昔話

シキ

第1話 “感情”

「其の日は、快晴だった。」


男が口を開いた。


「其の日、彼は大切な人を失った。」


暗い部屋に、男の低い声だけが響く。窓の外は豪雨だった。


男は黒い長髪に赤い毛先をしていて、顔を隠すように下を向いている。


揺れる前髪の間からチラつく黒い瞳は伏せられ、まるで辛い過去を見るように揺れていた。


そんな男の座るテーブルの反対側には、白髪の老人が向かい合うように座っている。


「昔話か?」


そう、老人が一言訊いた。


「……ああ、昔話だ。」


と、男は答える。


「豪雨が止むまで位なら、話してやっても良い。千年も生きて居ると、時間は有り余るからな。」


男はそう続けた。ふと顔を上げた男の顔はとても整っていて、20歳前後の若い青年に見える。

老人はフッと笑って頬杖をついた。


「ヒマ潰しか。千年もの時を生きる大魔法士の語る昔話…、友人としてとても興味がある。


……いいよ、続けてくれ。」


それを聞いて、男はゆっくりと話し出した。



昔々、ローズ王国——妖精や人間など様々な種族が共存する小国に、正反対の兄弟が居た。


兄の肌は雪の様に白く、毛先が赤く染まった黒い長髪を低く一つに括って居る。


微笑ましそうに細められる彼の黒い瞳は、何時いつも弟を見て居た。


弟は白い短髪に赤い毛先。


肌は白く、其の黒い瞳は何時いつも嬉しそうに兄を見上げて居る。


此の兄弟は、遠い昔に妖精の血を引く一族。


妖精の中にも多くの種族が居て、体の大きさも手の平に乗る程小さな者から、人間と同じ位の大きな者まで様々だ。


兄弟の先祖は体の大きな種族であった。


兄には妖精の特徴が色濃く出て居た。しかし弟には殆ど妖精の力は無い。


其の代わり、弟は魔法が使えた。彼だけの固有魔法、『希望の道ブライト・ロード』。

かけた相手の未来を照らし、良い方向へ導く。そんな魔法だった。


固有魔法と言うのは、其の者固有の個人専用魔法の事だ。通常、固有魔法は十歳前後で発現すると言われるが、弟は僅か二歳で其れを成し遂げたのである。


しかし逆に、兄は固有魔法を使えなかった。

……いや、興味が向かず魔法と言う物自体を学んで居なかった、と言った方が良いか。


妖精の血のお陰か、兄は耳が良かった。逆に弟はそうでは無かった。


また其の血の影響で、兄は寿命が長いと医者から診断を受けた。ざっと千年程らしい。

逆に弟は人間と同じく、生きて百年前後だそう。


「そんなに長く生きたく無い。」


兄はそうボヤいたが、


「妖精の血のおかげで、年とってもシワシワにならないんだって!いいじゃん!」


と弟が笑って茶化す。


兄は影の様な暗く冷たい印象の人物だったが、弟は逆に光の様な明るく暖かい人物だった。


とことん正反対な兄弟は、とても仲が良かった。


しかし……兄弟は其の日、引き裂かれる事になる。



兄が六つか七つの頃。三つ下の弟と一緒に、地元であるローズ王国の首都、『スカーレット』の街に遊びに出た。


久し振りの二人だけでの外出に、兄弟は少々浮かれて居た。


『前に出かけたのは俺の誕生日バレンタインデーだったか。』


そう思い出しながら、兄は弟の手を握って歩いて居た。


「兄ちゃんとおでかけひさしぶり~!」


隣を歩く弟、ライトはそう楽しそうに兄の手を引いて居た。「早くいこうよ!」と急かす様に。


兄は幸せだった。隣で弟が笑って居る。其れだけで十分だった。しかし——


——幸せは、一瞬で消える。


はしゃいだライトが前から歩いて来た人間とぶつかり、しっかりと手に握って居たお気に入りのぬいぐるみを車道の方に手放してしまったのだ。


其のぬいぐるみは白いうさぎの形をして居て、少し前に兄が作ってくれた物だった。ライトは其れを何時いつも、肌身離さず持ち歩いて居た。


ライトは一瞬焦った様な顔をして、ぐに兄の手から離れて車道に飛び出す。


「っおい!そっちは車道——!」


其の声は届かなかった。彼の手は、空を掴んだ。


“ドン!!ヒヒーン!!”


