第7章:風の鳴らない午後

事故を回避したその日から、世界は微かに変わった。

同じ教室、同じ時間、同じ登下校――

けれど、どこかが確かに違う。


風の音が消えていた。


太陽は気づいていた。

物語の中では、必ず坂道で“風が鳴っていた”のに、

あの日からその音が聞こえなくなった。


それはまるで、この世界がそっと息をひそめ、

ふたりの未来を見守っているかのようだった。


◇ 放課後、鈴音と


「静かだね」


図書室の窓辺で、鈴音がぽつりと言った。


「……うん。でも、不思議と怖くない。むしろ、守られてる感じがする」


「うん。わかる。まるで――太陽くんがこの世界を変えたからかも」


その言葉に、太陽の胸が少しだけ痛んだ。


(変えたのはいい。けど……この“静けさ”は、終わりの前兆なんじゃないか?)


彼はそう思いながらも、鈴音の横顔を見て、小さく微笑む。


「なあ、鈴音」


「ん?」


「もし、また世界が止まったとしても……

俺が君のこと、思い出せなくなっても……

必ずまた会いに行く。だから――怖がらないで」


鈴音は少し驚いたような顔をしたあと、ふっと笑った。


「……そう言ってくれると思った。

じゃあ私も約束する。何度だって、君に恋をするって」


その言葉は、風の音が消えた午後に、心を優しく揺らした。


◇ 夜、夢の中で


その晩、太陽は夢を見る。

白い部屋。黒いインクのしみ。

そして――机に向かって絵を描く、背中だけの男。


「……桜井蓮?」


太陽が名を呼ぶと、男はゆっくり振り返り、

しかし顔は墨で塗り潰され、見えなかった。


その手には、描きかけの原稿。


ページの端にこう書いてあった。


「終わらせるな。生かせ。君の物語で」


太陽が何かを言おうとした瞬間――

夢は、唐突に終わった。

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