第2話

「あの、ごめんなさい…いきなり飛び出したりして…」

女にかけられた言葉にはっとした。

それまで上手く状況が呑み込めていなかった。

頭の中を言葉が回る。なぜこんな時間に女が出歩いている。それも子連れで。

しかしその思考は数秒の間にある結論に帰着した。

あぁそうか、今ではこれが普通なのかと。

新作は戦地から帰ってきてからの一月弱ほとんど人との関わりを持たず、路肩に蹲るだけの毎日を過ごした。

1日の間に2度も人と言葉を交わしたのはもしかしたら帰ってきてはじめての出来事かもしれない。

「えっと…いえ、その、俺の方もあまり前見てなかったので…」

不思議なほど言葉につまる。

緊張しているのか、いや違う。

絶望しているのだ。この国の未来に。

こんなにも幼い母子が路頭に迷い夜中の道をうろつくような、この国の。

それでも人間というものは慣習によく囚われているらしい。

「どうなさったんですか、こんな時間に」

気付けばこんな言葉をかけていた。

女の方は俯いたまま黙って頭を振るだけである。

煩わしい。そうとしか感じなかった。

なぜ自分の方から会話を広げようとしたのかと胸中で悪態をつくが、すぐにその感情もどこかへと流されていった。

「ねぇ、おじさんだぁれ?」

突然、間の抜けた幼い声が聞こえた。

下に視線を向けると女に手を握られた幼子がこちらを透き通るような瞳で見つめていた。

「お腹空いた!」

こちらの状況を理解していないのか無邪気に腕を振り上げてそう訴えてくる子供からは、どうしても視線を外すことは出来なかった。

少し慌てたように女は声を上げた子供を窘める。

「すみません…こら、柚子。少しは辛抱して」

そう言った彼女の声は今までとは異なり、どこか懐かしいような空気を纏ったものだった。

女の方もまだ若いようだが、母子であろうか。

だとすれば夫は戦死か。酷いものだなとどこか冷めた視点で俯瞰する自分。

それに気付いた新作はまた、自らをどうしようもないと突き放すのだった。

これ以上何も話すことも無いなと考え、その場を後にしようと踵を返した。

「では、これで。」

一歩二歩踏み出したところで女の声が聞こえた。

「あ、あの…厚かましいお願いですが、どうかほんの少しだけでいいので食べ物を譲っては頂けませんか。」

消え入るような声だった。

ある意味予想はしていた。初見から感じていた死に近しい匂い。子供の方は痩せてはいるものの、そこまで健康に影響は出ていない様子だ。

しかし女の方はどうだろう。

見るからに細く折れそうな腕、頬骨の浮いた骸骨のような顔。完全な栄養失調だった。

最も新作自身もあまり人のことを言える体ではないのだが、それでも幾分はマシである。

けれど応えはひとつだ。

「申し訳ないが、他を当たってくれないか。

自分も余裕のある身ではない。」

そうでなければ通りにうずくまり、迎えを待つような格好はしない。

「そう…ですよね、すみません…」

あまり落胆の色はない。

大方予想のついた質問だったのだろう。けれど聞かずには居られないそんな所だ。

新作はあまり時間をかけないようしながらぼろぼろの外套の裾から硬貨を取り出し、女へと投げるように渡した。

ほんの一瞬目に写った彼女の顔が驚きに染まる。

彼は気にしないようにとそのまま振り返らず通りへと戻って行った。

後ろから感謝の言葉が聴こえた気がしたが無視した。あまり人と関わりを持ちたくないのが本音だった。


しかし一体どれ程の前世からの因縁であったのだろうか。彼女と再会したのは僅か数日後である。

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