第2話 ダークナイトカレッジ
あれから丁度三ヶ月。
空は相変わらず分厚い雲で覆われていた。風が強く、小屋の窓がガタガタと鳴っている。
そんな時、また小屋の戸を叩く音がした。
「続きを聞きに来たのか。」
無表情でそう言いながら、アンサーはカップをテーブルに置いた。
「あれだけ
コートを脱ぎ、強風で乱れた服を整えていた老人はくつくつと喉を鳴らして笑う。
「千年も生きてるあんたに、『爺さん』なんて言われる筋合いないね。」
そう軽口を叩きながら席についた老人は、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑む。
アンサーは眉ひとつ動かさず、静かにカップに口をつけた。
「それにしても、前の昔話……、随分詳しかったね。
まるであんた自身が体験したような言い草だった。」
アンサーは一度、窓の外に目を向ける。
そして、何も言わずに話し始めた。
ダークナイトカレッジへの入学が決まったのは、俺が十六の春だった。
何の興味も無かったが……ただ、暇を潰すには丁度良い場所だと思った。
ダークナイトカレッジ。
五つの寮に分けられた学び舎は、まるで城の様な見た目をして居て、各地から優秀な魔法の才能を持つ者達が集って居た。
新入生は皆式典を行う講堂へ集められる。
周囲の
ずっとそうだった。あいつが居なくなってから。
感情なんて無ければ良い。あんな思いは、二度としたく無い。
「組分けを開始する。」
壇上に立った教諭の声が響いた。
新入生は一人一人名を呼ばれ、順に壇上へ上がる。そして特殊な魔法陣の上へ立った。
すると魔法陣は光を浴び、生徒の頭上に淡い魔光が降り注ぐ。そしてその光は、五つの寮カラーの
赤、『クロックテイル寮』。
黒、『ソーンヴェイル寮』。
他三寮は……また機会が有れば語るとしよう。
俺は一向に終わらない組み分けをぼんやりと眺めながら、自分の番が来るのをただ待って居た。
「アンサー・ブラック。」
魔法陣が輝き魔光が降りた。
そして少ししてから頭上を見上げると———
———光は黒色に変化して居た。
『ソーンヴェイル寮』。
寮長を王と呼び、寮生達は騎士として寮長の補佐をすると言う。
やはりか、と俺は心の何処かで納得する。
其の時だった。
「お、久々に強そうな子来たね〜!」
壇上の右手奥……寮長席から、軽快な声が飛んで来る。
其の声の主を、無意識に目で追った。
そして俺は唖然とする。
視線の先に居たのは、綺麗な白銀の髪を高めに括った女性だ。
其の一瞬、俺の胸は何かに貫かれる様に疼いた。
俺は思わず息を飲む。
「……亡者?」
違う。
だがまるで亡霊が其処に立って居ると錯覚する程、彼女はライトに似て居た。
「じっと見てどうしたの?」
少し遠くからそんな声が飛んで来る。
俺が返す間もなく、軽やかな靴音と共に彼女が歩み寄って来た。彼女は笑顔で首を傾げる。
其の無邪気さが、決定的だった。
俺の中で、何かが揺らぐ。失くした
あの春の日に失った筈の“光”がまた、目の前で笑って居る。そんな錯覚を覚えて、俺は
「
放心した
「ボクはソーンヴェイル寮2年で寮長、ライナ・フィセル。これからはボクが、キミの女王様だよ。
よろしく、ブラックくん!」
そう言って彼女は笑った。
やはり、似て居る。
何故、こんなにもあいつと重ねてしまうのか、自分でも分からなかった。でも———
俺は騎士の様に跪き、彼女に頭を下げた。
「……宜しくお願い致します。フィセル寮長。」
———でも今此の時、彼女が俺の中の何かを動かしたのは事実だ。
「……へぇ……。」
少しして、フィセル寮長の驚いた様な声が聞こえた。
「入学初日で、ここまで騎士らしい子初めてだよ。騎士団志望だったりするの?」
笑顔でそう問われる。俺は跪いたまま少し考えた。
騎士団、か。
特別興味は無い。だが、“光”を失って右も左も分からないままでは何かと不便だろう。
夢を持ってみるのも、悪くは無いのかもしれない。
其れに……不思議と此の人になら、忠誠を誓っても良いと思える。
「……はい。」
俺は少し俯いて答える。
「此の寮に俺が居る以上、必ず貴女をお守りすると約束致します。」
そう言って俺はフィセル寮長の顔を見上げた。
彼女は
「……ふふっ、決めた。」
彼女はそう笑う。
「キミ、“騎士団長”にならない?」
後ろの新入生と教諭達が騒ついたのが聞こえて来る。「一年生で騎士団長など前代未聞だ」と。
しかし寮長は気にする様子も無くニコッと笑って俺を見て居た。
理解、出来ない。
俺が騎士団長?寮長の直属……?
