第4話 スライム増殖中、ゴブリンはメスを探す
傷の痛みがまだじんわり残る中、俺はダンジョンの入り口近くで、再びスライムたちの様子を確認していた。
前回置いたままのパンは、やはり手つかずのまま床に転がっている。形も崩れておらず、まるで時間が止まっているかのようだ。
(……やっぱり、食べてない)
だがスライムの数は明らかに増えている。
これはもう間違いなく、ダンジョン内で“食事を取らなくても繁殖する”ということの証拠だ。
つまり、スキル発動時には餌付けが必要だったが、その後は不要──
あくまで餌付けはトリガーであって、生存とは切り離されているのかもしれない。
(じゃあ、ダンジョン外に出たら? その時も食べないのか……これは今後の検証だな)
ひとまずメモに書き留める。スライムのことは一旦置いて、今日は“ゴブリン”だ。
拘束状態で眠っていたゴブリンが、ゆっくりと目を覚ました。
「……っ!」
身じろぎすると同時に、鋭い目つきでこちらを睨み、ギリギリとロープを引き絞るようにもがき始めた。
食パンを差し出してみるが、反応はない。鼻をひくつかせる様子すらなく、視線はひたすら敵意を孕んでいた。
(……もしかして、食べ物って認識してない?)
そう思って、自分でパンをちぎって口に運び、咀嚼して見せる。それをじっと観察するゴブリンの視線。徐々に、目つきが変わっていく。
そっと食べかけのパンを掴み、ゴブリンの口に押し当てた。
「……ほら、食ってみろ」
一瞬、拒否するような顔をしたが──次の瞬間、ゴブリンはパンに歯を立て、咀嚼を始めた。
その瞬間、脳裏に浮かぶ文字列。
《スキル《飼育(魔物)》が発動しました》
《対象個体:ゴブリン》
《成長促進により成体は繁殖が可能となりました》
発動成功。ついに二体目の魔物への《飼育》が適用された。
(やっぱり……餌付けが鍵か)
だが、スライムと違ってゴブリンは性別がある。しかも、オス。このままでは繁殖には至らない。
「……やっぱり、メスを探すしかないか」
そう呟いたとき──ゴブリンが、こちらに顔を向けた。目が合う。何かを伝えたそうな表情。わずかに頷く。
「……お前、今の言葉に反応したのか?」
冗談のつもりで聞いたのに、ゴブリンは真顔で再び頷いた。
言葉が通じる? 知性がある? そんなはず──
(でも……通じてる。確かに)
言葉までは通じないとしても、雰囲気、意図、指示──ある程度は理解できている。これなら、共に行動できるかもしれない。
主人公は立ち上がり、入り口付近のスライムたちに声をかけた。
「お前らはこのあたりを整備してくれ。跳ねてるだけじゃなく、地面をならしたり、障害物をよけたり……できるか?」
スライムたちは、ぴょん、とひとつ跳ねた。肯定とも受け取れる反応。次にゴブリンの方へ向き直る。
「お前は俺と来い。メスを探す」
ゴブリンは、何の躊躇もなくうなずいた。
(よし……)
その背中を確認しながら、主人公はダンジョンの奥へと歩き出した。その足取りは、少しだけ軽くなっていた。
金属バットを右手に握りしめながら、俺はダンジョンの奥へと歩を進めていた。その隣を、短剣を構えたゴブリンが静かに並んで歩いている。
奇妙な絵面だがこうして“相棒”として成立している事実が、今でも少し信じられない。
「いいか。俺は気絶させるだけだ。……殺しは、しない」
「……」
ゴブリンは無言で頷いた。伝わっているのかどうか、完璧な判断はできないが、少なくとも否定の意思は感じられない。
歩き始めて数分後──気配が走った。
「っ!」
茂みの影から、唸るような低い声と共に1体のゴブリンが飛び出してきた。すかさず、俺はバットを振りかぶる。
「……どけッ!」 ゴインッ!
重い金属音と共に、バットの先がゴブリンの側頭部に叩き込まれる。そのまま反動で吹き飛んだゴブリンは、地面に激しく倒れ、微動だにしなくなった。
俺は急いで駆け寄ると呼吸と意識を確認する。……大丈夫、気絶してるだけだ。
(さて──問題はここからだ)
俺は一度息を整えると、ゴブリンの腰布をそっとめくった。
「……オスか」
予想通りだった。いや、統計的に考えれば当然か。メスは数が少ない。希少種だ。だからこそ、見つけ出す意味がある。
後ろから気配を感じる。ゴブリンが近づいてきて、じっとその同族を見下ろしていた。
「……このまま、残すわけにはいかないよな」
声をかけるとゴブリンは小さく、しかし確かに頷いた。
「……やるか?」
短く聞く。返事はないが、ゴブリンは腰の短剣を抜いた。俺はそっとその場を背に向ける。
──ザシュ。短い音だけが、湿った空間に響いた。
しばらくして振り返ると、倒れていたゴブリンの喉元には、乾いた血の跡が一筋走っていた。綺麗な一太刀だった。無駄がない。痛みも少なかったはずだ。
俺は無言で、胸の前で手を合わせた。その横で、飼育ゴブリンも同じように手を合わせる──ような仕草をした。
その死体の胸元に、うっすらと光が浮かぶ。淡い青の魔石が、空気の揺らぎとともに転がり出てきた。
(……ドロップ、したか)
俺はそっと拾い上げて確認する。ゴブリンの魔石一個500円。事前に調べていた市場価格が頭をよぎる。
(飼えれば、放っておくだけで勝手に増える。倒せば、その場で魔石。……でも、それじゃせっかくのスキルが無駄になる。)
魔石をアイテムボックスに収納し、再び歩き出す。
「……次、行こう」
俺たちは再び歩き出す。今度は、足音さえ小さく揃っていた。
それからの探索も、同じだった。遭遇 → 気絶 → 性別確認 → オス → ゴブリンによる処理 → 魔石回収。
繰り返すたびに、疲労は確実に蓄積していった。腕が重い。肩の傷がじわりと疼く。集中力も削られる。
殴った感触が、肘の奥まで響く。慣れはじめてきた自分に、少しだけ嫌気が差す。
(メスは……いないのか? 本当に……?)
