第二章 人形

(承前)建正三年(2022年) 七月二十八日(木曜日) 午後五時まえ

 

 ほどなく〈第八龍雄丸〉は、毬尾根島の北の浜に着いた。東西に数百メートルほどしかない小さな浜だ。浜を少し上った先に堤防があり、その向こうに人家の屋根屋根がのぞいていた。進行方向の左手、東の端に、コンクリートで固められた桟橋が突き出ていた。

 桟橋の片側に、うちの漁船よりだいぶ立派なクルーザーが停まっていた。いわゆるサロンクルーザーというやつだ。

 近づくにつれ、突堤にいる人影も見分けがついてきた。二人の人間がいた。先端部に、イスに座って釣り糸を垂れている人がいる。隣に立っている人は、釘みたいに、ピンとまっすぐな姿勢だった。

 スロットルを操ると、エンジン音が変化して船は減速した。〈第八龍雄丸〉は、ゆっくりと船着き場に迫っていく。

 桟橋につけると、おれは操舵室から出ていって、舳先からもやいを投げた。

 受け取ったのは、釘みたいだと思った人影で、近くでみると、黒いスーツをピシリと着こなした銀髪の老人だった。こちらも、真夏の格好とはとても思えない。顔かたちから相当な高齢と推測されたが、背筋が伸びていて、かくしゃくとしている。老人は黙々とロープを取って、杭に繋いだ。

 穂積が、お楽しみを待ちきれない子どもみたいに、おれが渡したタラップを飛んで渡って、老人の前に降り立った。

「やあ、あなたが能島のじまさん?」

「左様でございます」

 老人が恭しく一礼した。

 丁寧だけど、表情も声にもどこか、能面めいた固さが感じられる人物だった。あとで聞いたところでは、御原家の使用人ということだった。しかも、御歳おんとし八十七になんなんとするという。痩身で、銀髪を丁寧になでつけており、縁なしの眼鏡が、目立たない地味なスーツ姿に、わずかなアクセントになっている。もっとも、おれの住む地域では元気なお年寄りが多い。八十を越えた漁師は珍しくないし、九十七で蜜柑畑の世話を毎日しているお婆さんも近所にいる。

「お待ちしておりました。穂積様でいらっしゃいますね」

 ええ、と穂積が元気よく答え、老人の機先を制しておれを紹介した。

「こっちは助手の大住君です」

「ーーは?」

 穂積の荷物を運び出していたおれは、素で反応してしまった。

「お一人様と伺っておりましたが……」

 能島と呼ばれた老人が、わずかに眉をひそめる。

「ひとりのつもりだったんですが、気が変わりまして。例の調査には、アシスタントがいた方が都合がいいですし。彼は優秀なので、きっと役に立ってくれると思います。それとーー」