流石に
だって俺は……
「……俺は、あいつを守れなかったのに。」
俺は小声でそっと呟いた。
俺の呟きに彼女は首を傾げる。彼女は少し、考えた様だった。
「じゃあ、これからやる戦闘力テストで合格すれば、キミはボクの騎士団長に相応しい、って事でどう?」
彼女はそう俺に尋ねて来たので、俺はぽかんと呆気に取られる。
そんなに俺を騎士団長にしたいのか?
一度守れなかった俺を?
……
「……分かりました。」
そう答えると、フィセル寮長はふわっと笑う。そして振り返って寮長席の中の誰かを呼んだ。
「マッド!手伝って!」
其方を見ると、一人の男が気怠げに立ち上がる。
銀色の癖毛にグレーの瞳。緑色のハットを被った彼は面倒そうに此方へ歩いて来る。
「なんでオレぇ?」
「キミこー言うの慣れてるでしょ?」
フィセル寮長がそう言った。別の寮の寮長だろうか。
「そりゃ、そうだけどさ。面倒ごとばっかりオレに押し付けてない?」
「オレ一応先輩よ?」と文句を言いながら、彼は俺の前へ立つ。
「ブラックくんだっけ?」
俺は立ち上がって、「はい。」とだけ返した。
「オレはマドリード・ハッター。クロックテイル寮の3年、寮長だ。」
「マッドでいいよ。」と彼は一言付け足す。
「マッドとの勝負で勝ったら、合格だよ。じゃあよろしくね、マッド〜。」
フィセル寮長はそう言って少々離れた。
俺の目の前に立って居た彼……ハッター先輩は、溜息を吐いて俺の方へ向き直る。
「ブラック。これから、君がフィセルの直属騎士に相応しいかを見る。」
彼は先程までの気怠げな話し方とは打って変わって、真剣で余裕のある声色でそう言った。
「何でも良い。オレに攻撃を当ててみな。魔法の使用も許可する。どちらかが降参するまでが、試験だ。」
俺は拍子抜けした。
そんな事で良いのか?
……
攻撃魔法を防げる様な力、そう例えば……
固有魔法とか。
「……分かりました。」
俺は静かに言って、戦闘姿勢を取った。
一度守れなかった俺に、務まるのか?
