第3話 マッドとマーチ

「さぁ、続きを聞かせてくれ。」


老人はワクワクした様子でそう言った。机に肘をついて組んだ手に顎を乗せる。


何時いつに無く楽しそうだな。」


アンサーは少々呆れた様に言うと、カップに口をつけた。


「そりゃあね。『マッド』の話、楽しみにしていたから。」


老人は待ちきれない様子で、嬉しそうにそう話す。アンサーは一度溜息を吐いてから、ゆっくりと口を開いた。



あれは、俺が入学して数週間が経った頃の事だ。


授業終わり、涼しげな夕方の風が通る渡り廊下を歩いて居ると、ハッター先輩と鉢合わせた。


「あれ。ブラックくんじゃん。」


「……どうも。」


俺は一言だけ返して横を過ぎようとする。


「えちょ、それだけぇ……?待ってよ、ちょっと話があるんだけど!」


俺は足を止めて振り返った。


「……此れからフィセル寮長を御迎えに上がる所なのですが。」


騎士団長と成った俺は常に寮長の側に控え、大事に備える事を求められた。

今は寮長の教室まで彼女を迎えに行き、護衛の任を果たす時間なのだが…。


俺はハッター先輩に「どうしても」と押されて仕方なく承諾し、中庭のベンチに二人で腰掛けた。


授業が終わり、多くの生徒が寮に戻ったり部活へ向かったりと、足早に廊下を通り過ぎるのを背に、俺とハッター先輩は話し始める。


「話とは、何でしょうか。」


俺は聞いた。ハッター先輩は少し言いづらそうに目を泳がせた後、そっと口を開く。


「……あのさ、この間の決闘のことで……。オレのの話……、誰にも言わないで欲しいんだよね。」


先輩は何時いつもの笑顔を少し曇らせてそう言った。握られた拳が少し震えて居るのが分かる。


「オレいつも、……そう言うの表に出さないようにしてるから、あんまり知られたくねぇなぁ……って……、。」


無理に作った様な笑みを浮かべてそう言う先輩を見て、俺は少し考える。そして返した。


「……何か、勘違いをして居るのでは。」


そう声に出すと、先輩は俺の顔を見て首を傾げる。


「俺の固有魔法は、相手のトラウマを知る事の出来る物ではありません。ただ相手に其れを思い出させるだけ。

ですので俺は……貴方のトラウマを知りません。」


そう説明すると、先輩は目を丸くして唖然とした後、「そうなの?」と小さく声を出す。

こくりと、俺は頷いた。


すると先輩は大きく溜息を吐きながら、全身の力が抜けて居るのではと思う程に脱力してベンチの背もたれに寄りかかる。


「はぁ〜〜〜……、。そっか……よかった〜……。」


被って居る緑色のハットを片手で持ち上げて、表情を隠す様に顔の前に持って来た。


「焦った……。知られたらどうしようかと……。」


先輩が安堵するのを見て、俺は少々興味が湧いてしまい、尋ねる。


「……不躾ぶしつけな事をお聞きしますが、何があったんですか?」


「今オレの話聞いてた??知られたく無いんだっての。」


先輩は俺が言い終わるより先にそう突っ込んで来た。


「其れはそうでしょうが、其処まで言われると気になるのが、生き物のさがと言う物では。」


「人の心ねぇな!?」


其れには返さず、俺は目を閉じて天を仰ぐ。放課後の綺麗な茜空がふと開いた俺の目に飛び込んで来た。


「……そういう物は一人で抱え込むより、理解者を得る方が良いと思います。

他人に話すだけでも、少し楽になると思いますよ。」