 疑問符だらけのおれの機先を制して、穂積が続ける。

「せっかくなので、島を見学しながら向かってもいいですか? 〈住民〉の皆さんも見てみたいし。あ、荷物は持っていっていただけると助かります」

 能島老人はしばらく無言でいたが、結局お辞儀をして、キャリーバッグをとった。

「では、お屋敷でお待ちしております。道は一本道ですので、お分かりになるかと思います」

「山を目指して歩いて行けば、いいんですよね?」

「左様でございます。では後ほど」

 能島老人は、さっさと歩きだした。

 あまりにもあからさまに、二人の会話でかやの外に置かれたので、かえって口が挟めなかった。それでおれは、ようやく声をあげた。

「助手って何のことですか! というか穂積さんは一体……?」

「おや、言っていなかったかな。わたしはね、探偵なんだよ」

「た、探偵?」

 そう言うと穂積は、さっさと歩き出す。

「あのう、おれは帰っていいんですよね?」

 そう追いすがりかけたおれは、釣り人につまずいて「ごめんなさい」とすぐに謝った。

 が、釣り人がまったく微動だにしないことに気づき、ぎょっとなった。

 おとなしいはずだ。

 釣り人だと思っていたのは人間ではなかった。物言わぬ人形だったのだ。

 おれは思わず後ずさって、それをあらためて眺めた。

 人間と見間違えたのも仕方ない。人形は等身大で、着せられている服も本物だった。釣り人のオーソドックスなスタイルで、赤いキャップに半袖の紺のシャツ、その上に黄色いライフジャケットを羽織っている。下は合羽のズボンにゴム長靴。折り畳み式のイスに腰掛けていて、きちんと両手で釣り竿を握っている。しかしよく見ると、シャツの袖から出ている腕は、作りものだった。

 何とはなしに手を伸ばして、指で腕の部分をつついてみた。固い。だがよく見かけるマネキンのようなプラスチック製ではない。どこか焼き物のようだ。手首のところに埋め込まれた球があり、その先に手のひらが付いている。なおも眺めると、どうやら指の一本一本まで、曲がるように出来ているみたいだった。

「球体関節人形というのだよ」

「にゃあーっっ!!」

 耳のすぐ傍で囁かれて、おれは文字通りその場で飛び上がった。

「な、な、な」

 口をぱくぱくさせるおれを、音も立てずに引き返してきた穂積が、にやにやと眺めている。顔がひきつったおれにはお構いなしに、例のごとく講釈を始めた。

「ごらん。関節部が球体で出来てるだろう。だからこんな風に、いろんなポーズを取らせることが出来るんだ」

 そうして穂積は、釣り人人形をしげしげと観察した。

「ふむ。人形本体は、どうやら素焼きの粘土っぽいね。お、ご丁寧にドールアイまで入ってる」

 穂積が指し示したところに、おれも目をやる。人形の顔は、リアルに作り込まれていた。口ひげをたくわえた男性の顔で、頬が高く、鋭い鼻筋と意志の強そうな眉まで、表現されている。そして穂積のいうとおり、両目にはガラスとおぼしき透明の素材が、はめ込まれていた。

 穂積が、さらに指摘する。

「どうもこいつは、だいぶ長い間ここにいるみたいだね。イスが突堤自体に固定されてるし、本体や着物にも汚れがある。放置されてるのは、そう、半年といったところかね」

「……なんで、そう言えるんです」

 ペースに乗るのはしゃくだが、好奇心の方が勝って、つい訊いてしまった。来たまえ、と穂積はおれを促して、桟橋を歩きだした。

「なに、能島さんに聞いたのさ。彼は奥さんとこの島に、管理人として住み込んでるらしいんだけど、御原家の人間がこの島を利用するときに、人形の着せかえをするように命じられているらしい。で、半年ぶりに客を迎えたといってたから、前回着せかえをしたのは、半年前ということになる。どうやら今回は、着替えさせる余裕がなかったみたいだけどね」

 桟橋を抜けると、海辺から、登りの細い小道が続いていた。堤防に切れ目があって、そこから町に入れる。

「ちょっと待ってください。おれは、帰らないといけないんですが……」

「まあいいじゃないか」

 穂積は事もなげに言った。

「普段は立ち入り禁止の私有地だよ。興味深いものがたくさんあるらしいけど、めったに見られるものじゃない。それとも何か予定があるのかい?」

 そう言われると、言い返す言葉がない。どうせ図書室で本を読んでいるくらいなのだ。

 穂積は躊躇うこともなく道を進んでいった。

「村おこしで、村中のあちこちに案山子を配しているところが、兵庫県にあるじゃないか。住民よりも案山子が多いってニュースでやってた。どうやらこの毬尾根島にも、そんな感じで、いたるところに、ああいう奇妙なものがあるらしい」