未だそう言う考えが無くなった訳では無い。
でも。
次は“守る”為に。もう二度と、失わない為に。
俺は試しに、右手の平から火球を出して放ってみる。
すると、彼は唱えた。
「『鏡に映るものすべて、そっくりそのままお返しするよ。
瞬間、放った火球が彼の体の直ぐ前で何かにぶつかって跳ね返り、俺の方へ向かって来た。
俺は戻って来た炎を寸前で受け止め、掌の中に握り潰す様にして吸収する。
「……
俺が声を出すと先輩はフッと余裕な笑みを浮かべる。
相手の攻撃を反射させ、相手に返す技と言った所か。
放った攻撃が其のままの威力で跳ね返るなら、余り強い攻撃は出来ない。此の人は其れを狙って居る。
其方が固有魔法を出すのならば——目には目を、だ。
「——『現実を見ろ。過去は消えない。その全てはお前の
先輩は身構えたが、俺が唱えても何も起こらない。ただ一部の者には微かに耳鳴りの様な不快な高音が聞こえた程度だった。
一瞬の静寂が場を包む。「不発か?」そんな空気が漂った、其の時。
「グッ……、う、何だこれ……っ、
頭の中に、っ流れ込んで……!!」
先輩が頭を押さえて地面に膝を付いた。俺はゆっくりと彼の側まで歩く。
「降参と、見做して良いでしょうか。」
そう言った俺の声は、
目を見開いて震える彼は息を切らしながら何かを呟いて居る。
「マー、チ……っ、!」
俺は少し、眉を
頭を押さえて震える彼の焦点の合わない瞳を覗き込むと、砕けた懐中時計と割れたティーセットがチラついた気がした。
俺の固有魔法は目に見えず、
そして———
「——『
俺がそう唱えると、彼は地面に座り込んだまま
——そして、俺が解除するまで解けない。
「俺の勝ち、ですかね。」
俺は先輩の息が落ち着くまで待って、そう訊いた。彼は驚いた様に俺の顔を見上げて来る。
彼の瞳にはもう懐中時計やティーセットの影は無くて、彼の瞳を覗き込む俺の姿がただ揺らいで映って居るだけだった。
「……ああ、君の勝ちだよ、」
彼はそう言ってふらりと立ち上がる。
「降参する。……完敗だ、ブラック。」
両手を挙げて言う先輩の其の声を合図に、周囲は再び騒めきを取り戻した。
するとハッター先輩は少々顔を歪めながら口を開く。
「随分、酷い記憶を見せる魔法だな。
やめてくれよ、またあの時の音が頭から離れなくなる……。」
頭を押さえてそう苦い笑みを浮かべる彼の手が未だ少し震えて居た。
音、か。
先輩のグレーの瞳が伏せられ、辛そうに揺れて居るのが分かる。
「マーチ」と言う人の事を、考えて居るのだろうか。
そうして居ると先輩は少し離れた位置に向かって声を出した。
「フィセル!見てたな?」
其の声に俺ははっと我に返って少し離れた位置に居るフィセル寮長を見た。
一瞬、場の空気が止まる。
彼女は呆気に取られた様な表情で此方を見て居た。
「……格好いい……!!」
フィセル寮長はそう目を輝かせて俺の方へ駆け寄って来た。俺の手を握って続ける。
「今の、キミの固有魔法?見たところ、精神系かな?どんな魔法なの?魔法の軌跡が全く見えなかったから驚いたよ!!」
そう殆ど息もつかずに捲し立てた。俺はその勢いに圧倒されて後ずさる。
期待に満ちた表情で、ルビーの様な赤い瞳を輝かせる寮長に、俺は戸惑いながら口を開いた。
「……『
俺は言うのを少し
そう思って居たその時。
「凄〜い!マッドを一撃とか強過ぎ!!」
フィセル寮長は相変わらずの明るい笑顔でそう言って、俺の手を更にぎゅっと握って来たのだ。
——鼓動が、
「……怖く、無いんですか。」
俺は驚きの余り、握られた手を見つめながらそう尋ねた。
「なんで?格好いいじゃん!」
彼女は嬉しそうにニコニコ笑う。
……何故だ?
今日、彼女に出会ってからずっと、胸の辺りが騒がしい。
彼女の笑顔には不思議な引力があって……俺は其の日、ずっと彼女から目を離せなかった。
「……今日は、此処までだ。」
アンサーはそう言ってカップを傾けた。
「恋、ってとこかい?」
老人がにやりと笑ってそう問う。アンサーは少し考えてから返した。
「……そうだな。思えばこの時からかもしれない。
彼女を愛す様になったのは。」
老人はくくっと笑う。
「じゃあ、次来る時に続きを聞かせてくれよ。
『マッド』の過去が気になる所だ。」
老人の言葉に、アンサーは溜息を吐いて言った。
「……お前が暗い話が好きだとは知らなかった。」
「人間の“心の形”が垣間見える、そういう瞬間が——オレは好きなんでね。」
そう言って老人はゆっくりと立ち上がり、コートを羽織る。ちらと窓の外を見やり、にやりと笑った。
「じゃあ次は、もう少し“明るい話”を頼むよ。
……ブラックくん?」
アンサーは溜息を吐き、ハットを手に取って扉へ向かう老人の背を見送った。
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