第4話 奇跡の四重奏
四ヶ月ほどが経って、久し振りに訪ねてきた老人が初めに見たのは、扉に背を向けて茶を淹れるアンサーの姿だった。
「遅い。」
アンサーはそう一言言ってカップを置く。
「お前が来るまでにくたばるかと思った。」
「大袈裟だな、悪かったよ。」
老人は顔を
「さて、今日こそは最後まで話してくれるよな?」
期待に満ちた表情で訊く老人に、アンサーは溜息を吐きながら口を開く。
『俺も、捜索の手助けになります。』
そう言った俺を見て、ハッター先輩は一瞬瞳を泳がせたが、少しすると覚悟を決めた様に真っ直ぐ俺を見据えた。
「分かった。オレも、もう逃げねぇ。」
先輩は緑のハットを片手で持ち上げて胸の前まで持ってくると、俺に向かって深々と頭を下げる。
「よろしく、頼む。」
そして先輩は、“マーチ”さんの特徴を一つ一つ思い出す様に語った。
彼曰く、丸くて大きな青い瞳をした男の子で、薄めの茶色をした髪に、同じく茶色のウサギ耳。
そしてウサギ獣人だからか、少し飛び跳ねる様な特徴的な歩き方をするそう。
俺はハッター先輩と別れて寮の自室に戻ってから、早速“マーチ”さんの捜索を開始した。
妖精の血の所為か聴覚が異常に鋭かった俺は、手始めにローズ王国全域の音を少しずつ調べる事にしたのだ。
其の為に先程、ハッター先輩にウサギ獣人の生徒を紹介して貰うよう頼んでおいた。
翌朝、何時も通りフィセル寮長と共に登校しながら、彼女にも軽く事情を伝えた。
「何でも協力するよ!」と、初めて会った時から変わらぬ明るい笑顔で言う彼女に、俺の胸がまた騒がしくなる。
彼女と居ると、何故こんなにも鼓動が跳ねるのか。
「おはよ、お二人さん。」
廊下を歩いて居ると、前から声がした。見るとそこにはハッター先輩が立って居る。
フィセル寮長と俺がそれぞれ挨拶を返すと、ハッター先輩が続けた。
「ブラックくん。言ってたウサギ獣人だけど、5人くらいで足りる?」
其れに俺が頷くと、フィセル寮長が無邪気に首を傾げる。
「マーチくんって、ウサギさんなの?」
ハッター先輩は顔を青くして目を見開いた。
「ブラックくん、言ったの!?」
「貴方の昔の友人を探す、とだけ。」
俺がそう説明すると、先輩がホッと息をついたのが分かった。
ハッター先輩は一部を伏せつつ、フィセル寮長にも話の大枠を説明する。
「ボクも手伝う!協力させて!」
寮長はふわっと笑ってそう言う。
やはり、彼女の笑顔は眩しい。
彼女と共に居ると、何故だか顔が熱を持つ気がした。
フィセル寮長は其れから毎日の様に、捜索を続ける俺達の所へ顔を出してくれた。
彼女は毎回、魔法薬の入った小瓶を渡しに来る。
光の粒がキラキラと瞬く、不思議な色の液体を飲み干すと、其の瞬間に世界の音が一層鮮明に広がる。
彼女の作る聴覚増強薬は、其れからの俺の捜索に欠かせない物となった。
そしてハッター先輩は、約束通り俺に5人のウサギ獣人を紹介してくれた。
俺は何度も其の足音を聴き比べ、耳に刻み込む。
俺は数日かけてウサギ獣人特有の音を掴み、其れを森や街中で拾った数え切れぬ音と照らし合わせていった。
そして、ある夜。
俺の耳が、深い森の奥から跳ねる様な独特の足音を捉えた。
「……っ、此れだ。」
心臓が高鳴った。高揚感に鳥肌が立つのが分かる。
だが、俺が拾った其の足音は不自然に途切れ途切れだった。
まるで誰かに追われて居るか、或いは強制的に歩かされて居る様な……。
嫌な予感が背筋を走る。
気付けば駆け出して居て、俺は急いで寮の地下室へ向かった。
調査をするにあたって、寮の違うハッター先輩に『共有で使える専用の部屋があると有難い』と依頼された為、此処数日間は其処を三人で使用して居たのだ。
俺が勢い良く扉を開けたので、中に居たハッター先輩がビクッと肩を震わせたのが見えた。