心の中で『どの口が、』と思ったが、俺は真っ直ぐに先輩の目を見て続ける。


「俺で良ければ、話してみませんか。」


先輩はしばらくの間俺の目を見たまま硬直して居たが、少ししてふと下を向いた。手に持って居たハットを深く被って顔を隠す。


彼の口元に、笑みは無かった。

何かを考えるかの様に空いた其の沈黙の末に、彼は何かを決意した様子でサッと立ち上がる。


「……今夜、またここに来てくれ。」


先輩は其れだけ言って俺に背を向けると、其のままクロックテイル寮の方へ静かに立ち去った。


其の晩。


あの後俺は、フィセル寮長を教室まで迎えに行き、其のまま何時いつも通り寮へ戻った。


何時いつも通り寮長に紅茶を入れて、茶菓子を用意し、彼女の側で本を読みながら過ごした。


しかし俺の頭の中は“何時いつも通り”では無かった。


何故あの時、彼の過去にあれ程興味が湧いたのか。少し前までの俺ならば、気にもせず放っておいただろうに。


フィセル寮長に出会ってから、俺の中で何かが変わり始めて居るのは明らかだった。


俺は考えながら、夕方にハッター先輩と話して居たベンチで星空を見上げて居た。


「よお、待たせたか?」


直ぐ後ろの渡り廊下から声がして振り向くと、ハッター先輩が廊下の手摺りに腕を乗せて、乗り出すように此方を見て居る。


「時間の無駄、と言うのはこう言う時に使う言葉なんでしょうね。」


ハッター先輩は苦笑いを浮かべながら渡り廊下から中庭に降りて、俺の座るベンチへ歩いて来る。


「前から思ってたけど、お前結構毒舌だよな、。」


「思った事を述べたまでです。」


俺は目を閉じて其れだけ言うと、ふと隣に座った彼を見た。


前屈みになって座り、下を向いて居る。膝の間で組まれた手は少し震えて居る様に見えた。

覚悟を決め切れて居ない様な、未だ迷いの映る瞳が緑のハットの下で揺れて居る。


俺は中庭の中央にある噴水の方へ視線を移し、声を出した。


「……其れで、こんな時間に呼び出しておいて何も聞かせないつもりでは無いでしょう。」


左に座る彼の肩が、ぴくりと揺れたのが分かる。


彼は大きく深呼吸すると、前屈みだった身体を起こしてベンチの背もたれに身体を預けた。

そしてゆっくりと口を開く。


「……もう何年も前。俺には、“マーチ”って言う名の、親友がいた。」


先輩は一つ一つ、言葉を選ぶ様にして話した。


「マーチはウサギの獣人で、時計屋の息子だったんだ。オレの家はあいつの家の隣の帽子屋だった。」


「幼馴染、ですか。」


思い出す様に空を見上げながら話す先輩に、俺がそう問うと、彼は頷いて続ける。


「オレとマーチはお茶会が大好きでさ。


マーチが、いつも持ち歩いてるお気に入りの懐中時計を掲げて、『お茶の時間だよ!』って……隣の家のオレをいつも誘いにきたんだ。


よくオレんちの庭で、ティーセットを広げてた。」


其処まで言うと、ハッター先輩の表情が曇った。


「……でもあの日……、お茶会の最中だった。

大柄の知らない男二人が庭に入ってきて、オレたちを連れ去ろうとした。」


それを聞いて、空気がずしりと重くなった様な感覚を覚える。


人攫い。


今から7, 8年程前、ローズ王国の西側で起こった、大規模な連続子供誘拐事件。


犯人の行方は未だ判明しないまま、事件は殆ど迷宮入り状態だ。

今も何人もの子供達が行方不明のままだと言う。


まさか、彼らはあの事件の被害者だったのか?


