第8話 プニのお留守番
静かな昼下がり。
陽斗が学校へ行ってから、もう四時間近くが過ぎていた。
自宅の中はひどく静かで、時計の針が刻む音すら、やけに大きく感じられる。
──ポヨン。
畳の上を、やわらかな球体がひとつ、ぴょこんと跳ねる。
半透明の身体に、わずかに虹色の光を宿したスライム──プニだ。
元々は陽斗が管理する物置ダンジョンの中にいたが、すっかり懐いた今では、家の中を“限定的に”自由に行き来している。
決して言葉を話すわけではないが、陽斗の「今日は外出禁止な」「餌はあそこに置いといたからな」といった簡単な指示くらいは、ちゃんと覚えている。
いまプニが向かっているのは、リビングの窓際。
ぴょん、ぴょんと跳ねながら進み、レースのカーテンのすそを、ふにふにと体で押しのける。
外の光が差し込む。
窓ガラス越しに見えるのは、青空と、その下に続く穏やかな住宅街の風景。
風に揺れる木々の葉、電線の上で羽を休める鳥、遠くで鳴く犬の声。
プニは、そのすべてをじっと眺めていた。言葉も知らない、名前もつけられていない何かに、ただ見入っている。
──ポヨ(……ひかってる)
空の色。風の動き。世界の広さ。それらはすべて、プニにとっては未知そのものだった。
しばらくすると、遠くの路地を、子どもたちが駆けていく姿が見えた。
ランドセルを背負った二人組が笑いながら通り過ぎ、また、静寂が戻ってくる。
そのとき──
──カサッ。
家の外壁の上を、一匹の猫が歩いていた。白と茶のぶち模様。しなやかに背中を丸め、柔らかく跳ねるようにして、電柱から隣家の物干し台へと軽やかに飛び移る。
プニは、動きを止めて見つめていた。
(……なんだろう、あれ)
猫は、ぴたりと動きを止め、ふとこちらを見た。ガラス越しに目が合う。
プニの体が小さく震えた。ほんの一瞬、ひやりとした何かが体の中を走った。
だが、それは恐怖ではない。むしろ、初めて見る“別の生き物”への好奇心。
猫はしばらくこちらを見つめていたが、やがて目を細め、つまらなそうにそっぽを向いてしまう。
気まぐれなその態度に、プニは小さく首をかしげ──またじっと見つめたまま、窓のそばで動かなくなった。
──ポヨ(……ともだち、かな)
答えはない。けれど、何かが確かに残った。
猫はやがて、物干し台を伝って去っていった。プニは名残惜しげに体をガラスに寄せる。自分の体温で、窓が少しだけ曇った。
そのまま、ふにゃりと体を潰して、カーテンの下に潜り込む。外の世界は広くて、明るくて、でもちょっとだけ遠かった。
──ポヨン(……はやく、かえってこい)
陽斗の姿を探しても、ガラスの外には映らない。
けれど、プニは待っている。どれだけ時間がかかっても、静かに、変わらず、ここで。
昼の光はまだ柔らかく、カーテンの布越しに、やさしく身体を包んでいた。
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