そう高く嘶く馬の声がして、ライトの身体は宙を舞った。


何が起こったのか、理解するのに数秒かかった。


「……ライ…ト…?」


彼は声を出した。しかし、ライトの口から其の返事を聞く事は、二度と無かった。


彼は膝から地面に崩れ落ちる。


ライトは、少し前まで笑って居た。


まさか多くの馬車が走るこの道路で、ぬいぐるみの為だけに勝手に車道へ飛び出すとは、兄は夢にも思って居なかった。


その光景は、凄惨な物だった。


地面に投げ出された弟の腕、弟の頭部から流れる緋色の血、先程まで聞こえて居た弟の鼓動が…段々と消えて行く感覚…。


兄はしばらくの間放心したまま、遠くから聞こえて来る救急隊の声が段々と近づいて来るのをただ感じて居た。



医者からライトの死を告げられた時も、

眠るライトの顔に白布を被せるのを見た時も、

葬儀の瞬間でさえも。

兄は今目の前で起きて居る事が現実だと信じられなかった。


葬儀が終わって家に帰ると、何だか妙に家の中が静かで、妙に広く感じた。


彼とライトが二人で使っていた部屋に戻ると、彼はそこで、ようやく理解した。


『ライトはもう居ない。』

『もう二度と、会う事は叶わない。』


理解した瞬間、彼の目から勝手に涙が溢れた。

後から後から、溢れた涙が彼の頬を伝う。



手を伸ばせば、届く距離だった。



俺が、もう少し早く気づいて手を伸ばして居れば。


俺が、ライトの手を放さずしっかり握って居れば。


俺が、「街に行こう」なんて言わなければ……?



ぐるぐると渦巻く思考の中で、彼はそうひたすら悔やんだ。


耳の良い彼にはあの時、馬車の音は随分前から聞こえて居たのに。もっと早い段階で気付けた筈なのに。



何故、俺の手は間に合わなかった?

何故、俺はあいつの手を放した?

何故、俺はあいつを守れなかった?