「……あいつらは、一緒に逃げるオレとマーチを追いかけて来たけど……、


ウサギ獣人のマーチより、動きの鈍いオレの方が捕まえやすいと思ったんだろうな。


……狙われたのはオレだった。」


先輩は俯いてハットを深く被った。泣きそうに揺れる瞳が、つばで隠れる。


「……テーブルの上のティーセットが薙ぎ倒されて、地面に落ちて割れるがやけに記憶に残ってる。


あいつらの手が、あと少しでオレの腕を掴もうって時だった。


……マーチが、オレを蹴飛ばしてにがしたんだ。」


俺は目を見開いた。其れは、予想して居なかった。


「では、“マーチ”さんは……。」


俺が声を出すと、先輩はゆっくりと頷いた。


「…………オレの代わりに、捕まった。」


俺と先輩の間にしばらくの重たい沈黙が流れる。其の沈黙を終わらせたのは、語り続ける彼の声だった。


「必死で逃げて、大人を連れて戻った時にはもう、誰も居なくて……。

残ってたのは割れたティーセットと、砕けたマーチの懐中時計だけだった。」


あの時、先輩の瞳の中に見えた、あの割れたティーセットと時計の影。

あれは其の時の光景だったのか。


先輩はローブのポケットから何かを取り出して、眺める。


「……マーチのだよ。」


そう呟く彼の手に握られて居るのは、粉々に砕けた懐中時計だった。


歯車やバネがはみ出して、針も折れて居る。


そんな時計を、未だポケットに入れて持ち歩いて居るのか、此の人は。


「…………あいつは、オレを蹴った時に足を掴まれて、連れてかれた。


あいつ、普段は気の弱いやつで……大きな声を出したことすらほとんど無かったのに。


あの日は必死でオレの名前を叫んで、『逃げろ』って叫んでた。


オレのことなんか、放っておけば良かったのに。

オレの……いや、オレたちの時間は、あの日この時計と一緒に止まったままだ。」


俺は何も言えなかった。痛い程分かってしまったのだ。

もしも大切な人が、自分を庇って犠牲になったら……れだけ辛く、悲しく、苦しいか。


俺の脳裏に、あの時の光景が浮かぶ。

同時に息が詰まって、吸えなくなった。


押さえ込んで居た“感情”が、其の顔を覗かせて居る。


「ブラックくん?」


其の声で、はっと我に帰った。


「大丈夫?顔色悪いけど……。」


そう言ってハッター先輩が俺の顔を覗き込んで居る。其れは貴方も同じだろう、と考えたが、そんな事を口にする余裕は無かった。


「……大丈夫です、すみません。」


俺は片手で視界を覆う様に頭を押さえ、目を閉じた。少し呼吸が落ち着いたので、俺は再度話を戻して訊いた。


「“マーチ”さんは……未だ、生きて居るんですか。」


「……分からない。

何の手掛かりも無くて……警察の捜査も、難航してる。て言うか、ほぼお蔵入り状態。」


其処までは、俺も知って居る。ニュースにもなった大事件なのだから、当然だが。

俺は返した。


「……では、んですね。」


俺の一言に、先輩が目を見開いた。まるでそんな風に考えた事など一度も無かったとでも言う様に。


「何ですか。其の顔は。まさか貴方、諦めて居るのでは無いでしょうね。」


俺がそう問い詰めると、先輩は「でも…、」と口籠もりながら返して来る。


「オレに何ができるって言うんだよ……。」


「探すんですよ。」


そう一言言うと、彼は「は?」と驚いた様な間抜けな声を出した。


「生きて居る可能性が少しでも残って居るなら、探すんです。俺が貴方の立場なら、絶対にそうする。


無理だと決めつけて何もしないよりは絶対に良い。」


俺はベンチの背もたれに寄りかかって其処まで言うと、目を閉じた。


「其れに貴方は未だ、希望を捨てては居ない。」


ハッター先輩が息を呑んだのが、目を閉じて居ても分かった。


「違いますか?」


目を開き、彼を見据えてそう問うと、彼は少々怪訝けげんな顔をして返して来る。


「……何でそう言えるんだ?」


俺は俯いて、そっと呟く様に言った。


「分かるんです。俺は……いや、……俺、自分の所為せいで大切な人を失う経験を……、」


ひゅっ、っと息の詰まる音がする。俺は思わず激しく咳き込んで、口を押さえた。


先輩は焦って俺の背中を摩りながら声をかけて来る。


「おい、大丈夫か!?いい、いい、無理に言わなくて……!

……お前の固有魔法、そう言うことだったのかよ……。」


目を閉じて、大きく深呼吸をした。何とか呼吸を落ち着かせてから、俺は先輩に言う。


「……其の方の……“マーチ”さんの、特徴を教えて下さい。」


先輩が何か言うのも待たずに、俺は一言付け足した。


「……俺も、捜索の手助けになります。」



「……今日はこの辺にしておこう。」


アンサーはそっと言ってカップを置いた。

身を乗り出して聞いていた老人が不満そうに椅子の背もたれに倒れ込む。


「っおい、ここからって所で…!」


「“次”の楽しみがあった方が良いだろう。」


クスクスと楽しそうに笑って、アンサーがそう言う。


「あんたの悪戯いたずら癖は昔からなのか…?話を聞いてる所じゃ、『マッド』にもそんな感じじゃないか。」


老人が少し呆れたような声で訊くと、アンサーはフッと笑った。


「そうだな……。癖と言うより、さがだ。昔から、人を揶揄からかうのが好きな物でね。」


悪戯いたずら好きの悪ガキか。

あんたにもそんな普通の子供らしい所があったんだな……。」


老人はいつも通り脱いでいたハットを被り直しながら椅子から立ち上がる。


「じゃあ、次こそは最後まで話してくれよ?楽しみにしているからな。」


そう念を押して、老人はコートを羽織り小屋の戸を開けた。


「ああ、分かったよ。」


アンサーはそう返事をして、カップを傾ける。小屋の戸が閉まって、老人の足音が遠くなった頃。アンサーはカップを置いて一人、小さく呟いた。


「……次で、最期さいごだ。」

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