第3話

「つーか、お前、名前は?」

「えーと……そうやな、“テツオ”って呼んでくれ」

「割と適当だな。俺は坂口 悠馬。よろしくな」


こうして、俺とテツオの奇妙な同棲生活が始まった。

金の事を考えるとほぼデメリットはなかった。


テツオは、ときどき夜になると外出した。

リュックを背負い、音も立てずに消えていく。


帰ってくるのは、深夜。

そして、リビングのローテーブルに何かを“置いていく”。


現金、ロレックスの時計、貴金属、カバン、最新ゲーム機など。


「おい、これ……何だよ。これ、どこから?」

「知らん方がええ。な?」


テツオはそれしか言わない。

問い詰めても、絶対に口を割らない。


「スマホ買っといてくれ。iPhone、最新のやつ。SIMフリーで。」

「いいよ。まぁ、金あるしな」


その日、仕事を午前中だけ休んで、スマホショップに行った。


帰宅すると、テツオはすでにいた。

ソファの上で、バナナチップスを食べながら、テレビを見ていた。


「おお、買ってきたか? 」

「まじで頼む側の態度かそれ」


笑ってスマホを渡す。

テツオは慣れた手つきで開封して、ちょちょいと設定を始めた。


「お前、スマホ使えるの?」

「当たり前やろ!」

だんだんこの生活にも慣れてきた。


「テツオってさ、生まれた時から猿? それとも元人間? で、大阪生まれ?」

「今は言えんな」

テレビを見ながら、テツオは言った。

「なんでだよ。絶対に誰にも話さないよ」

「すまんな。まだ、お前の事全部信用しとらん。信頼出来たらその時話す」

「マジかよー、信頼ないのかよ」


テツオが大型テレビが欲しいと言うので、買ってやった。

それでFPSをやっている。FPSとは、自分が兵士となって相手と銃で撃ち合うゲームだ。

俺が見ても、テツオはやたら上手だった。

褒めてやると、テツオは歯を剥いて笑った。鋭い牙が見えて、俺はこの笑い方にはどうしても慣れなかった。


ある日、彼女が来た。

彩夏。俺の大学時代の同級生。


「……え、これって猿!? 急にどうしたの?」


驚きつつも、テツオの前にしゃがみ込んで手を差し出す。

テツオは一瞬だけ俺を見ると、猿の“ふり”を始めた。

目をパチパチさせて、手をペチペチと叩きながら、

「ウキー」とか言い出した。

完全に猿になってる。とてもしゃべるとは思えない。


数日後、俺は赤ちゃん用の小さなベッドを買って帰った。

リビングの隅に設置して、毛布を敷いてやる。


「……なんやこれ」

「お前、いつも床で寝てるからさ。体痛くなるだろ?」

「うーん、別にいらんけどな」


テツオは無言でベッドを見つめ、

ポン、と俺の肩を軽く叩いた。

その日から、夜になると、ちゃんとそのベッドで寝るようになった。



日曜日の昼下がり。

駅前のカフェで、彩夏と向かい合って座っていた。

アイスラテをストローで軽く吸いながら、彩夏がふっと目を細める。


「ねえ悠馬、最近さ……」

「ん?」

「なんか、金回り良くない?」


一瞬、背中がぞわっとした。


「え? そ、そうか?」

「そうだよ。前は“今月ピンチだ~”とか、“あと一週間どうやって生きよう”とか言ってたじゃん」


笑ってるけど、目が笑ってない。

俺は一瞬だけ考えて、それらしい言い訳を口にする。


「……あー、投資。始めたんだよ、最近」

「投資?」

「うん。知り合いに教えてもらってさ。ちょっとだけやってみたら、たまたま当たって。今のとこ儲かってる」

「へえ……」


彩夏はカップを持ち上げて、飲み口を拭いながら、じっと俺を見る。


「……でも、気をつけなよ」

「え?」

「投資って、簡単に増えたら簡単に減るから。うちの兄、ビットコインで死にかけたからさ」

「ああ……うん、大丈夫。リスク管理してるし、無理はしてないから」

「ならいいけど……」


会話が一瞬、止まる。

向かいのテーブルでは、カップルがスマホで犬の写真を見せ合って笑っていた。

ここだけ世界が違う気がして、俺は不意に肩をすくめる。


「腕時計もなんかいいやつになってるよね」

「ああ、これ? フリマで見つけた中古。見た目だけで選んだんだよ」

「ふーん……、最近さ、悠馬が何考えてるのか、ちょっとわかんなくなってきた」

「え?」

「ううん、なんでもない。気にしないで」


彩夏はそれ以上言わなかった。

けど、何かを見透かしてるようなまなざしが残ったまま、

俺の胸に小さなトゲだけを刺して、話題を変えた。




半年が過ぎた。俺は金の心配がなくなった。それより、どんどん増えている。

テツオとの関係も良好だ。

ボロい軽自動車を買い替えたかったが、テツオに反対された。

「買い替えたいって? アホか。目立つな。急に車変えたら、近所の目が変わるやろ。“なんか金入ったんちゃうか?”ってなるのがいっちゃん怖いんや」

それ以外は全く問題はなかった。

金を気にしない生活って、素晴らしい。



「なあ、もう話してもいいんじゃないか?」

「何を?」

「彩夏に。お前が喋れるってこと。信用できるやつなんだよ」

「それとこれとは別や」


テツオの声はいつもより低く、重かった。


「ワイが“猿である”ってバレたら、終わる。知った人間は、どっかで口を滑らす。そしたら……“ワイらの生活”が終わるんや」

「……“ワイら”?」

「お前もや。もうワイと関わった時点でな。

秘密を守れるってのは、誰にも言わんってことちゃう。

“言いたくなる相手”にも、言わんってことや」


俺は黙った。

リビングの隅で、赤ちゃんベッドに横たわるテツオが、

妙に大きく見えた。


「そしたらさ、そろそろテツオの過去を話してくれよ。もう信用あるだろ」

「うーん、そやなぁ……」

「俺、約束は今まで守ってきただろ?」

テツオは遠くを見た。

「……。そやなぁ……、うーん、もう言ってもええか」


テツオは、自分の過去を話はじめた。

「両親を早くに亡くしてな。結構苦労したんや」

「え、猿の……?」


少し間を置いて、ポツリと言った。

「いや、人間のや」

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