体2、♀幼体2

スライム496体→100体






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