第3話 手探りの飼育計画
翌朝。
目覚ましの音が鳴る数分前、自然と目が覚めていた。カーテンの隙間から差し込む光が部屋をうっすらと照らしている。
朝食の席に並んだのは、父と継母、そして義妹の美咲だった。
湯気の立つ味噌汁と焼き魚の香りが漂う中で、俺は箸を置き、静かに口を開いた。
「ちょっと……話したいことがある」
その声に、箸を止める三人。美咲はスマホから視線を上げ、父と母は無言で俺を見つめていた。
「昨日帰ってきてから、物置に違和感があって……中を確認したら、ダンジョンになってた」
その一言で、空気が止まった。
「は……?」
父が思わず声を漏らし、美咲が眉をひそめる。
「なにそれ、冗談?」
「本当。見間違いとかそういうレベルじゃない。
明らかに空間が歪んでて、普通の物置じゃなかった」
「……で、魔物は?」
継母が沈んだ声で尋ねる。
「いた。でもすぐに襲ってくるようなやつじゃなかった。
ダンジョンブレイクも起きてないし、入口も俺にしか見えてないかもしれない」
「陽斗、それは通報すべき話よ。私たちに隠してどうするの」
「隠すつもりはなかったよ。ただ──まだできたばかりで、状況も安定してる。
それに、俺なりに試してみたいことがある。今すぐ通報するより、少し時間をもらいたい」
「試すって、何を?」
美咲の声だった。口調は素っ気ないが、その目は真っ直ぐこちらを見ていた。
「安全か危険か。魔物の傾向。俺の手である程度、確かめられると思ってる。
もし通報すれば、全部持っていかれて終わる。だからその前に、自分の目で見て、考えたい」
美咲が軽く息をつきながらも視線を外さずに言う。
「じゃあ、何かあったときはどうするの。ひとりでどうにもならなかったら?」
「そんときは逃げるし、ちゃんと報告する。
危ないことをするつもりはない。でも、わからないまま終わらせたくもない」
数秒の沈黙。
父が腕を組み、低く言った。
「……わかった。でも、何も掴めなかったら──その時は必ず報告しろ。いいな?」
「うん、わかってる。ありがとう」
「……ほんと、バカなんだから」
美咲が呆れたように呟いた。でもその顔は、ほんのわずかに安心しているようにも見えた。
俺は少しだけ力が抜けたように笑い、味噌汁をすくって口に運ぶ。
ほんの少し、味が薄い気がしたけど、それでも不思議と、温かかった。
食後、茶碗を片付けたあと、俺は自室に戻った。
机の上にスマホを置き、ゆっくりと腰を下ろす。さっきの食卓でのやりとりを思い返しながら、もっと詳しく調べる為に検索を始めた。
「……ゴブリン 魔物 生態」
表示された情報には、定番とも言える基本データが並んでいた。
・ゴブリン──魔族系統、あるいは亜人系に分類されることが多い。
・体格は人間の子供〜小柄な成人ほどで、武装は原始的な棍棒や短剣。
・知能は低いが、盗品を扱う程度の知恵はあり、罠を使う個体も確認されている。
・凶暴で卑劣な性質を持ち、集団行動を好む。
・廃墟や洞窟に拠点を作り、簡易的な集落を築く傾向があり、繁殖力は極めて高い。
(……この繁殖力と集団性が、厄介なんだよな)
画面をスクロールすると、さらに生態や傾向についての記述が続いていた。
好戦的で、スライムのような従順さはなく、知能のばらつきが大きい。弱点は火と打撃。
道具を扱う個体もいれば、罠や連携を使う者もいる。
(……やっぱり簡単にはいかないか)
昨日の遭遇を思い返す。無策で接触したのがどれだけ無謀だったか、今ならよく分かる。
もしあれが複数体だったら──考えるだけでゾッとした。
(一匹だったのはたまたまだったのか? はぐれ個体? それとも……囮?)