だが諦めるわけにはいかなかった。ここまでやって、何も得られなかったでは済まされない。
ふと隣を見ると、ゴブリンがわずかに俯き加減になっていた。あれほど冷静だったその瞳に、ほんのわずか──悔しさのようなものが滲んで見えた。
俺はそっと呟いた。
「……俺たち、同じこと考えてるのかもな」
答えは返ってこなかった。けれど、歩調は、変わらずぴたりと合っていた。
奥の空間に入った瞬間、視線が自然と吸い寄せられた。
他のゴブリンよりも一回り小柄で、線が細い。腹が膨らんでいて、顔つきもどこか幼い。
何より、周囲のオスたちがその個体を囲むように立っていた。
(あれだ……間違いない、メス。それも妊娠してる)
息を呑むより早く、敵の気配が動く。複数のオスがこちらに吠えながら突進してきた。
「行け!」
合図と同時に、飼育ゴブリンが突っ込む。俺もバットを構え、1体目を迎撃した。
戦闘は荒かった。けど、飼育ゴブリンとの連携は悪くない。
挑んでくるオスたちを1体ずつ仕留めていき、数分後には倒れた個体が転がっていた。
荒い息を整えながら、中央のメスゴブリンを見やる。
怯えてはいたが逃げない。そのとき──
「うおっ、待て!」
飼育ゴブリンが突然メスに向かって突っ込んだ。
本能か、欲求か──どっちにしても今は止めないとマズい。
俺はすぐさま飛び出し、飼育ゴブリンの肩をつかんで引き戻した。その反動で、メスの肩に手が触れる。
瞬間、アナウンスが響いた。
《スキル《飼育(魔物)》が発動しました》
《対象個体:ゴブリン(♀)》
《成長促進により成体は繁殖が可能となりました》
(……ここで来るのか)
メスゴブリンはびくりと肩を震わせたまま、俺をじっと見ている。怯えたまま。でも逃げない。敵意もない。
(助けたから、か。……納得)
スキルが反応した理由は、たぶんこれだ。襲われそうになっていたメスを助けた。
もし、“怯え”や“安心”みたいな感情が引き金になるなら──
スキルって、思ってたよりずっとシンプルで、反応的なものなのかもしれない。
メスゴブリンは怯えながらも、こちらをじっと見つめていた。声をかけるべきか、一瞬だけ迷う。けれど──言葉は飲み込んだ。
(……言葉なんて通じなくても、状況くらいはわかってるはずだ)
恐怖の中で、何が起きたのか。誰が敵で、誰に助けられたのか。そこに“信頼”なんてものが芽生えるとは思っていない。
ただ──今はそれで、十分だった。
入り口近くに戻ってくると、空気がどこか変わっていた。
スライムたちは静かに跳ねていたが、その数に俺は思わず目を見開いた。
「……まさか、もう?」
昨日の時点で16体だった個体数は、すでに倍──32体へと増えていた。
床には同じような姿形のスライムが整然と並び、ぴょこぴょこと上下に動いている。
だがその奥──しゃがみ込んでいるメスゴブリンの姿に、思わず息を呑んだ。
「え……?」
明らかに様子がおかしい。身体を震わせ、苦しげな呼吸を繰り返していた。
「まさか──出産!?」
駆け寄ろうとした俺の目の前で、彼女の腹部が大きく波打った。
次の瞬間──ずるりと、滑り落ちるように、血と粘液に包まれた小さなゴブリンの赤子がその場に生まれ落ちた。
「……!」
驚愕と困惑で言葉が出ない。だが、そこにいたのは紛れもなく、“新しい命”だった。
赤子ゴブリンはかすかに身を震わせ、弱々しく声を上げた。メスゴブリンは息を切らせながらも、その体を両腕で抱き寄せる。
俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
(……そんな体で、よく無事だったな)
あの時、襲われかけていた状況で、既に身ごもっていた──そして今、危険が去ったことで出産に至った。
何とも言えない気持ちが、胸の奥を重くする。目の前にいるこの命は──ただ、命が命を繋いだ結果として、今ここにある。
その事実を、まっすぐ受け止めるには……俺は、まだ少し未熟すぎた。
けれど──
「……生まれた、んだな」
俺の声に、メスゴブリンがゆっくりとこちらを見上げる。そして、何かを言うでもなく、ただ静かに、もう一度赤子を抱きしめた。
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