「———見つけた。」
俺がそう呟くと、驚いて振り返って居た先輩は目を見開いて固まる。
「本当!?」
フィセル寮長が急いで机の上にローズ王国の地図を広げた。ハッター先輩も慌てて飛んで来る。
「南の方です。……此の辺り。」
俺は言いながら、ローズ王国の南側にある森の中心辺りを指で円を描く様になぞった。
直ぐに赤いペンを手に取り、俺は再び耳を澄ませる。
跳ねる様な足音、鎖の擦れる音、震えた呼吸音……。
俺は聴き取った其の音の原点を、地図上に赤で印した。
寮長は学校に残り、俺達に何かあった際の報告の役目を受け持ってくれた。
俺とハッター先輩は箒に乗ってローズ王国の南に位置する、深い森へ向かう。
木々が鬱蒼と生い茂る森を音と先輩の案内だけを頼りに進んで行くと、少々開けた場所に出た。
其の中心には大きな石造りの建物が立って居る。壁は高く、ざっと50mは有りそうだ。
「マッド……?」
何処からか、声が聞こえた。
見ると、高い壁に繋がれた鎖の先で茶色いウサギ獣人の少年が目を見開いて此方を見て居る。
「こんなとこで何してんの、早く逃げろ!!」
彼は声を荒げた。隣に立つハッター先輩は彼を見て一瞬硬直したが、直ぐに駆け寄る。
「お前を、助けに来たんだ。
一緒に逃げよう、マーチ……!」
そう言って彼に触れようとする先輩に、俺は静止をかけた。
「待って下さい。
先に、其の首輪を何とかしましょう。」
「首輪?」と先輩が首を傾げる。マーチさんが俯いて言った。
「呪いがかかってるんだ、。逃げようとしたり、逆らうと体に電流が流れる。」
先輩が目を見開いたのが分かった。想像しただけで体が痺れそうな其の話に身震いしながら、俺はマーチさんの首輪に指を近づける。
「解呪します。じっとして居て下さい。」
呪いを瞬時に分析・解呪すると、首輪はカチャリと音を立てて外れた。
マーチさんは、此の状況が現実か信じられない様子で
「マッドっ……!!」
しゃくり上げながら、彼は先輩に抱き付いた。
安心して、緊張の糸が切れたのだろう。
「マーチ。今度はオレが、絶対にお前を守る……!」
先輩は泣きじゃくる彼の身体をぎゅっと抱きしめてそう言った。ハットで隠れて居るが、先輩の目にも涙が浮かんで居るのが分かる。
もう、直ぐ其処まで来て居る。
「先輩。マーチさんを連れて此処を離れて下さい。追っ手は俺が片付けます。」
俺がそう言うと、先輩は当然反対して来た。
だが、今回の目的はマーチさんの救出。捕まっては意味が無い。
俺は先輩を何とか説得して逃すと、背後に迫る追っ手へ向き直った。
———直ぐに唱える。
「『
一瞬にして、施設から音が消え去った。
俺は全てを終わらせてから、警察に通報した。
駆けつけた警官達は直ぐに施設内の捜査に入る。俺は聴覚を利用して、其れを少し手伝う事になった。
罠の位置の把握と解除、残党の始末。
やる事は沢山あった。
気付けば数時間が経過して居たが、其のまま施設内での作業を続けて居ると、森の入り口の方から複数の足音が近づいて来るのが分かった。
荒い呼吸音と俺の名を呼ぶ声が聞こえる。
すると直ぐに施設の扉が開いて、三人が駆け寄って来た。
「フィセル寮長、ハッター先輩、マーチさん。
何故此処に?」
「『何故此処に?』じゃねぇよ!お前が帰ってこないからだろうがっ!!!」
怒鳴り声が廊下に響く。
息を荒げるハッター先輩の声だ。
……何だ、妙に必死だな。
そう思って居ると、俺の横から何かが勢いよく飛びついて来る。
「よかったぁ……怪我はしてない?」
震える声。しがみつく腕。熱が伝わってくる。
フィセル寮長がルビーの様な赤い瞳を潤ませて、俺に抱き付いて居た。
「……はい。」
そう返事をしたが、彼女の温もりに冷静を保つのが
「アンサーくん。
助けてくれて本当にありがとう……!