生け捕りを狙うなら、“単体であること”を事前に確認するのは必須。
慎重に観察して囲まれる前に引く判断力がなければ、あっという間に袋叩きだ。
とはいえ──。
(飼育できる可能性がゼロとは限らない)
スライムと違って個体差があるなら、条件次第で餌付けも通用するかもしれない。
飼育スキルがどこまで有効か、自分の手で確かめたいという気持ちは消えなかった。
ふと、昨日調べた内容を思い出して「魔物 繁殖 条件」という検索ワードを入力する。
交尾・出産で増えるもの。攫った他種族を使って強制的に繁殖するもの。
単体で分裂・胞子を撒く魔物、魔石や死体から自然発生するタイプ。さらには、 飼育スキルなどの補正によって、人工的に増やす事例もあった。
繁殖要因も魔素濃度、満腹度、繁殖期、環境、集団密度などが関係し、中でもスキル補正が最も強力に影響するという記述が多い。
(仕組みを掴めば、コントロールできるってことか)
倒さずに魔物を増やしてそれで稼げるなら──やらない手はない。
(危険はある。でもそれを理由に踏みとどまるのは違う)
だから今、必要なのは準備だ。メモ帳を引き寄せ、必要なものを書き出す。
・バッド(打撃用・殺さないため)
・ロープ(拘束)
・餌付け用の食べ物(パンや乾き物)
(罠は……現実的じゃないし、手間も多い。使いこなせる保証もない)
今の俺に扱える手段は限られている。だからこそ、使えるものを確実に揃える。
(ちなみに、パンは昨日のスライムたちに全く手をつけられてなかった。あれも検証の余地ありだ)
家にあるもの、明日買い出しが必要なもの──それらを整理しながらノートに追記していく。
捕らえた状態で、もう
(甘いかもしれない。でも、やってみなきゃわからない)
ノートを閉じ、ベッドに体を沈める。天井を見上げたまま小さく息を吐いた。
(……さぁ昼からが勝負だ)
そう思いながら、静かに準備を始めた。
(……いよいよ、か)
これまでに調べた内容をメモアプリを見ながら思い出す。
ゴブリンにはエサを与えても“飼育”スキルがなぜか発動しなかった──その確認だけでも大きな一歩だった。
なら次は、どうすれば発動するかを探る番だ。
対象はスライムじゃなく、ゴブリン。昨日出くわしたあの異様な雰囲気を持つ魔物だ。
軽く息を吐いて、動きやすいジャージに着替える。
厚手のパーカーにフードを被り、軍手をはめた。少し動きにくくなったが防具代わりにはなるはず。
昼食を取りながら、家族にひと言だけ伝える。
「この後、ダンジョンに行ってくる」
食卓が一瞬だけ静まりかえった。
母が箸を止めたままこちらを見て、「気をつけて」と優しく声をかけてくれた。
父は新聞をめくりながら「無理はするなよ」とだけ言って、特に咎める様子はなかった。
そして──隣の椅子から、じっと見つめていた妹がひとこと。
「……昨日のやつ?」
「うん。ちょっと調べたいことがあるから」
「なら、行ってきなよ。でもほんとに無茶だけはしないで」
「わかってる」
それだけのやりとりだったけど、不思議と背中を押された気がした。
昨夜から家の中や部屋中をひっくり返して揃えた道具たち。
金属製のバット。洗濯ロープ。結束バンドにタオル。
そして冷蔵庫から拝借した食パン、干物、魚肉ソーセージ──
全てアイテムボックスに収納し、最後にスマホのライトと充電を確認する。
(見た目は人間の子供〜小柄な大人。棍棒や短剣といった原始的な武器を所持。
知能は低いが、罠を扱う個体も確認されている。基本は集団行動で、繁殖力は異常に高い──)
(もし《飼育》スキルが通じるなら、利用価値は高い。だが……)
何より気になるのは繁殖だ。
高い個体数で圧倒するのがゴブリンの強みなら、逆に言えば“制御できれば”増やして運用も可能なはず。
(満腹、安全、ペア……繁殖の要素がそこにあるとすれば、スライムと違って計画的な管理も視野に入る)
それでもまだ一匹も捕まえていない。
単体でいる保証はないし、また昨日のような不意打ちに遭う可能性もある。
(今日の目標はまず“捕らえる”ことだ)
準備を整えた俺は、軽く深呼吸をして立ち上がる。
「じゃ、行ってくる」
妹がソファの上からちらりとこっちを見て、フンと鼻を鳴らす。
「無事に帰ってきたら、話ぐらい聞いてあげる」
思わず苦笑いを浮かべながら玄関を出た。
駅前のドラッグストアでポカリ2本と非常食用のゼリーを買い足し、帰宅したのは午後2時を少し過ぎた頃。
気合を入れて、物置の前で一度だけ深呼吸をする。
扉を開けると、ダンジョンの空気が静かに迎えてきた。
スライムたちは入り口近くでぴょこぴょこと跳ねている。
繁殖指示は継続中。すでに最初の2体は16体にまで増えていた。
スライムたちは、相変わらずパンに手をつけていなかった。昨日置いておいたパンは、そのまま床に落ちていて、形も崩れていない。
(……やっぱり、食べないのか)
餌付けによって《飼育》スキルは発動した。けど、それが“生きるための食事”かどうかはまた別の話かもしれない。
昨日調べたゴブリンの情報にも、繁殖要因として“満腹度”や“環境”、“魔素濃度”といった条件が挙げられていた。
食べる=満たす、という構図はわかる。でも、スライムには当てはまらないように思える。
(食事が必要ない? それとも、外に出たら食べるようになるとか……?)