「はあ、なんでまた……」

 おれは、置いていかれないように必死に足を進める。いかん。うっかり穂積のペースに、巻き込まれている。

「先代の当主・御原冬彦氏が始めたらしいよ。当初はもっと素朴な人形で数も少なかったんだけど、年を追うごとに継ぎ足し継ぎ足しで、増やしていったそうだ」

「継ぎ足し継ぎ足しって、そんな、秘伝のタレじゃあるまいし……」

 堤防の切れ目を抜けると、すぐ町中になった。自動車が一台通れるくらいの幅のガタガタのアスファルト道が、ずっと続いている。つま先上がりの小道の左右には、うちの実家の辺りに似た漁師家風の民家が広がっていたが、人の気配はまったくなかった。潮騒と風の音、そして雑音混じりのラジオ放送が、どこからか、かすかに流れている。

 穂積は、交差する横路をときどき覗き見しながら、のんびりと歩いていく。

 途中、こちらへ下ってくる態勢の自転車とすれ違った。サンバイザーを被った、主婦らしき格好の人がまたがっている。

 ここで再びおれは、立ち止まった。

 だがいつまで待っても、自転車は近づいてこない。

 自転車は静止していた。

 乗っているのはもちろん人間じゃない。割烹着風の服を着ているのは、これもまた球体関節人形なのだ。頬のたるんだ老女の顔で、すこし目がつり上がっている。眉間にしわを寄せた、険の強そうな表情が妙にリアルだ。

 不思議な感覚だった。たとえば、SFであるような、時間の止まった世界を歩いているのをイメージすればよいだろうか。

 それからも多くの〈住民〉を見かけた。買い物かごを下げた女の人、スーツに鞄を持って歩く男、追いかけっこをする猫までいる。一時停止ポーズを解いたら、みんなすぐにでも動き出しそうだが、すべてが静止している。

 おれも穂積を真似て、脇の路地をひょいとのぞいてみた。板壁に立てかけたリアカーの横で、漁で使う網をつくろっている漁師が二人、座っていた。配達途中の郵便屋さんが、スクーターから降りようとしている。半ズボン姿の小学生ぐらいの男子が、友だちと一緒に駆け出そうとしている。しかしそのどれもが、人間ではなかった。

 軒の低い平屋の窓からは、中でくつろぐ住人さえ見える。他人の家を窺うことに、ちょっと後ろめたさを感じながらのぞくと、寝転がってテレビを観ているのもまた、人形だった。

 家から目を離すと、穂積の姿がなくなっていた。おれは慌てて道を進んだ。

 ゆるい登りが終わるとそこは、港からの道と、横からきた自動車道が直行する十字路だった。自動車道は、片側一車線の道路で、交差点には信号機が立ち、横断歩道まで描かれている。どこからどう見ても、普通の漁村だ。人間が一人もいないことを除けば。

 ようやく追いついた穂積は、横断歩道で律儀に信号が青になるのを待っていた。恐ろしいくらいシュールな光景だった。

 おれはなんだか壮大なドッキリを仕掛けられてるのでは、といぶかりながらも、穂積に声をかけた。

「あの、ここって、誰かが住んでるんですか?」

「いや、この島に御原家以外の住人はいない」

 よかった。穂積が普通に答えてくれたことに、なぜかほっとする。

「この町はね、そうだな、言ってみればクランクアップした映画の、巨大なオープンセットみたいなものなのだろうね。もっとも家も道も電柱も、すべて本物らしいけど」

「……なんのために?」

「さあね……。道楽、かな」

 穂積は、にやり、と例の人の悪い笑みを浮かべた。雇い主の奇矯な趣味を楽しんでいるようだった。

 頭がクラクラした。どうやらこの島の持ち主は、だいぶ頭のネジがぶっ飛んでるらしい。何のためかはわからないが、誰も住んでいない町を丸ごと一つ作ってしまったというのだ。

 ーーいや、住人はいるのか? 人形が。

 そんなことを考えていると、信号が青に変わって、電子音の「とおりゃんせ」が流れた。その徹底ぶりにドン引きしつつ、道路を渡ったちょうどそのとき、プップッーという、クラクションが聞こえてきた。

 通りの向こうから、バスがやってきたのだった。

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