お礼と言ったらなんだけど……僕、施設の中案内できるよ!」
マーチさんの其の言葉で俺は我に帰り、同時に俺の頭の中でチーム編成が完成した。
マーチさんは案内役。
寮長が優れた魔法薬調合技術で明かりを作成。
俺は今まで通り罠を解除。
そして俺が解除しきれなかった罠が発動した場合、敵襲があった際にハッター先輩が固有魔法で跳ね返す。
三人が俺の指示通り的確に動いてくれたので、施設内捜査のペースは格段に上がった。
「『
「『
俺と先輩の魔法が飛び交う中、寮長とマーチさんは安全な場所まで下がって見守って居る。
其の更に後ろには警官の方々が数名付いて居て、戦闘の合間に彼
『まるで音楽みたいな無駄の無い連携』
『奇跡の四人組だ』
……数日後。
あるニュースが、世に出回った。
———未解決だった七年前の連続子供誘拐事件、無事に解決。この事件が解決するまでには、四人の高校生の尽力があった。
ダークナイトカレッジ所属。
一年生 アンサー・ブラックくん(16)
二年生 ライナ・フィセルさん(17)
三年生 マドリード・ハッターくん(18)
そして誘拐事件の被害者であり他三人の友人。
マーティウス・トックリーくん(18)
彼らのグループ名は、アンサー・ブラックくん命名。
“
この事件の解決をきっかけに、俺達四人は警察から正式に表彰を受けた。
グループ名は、施設捜査の際に警官の方々に言われた言葉……「音楽のような連携」「奇跡の四人組」
其れが咄嗟に浮かんで、そう命名した。
聞かれたので其の場で答えただけだったのだが……、ハッター先輩やフィセル寮長、マーチさんも其の名を気に入ってとても喜んで居たので、良しとしよう。
「アンサー!」
俺はハッと我に帰った。目の前に、ハッター先輩……
「アンサーくん!早く行こ!」
其の隣で、ライナが笑った。
「アンサーくんはやく!」
そうマーチが急かす。促されるまま、椅子からゆっくりと立ち上がった。
「アンサーくんおそ〜い!」
ライナが遠くからそう言って笑った。
彼女の笑顔を見ると、やはりライトを思い出す。
でも俺が彼女に引き寄せられるのは、其の所為だけでは無い筈だ。
俺は自身の跳ねる鼓動を聞きながら記憶を遡って、此の“感情”の名を探した。
…………嗚呼、そうだ。
「待ってくれ、今行く。」
三人にそう声をかけて、小走りで後を追う。
———俺は今、凄く“幸せ”なんだ。
「……此れが、俺達
紅茶を飲みほすアンサーに、じっと聞いて居た老人は微笑んで立ち上がる。
「……楽しかったよ、アンサー。
まさかハッター家のご先祖様とあんたに、そんな絆があったとは。」
アンサーはそれに呆れたように返した。
「マッドの子孫なだけはあるな。やはり何処かイカれてる。」
目を伏せて続ける。
「……俺のかつての友人、マドリード・ハッターは——いい加減で、適当で……そして誰より繊細な、ふざけた帽子屋だったよ。
“カルティエ・ハッター”。」
老人……カルティエは満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、またね。アンサー。」
そう言って、ハットを手に去って行く。戸が閉まって、カルティエの足音が遠ざかる。
「…………または、もう無い。」
アンサーはそう、一言呟いた。
椅子から立ち上り、ゆっくりと窓辺へ移動する。
そっと息を吐くように空へ語りかけた。
「……ライナ。貴女を想うと、未だ涙が出る。
千年という時を生きる妖精に生まれた俺は、こうして一人になる運命だった。
貴女に出会って、俺は其れが一層怖くなったんだ。
だが貴女は教えてくれた……『心は共に在る』と。
愛している。今も貴女を。心から。」
彼は目を閉じて微笑む。
「マーチ。事あるごとに菓子を手渡して来て正直鬱陶しかったが……共に居る時は、嫌いでは無かったぞ。
マッド。お前の子孫は本当にお前にそっくりだな。
馬鹿みたいに明るくて、繊細で……。
だがだからこそ……此の千年、俺は俺で居られた。」
彼は深く息を吸い込んでふと、ひときわ強く輝く星に目を細めた。
「……ライトか。
流石だな。最期まで見守ってくれて居るとは。」
涼しげな夜風を受けて、彼は目を閉じる。
「……もう、そろそろ行くとしよう。
此の千年の土産話を、嫌と言う程聞かせてやるから、
……だから、待って居ろよ。」
夜空に響く独り言は、静かに、しかし確かに彼の決意と感情を刻みつけた。
彼の口元には優しげな笑みが浮かべられ、靡いた髪がそっと頬を撫でている。
安らかに閉じられた黒い瞳は……もう永遠に、孤独を映すことは無いだろう。
昔話 シキ @shikispider
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