辛い。

苦しい。

悲しい。


……寂しい。



彼は如何どうしようも無い喪失感に襲われて、ベッドへ寝転ぶ。


弟の為に作った、弟が一番気に入って居たあの白うさぎのぬいぐるみを抱えて、兄はずっと泣き続けた。



涙が止まらない。

もう嫌だ。もうこんな苦しい思いをするのは嫌だ。



何日も、何日も、そんな日が続いたある時。彼の中で、“プツン”と何かが切れる音がした。



———『そうか。“感情”が無ければ良いんだ。』



彼はそう思い立ち、其の大き過ぎる喪失感から逃れる為に、“感情”を封印した———。


感情が無い事は特に生活に何の支障も来たさ無かった。


頭に霧がかかった様なボーッとした感覚はあったが、慣れれば如何どうと言う事は無い。


思考ははっきりして居るし、判断力は前より上がった。余計な情に駆られて、躊躇ちゅうちょする事が無くなったからだろう。


でも、ただ一つ———


———彼の母は、感情を捨てた彼を見て涙を流した。


泣きながら彼の身体を抱きしめて、ひたすら名を呼んだ。


そんな母を見て尚、彼の中には何の感情も湧かなかった。ただ母の背を撫でて慰める他無かった。

其れ以外に彼に出来る事は無かった。


そんな色褪せた日々の中。母が突然、古い魔導書を引っ張り出して来る。


「魔法に興味は無い?」


そう言いながら、母は彼に魔導書の中身を見せる。沢山の魔法陣や呪文がびっしりと載った其の魔導書に、彼は少しだけ興味を持った。


何かしら、気を紛らわす手段が欲しかったのかもしれない。


「もし魔法を使える様になったら、誰かを守る事が出来る。

貴方ならきっと、大勢の人を救う魔法士になれるわ。」


母はそう言って笑った。でも其の言葉の後に、


「……もしかしたら、感情を思い出すかもしれないし、ね。」


そう独り言の様に小さく付け足したのを、彼は聞き逃さなかった。


其れから彼は沢山の魔導書に囲まれて過ごす日々を送った。


魔導書を参考に自身で魔法陣を書いてみたり、片手に魔導書を持ちながら庭に出て箒に乗ってみたり…。


その全てを、彼のは軽くこなしてしまった。


如何どうやら、自分には魔法の才能が有るらしい。


そう気づいてから、彼は益々ますます魔法にのめり込んだ。


医者にかかった時に聞いた所、彼の魔力は常人とは比べ物にならない程強く、世界でも最上位に入る程強大だと言うのだ。


其れを知っても尚、彼の中には何の感情も湧き起こって来なかったが、ただ一つ思った事があるとするなら……


『其れ程の強大な力を持って居たのに、俺は何故、あいつを守ってやれなかったのか。』


考え事をする時、彼は空へ逃げた。


箒に乗って高く高く———遠くまで。


空は限りなく広くて、自由だった。そして何となく、落ち着いた。


箒の上に立って、夕日に照らされた街並みをただぼんやり眺め、頭を空っぽにする時間。其れが、彼の唯一の休息だった。


そんなある日。彼は何時いつもの様に空へ飛び立って、しばらくの間考え事をしたのち、箒を物置に戻して部屋に戻った、其の時。


突然、彼の手から魔力が漏れる。疑問に思うよりも先に、彼の口が勝手に動いて唱えた。



「———『現実を見ろ。過去は消えない。その全てはお前の所為せいだ。


心的外傷アトーンメント・フラッシュバック』」



突如として彼の身体は地面に崩れ落ちた。



苦しい。辛い。悲しい。



頭の中にあの時の光景が、カメラのフラッシュのごとく次々と蘇る。


力の抜けた細い腕、辺りに漂う強烈な鉄の匂い、周りの音が遠のく感覚……。


其の全てが嫌と言う程鮮やかに、明確に思い起こされる。もう二度と思い出す事も無いと思って居た感情が其の瞬間に蘇った。


「やめ、ろ……、っもう、やめてくれ……っ!!」


彼は地面に膝をついて頭を押さえながらそう声を振り絞った。彼の頭に、ライトの顔が浮かぶ。


「ライ…ト…っ!!…助けて、、ライトっ……!」



お前を失ってから、俺にはもう“希望の道”なんて見えなくなった。

お前の光が無きゃ、影である俺は、自分が何処に居て何処に向かって居るのか分から無いんだ。


頼む、ライト。助けてくれ。俺に光を、……赦しを与えてくれ……!



「———『黎星ルクス』。」



彼の口が、また唱えた。瞬間、先程までの焼ける様な苦しみは消え失せ、後にはただ激しい息切れと記憶の余韻が残った。


此の時の無意識の詠唱が、彼の固有魔法発現の瞬間だった。


彼の魔法は、『心的外傷アトーンメント・フラッシュバック』。


かけた相手の一番思い出したく無い辛い記憶を強制的に蘇らせる、非常に危険な魔法だ。


解除呪文は——『黎星ルクス』。



あの事故から九年程経って十六歳になった彼は、もう魔導書の内容も全て覚え切り、遂にやる事が無くなって居た。

そんな時、彼の元に一通の手紙が届く。


黒い封筒に、金の文字で書かれた手紙。



おめでとうございます。

この度貴方に、我が魔法士養成高校・ダークナイトカレッジへの入学許可が降りましたので通知致します。



名門魔法高校からの入学許可証。彼の母は其れを見てとても喜んだ。


ダークナイトカレッジは、ローズ王国の北部に位置する、世界的にも有名な魔法学校だ。優秀な才能を持つ生徒が世界中から集う、正に名門校。


「名誉な事だ」と周りは皆言う。

興味も何も無かったが、彼は流されるがままに名門校ダークナイトカレッジへの入学を決めた。



「彼は未だ此の時、知らなかった。

此の決定が、彼の運命を一変させる出逢いのきっかけとなる事を———。」


男は話し終えると、ふっと顔を上げる。

じっと話を聞いていた老人は一言訊いた。


「……昔話か?」


そして男は返す。


「ああ、昔話だ。」


男は窓の外に視線を移した。

先程までの豪雨はすっかり収まって、雲間から陽光が刺して来ているのが見える。


「……さぁ、豪雨は止んだ。とっとと帰れ。」


「ああ、ヒマ潰しに聞くには暗い話だったが……、楽しかったよ。


やはり千年も生きると、語気が違うね。」


冷たく言い放つ男に、老人は優しくそう言って上着を羽織った。


「……老人だと云いたいのか?」


男は黒い瞳をぎらつかせて老人を睨む。


「いいや?ただ、話し方に威厳があると思っただけさ。」


そう言いながら、老人は脱いでいたハットを被り直して玄関の戸に手をかけた。


「今の話、続きが気になるな。が感情を取り戻せたのかどうかは、次来た時に聞く事にしよう。


また来るよ、話をありがとう。」


振り返ってそう礼を言うと、老人は戸を開ける。


「もう来るな。」


男は言う。


「そう言うなよ、。本当に楽しかったんだ。また、頼むよ。」


老人はそう残して出て行った。


男はしばらく黙って、老人が出て行った後の戸を眺めていたが、ふと立ち上がって窓辺に置かれた椅子に移動する。


そして陽光の差す雲間を横目に眺めながら小さく口を開いた。


「……の名は、“アンサー・ブラック”。

ライト・ブラックを失い、感情を閉ざした男の名だ。」


男……アンサーが放ったその声は、老人が出て行った後の暗い部屋の隅に、静かに消えて行った。

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