第一章:咎の花嫁

春は、まだ村にとどまっていた。


花々は咲ききらず、風には微かな湿り気が残っていた。 川辺に咲いた白い花が、ひとひらずつ水に溶けてゆくたび、季節の名残がすこしずつ遠ざかっていく。


そしてこの村でも、またひとつ、“名残”が終わろうとしていた。


「——あの子は、“神気”を纏っている」


それは、祭りの終わりにひとりの神官が呟いた言葉だった。 春の供物を納めた祠の前、火が揺れるその横顔は、どこか冷えていた。


その視線の先にいたのは、金の髪にサファイアの瞳をもつ小さな少女。 純白の花の冠をかぶり、まるで“祝福そのもの”のように笑っていた。


名を、アリア。


神官は黙って祠に祈りを捧げたあと、誰にも告げずに、空に向けて短く言葉を放った。


【神の咎、確認せり。審問を請う】


それは、世界の摂理を司る“裁定神”への報せ。 翌朝には、天に通じる門が開かれ、神々の耳に届くだろう。


そしてその“咎”が誰の祈りによって咲いたのかを、明らかにするために。 神々は静かに、秤を持つ用意を始める。


だが、まだ何も知らぬ家族は、夜空の下で寄り添っていた。


「お星さま、いっぱい!」


アリアはサーシャの腕に包まれながら、空を見上げていた。 指先で星をなぞりながら、声を弾ませる。


「ねぇ、ママ。“これ”が消えたら、どうなるの?」


「どれのこと?」


サーシャがそっと微笑むと、アリアは小さな指でひとつの星をさした。


「この子! わたし、この星がいちばん好き。  だから、きえてほしくない」


母は少しだけ黙って、頬を撫でる。


「この星が消えたら……そうね。ママは、ママじゃなくなっちゃうかもしれない」


「……やだ!」


アリアは慌てて指を引っ込めた。


「そしたら、ママに“ずっとママ”でいてもらうための、やくそくしよう」


「やくそく?」


「“指きり”ってやつ!」


小さな手が差し出される。 サーシャは、一瞬目を伏せたあと、ゆっくりとその指に絡める。


「指切りげんまん、うそついたら——」


「お星さまに食べられちゃう!」


アリアは笑う。サーシャも、それに合わせて優しく笑った。


その頭上で、夜空の星が瞬いた。


誰も見ていなかったが、あの星だけは、ほんの少し強く、輝いていた。


——そして明け方、天は割れた。


光の柱が村を貫き、“裁定の使い”が降り立った。


神の座が、ひとつの命を量ろうとしている。


けれどこの物語は、“測れなかった秤”の話。


そして、“咲いてしまった祈り”の始まりである。


——第一章、了。

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