もしかしたら、“ダンジョン内では食べなくていい”という存在なのかもしれない。餌付けはあくまでスキル発動のトリガーであって、栄養摂取とは関係ない──そういうことだろうか。
(……帰ったら、外に出して様子を見てみよう)
「……行ってくる。またすぐ戻るからな」
小さく声をかけて、俺はダンジョンの奥へと歩き出した。
ダンジョン内部は、昨日よりも少しひんやりしていた。照明の代わりに微かに光る苔のようなものが壁に散っていて、足元の道をかろうじて照らしてくれる。
昨日は奥まで進む余裕もなかったが、今日は準備が違う。俺の足取りは、どこか確信を帯びていた。
(まずは、前と同じ場所まで)
手にバットを構え、慎重に進む。通路はゆるやかに左へ曲がりながら続いていて、足音が妙に吸い込まれるように静かだった。
不意に、空気が変わった。風もないのに肌にひやりとした違和感が走る。
ピタリと足を止めて耳を澄ませた。微かに何かを踏みしめるような──柔らかい足音。
(……来る)
暗がりの奥。石壁の影から、緑がかった小さなシルエットがひょいと顔を出した。
──ゴブリン。
人間の子供ほどの背丈。手には削られた木の棍棒。目つきは鋭く、こちらを見据えている。
(単体……今のところは)
慎重にバットを構えたまま、一歩前へ出た。すると、まるで挑発に応えるように、ゴブリンが地面を蹴る。
「チッ……!」
一直線に突っ込んでくる。
頭上に振りかぶられた棍棒──その前に、俺はバットを横薙ぎに振りぬいた。
ガンッ!と金属音が響き、ゴブリンの体が横へ弾かれる。床に転がったが、すぐに起き上がる。素早い。
もう一度距離を詰め、俺の足元を狙って棍棒を振るってきた。
だが、動きは読める。バットを振り下ろし、今度は脚を狙った。ゴブリンが苦悶の声を上げ、ひざをつく。
(今だ!)
俺はバットを振りかぶり、ゴブリンの側頭部を狙って一撃を叩き込んだ。
ゴインッ!
金属音が響き、ゴブリンは糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
「……やったか?」
息を整えながら近づくと、ゴブリンはぴくりとも動かない。だが鼻先に手を当ててみると──微かに息をしていた。
(……生きてる。気絶しただけか)
捕獲成功。思わずバットを握る手に力がこもる。だが、そこでもう一つの“確認事項”が頭をよぎった。
(……もし、メスだったら──)
繁殖を視野に入れる以上、性別の確認は避けて通れない。
静かに、ゴブリンの腰布をそっとめくる。
──ぶらんっ。
「…………」
沈黙。そっとため息をついて、空を仰いだ。
「……オスか」
予想はしていた。統計的にゴブリンの大半はオス。頭では分かっていたはずなのに、ほんのわずかでも期待していた自分が悔しい。
「……まぁ、仕方ないか」
落胆はあっても、計画はまだ終わっていない。まずは捕獲できたこと、それが大きな一歩だ。気を取り直して、飼育できるか試してみるしかない。
俺はゴブリンの両手足を結束バンドと洗濯ロープで固定し、口にもタオルを噛ませた。暴れても叫んでも簡単には外れない。
そのまま、抱きかかえてダンジョン入り口近くまで戻る。
スライムたちの隣──視界の開けた場所にそっと横たえた。
(ここなら、何かあってもすぐ対処できる)
俺は膝をつき、静かに呟いた。
「……さて、ここからが本番だ」
悔しさを胸に押し込んで、俺はゴブリンの足をがしっと掴む。
「とりあえず、飼育できるかどうか試してみよう」
気を取り直して、次の段階へ進む。捕らえた──ここからがスタートだ。
捕獲に成功した。だが、ここからが本番だ。《飼育(魔物)》が本当に通じるのか──それを確かめなければ意味がない。
(倒すだけじゃダメ、捕まえるだけでもダメ。……“飼う”なら、もっと段階を踏まなきゃならない)
そう考えながら、傷ついた肩をさすった。無茶はしていないつもりだった。
でも、あと一歩で失敗ではなく、大怪我になっていたかもしれない。
(……戻ろう。今日のところは十分だ)
そう決めて、俺はダンジョンの奥から引き返し始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます