第5話:王太子と弟子、再会の裏側

「あなたの正体を、王太子はどこまで知っているのかしらね」


イレーヌ嬢のその言葉が、耳の奥に残っていた。

まるで毒のようにじわじわと、私の中を侵していく。


王太子ルキウス殿下は、私が“ただの教育係”ではないことを知っている。

けれど、それが《ナイチンゲール》その人であるとは、まだ知らない。

――おそらくは。


「ミレイユ嬢」


不意に背後から声をかけられ、私は軽く振り返る。


「殿下……」


控えの間には、いつの間にかルキウス殿下の姿があった。

警護も連れず、ひとりで現れるなど、軽挙に見えて、彼の常套手段だ。


「君に話がある。……夜、庭園まで来てもらえるかな?」


「……承知いたしました」


その声の奥に、何かを感じた。

問いではない。――“答え合わせ”をしようという意図。


その夜。

人気のない庭園の一角で、私は彼と向かい合っていた。


「昨日、“南棟の地下倉庫”に出入りしていた人物がいると報告を受けた」


「……殿下も、お耳が早いのですね」


「君の元“弟子”だった人物だと聞いた。名は、セドリック」


私は小さく息をついた。

その名は、十年前、私の“任務”に巻き込んでしまった少年のものだ。


かつて私は、彼の故郷の村に潜伏していた。

任務の対象は、その村に身を潜めていた“粛清対象の元王族”。

私はそれを確実に始末した。

だが、偶然その場にいた孤児の少年――セドリックに、私の姿を見られた。


――そして、私は彼を殺せなかった。


代わりに、口封じとして自ら弟子として引き取り、戦闘術を叩き込んだ。

感情を捨て、ただ任務に生きる“暗殺者”として育てようとした。


けれど彼は、途中で姿を消した。


「君は、彼を……“救った”のか?」


王太子の問いに、私は首を横に振る。


「救ってなどおりません。ただ、命を奪えなかった。それだけのことです」


「それでも、彼は君を恨んではいないようだ。“お前に会えてよかった”と言っていたらしい」


私は口を閉ざした。


ルキウス殿下はしばらく私を見つめ――そして、ぽつりとつぶやいた。


「……セドリックの父親は、かつて王家の近衛で、俺の父を守って命を落とした人物だ」


「……」


「君が彼を殺さなかったことを、俺は“正しい”とは思わない。だが、感謝はしている」


彼の声は、かすかに揺れていた。


それが、王としての発言ではなく、“ただの人間”の想いから来るものだと、私はすぐに察した。


「殿下」


「……なんだい」


「わたくしは、感情を持たぬ教育係です。

けれど、セドリックのあの目を見たときだけは――今でも、後悔しております」


そうして私は、仮面の奥の“本当の自分”が、小さく音を立ててひび割れていくのを感じた。


その夜、王太子の部屋に黒衣の者が再び忍び込んだ。


だが、すでに《ナイチンゲール》がそこにいた。


私はその刺客を無言で始末し、その胸元に仕込まれた封筒を抜き取る。


――『第二王子派より、王太子殿下の排除を指示』。


この国の継承戦は、いよいよ血に染まる。


私は仮面のまま、王宮の闇へと消えた。


その背に、王太子の沈黙の気配を感じながら――

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