#5 雪が小学校六年生のとき(雪11歳・雨10歳)
雪は六年生、雨は五年生(十歳)になり、物語はクライマックスへと駆け上がってゆきます。
このエピソードは、水滴がたくさん付いた蜘蛛の巣のカットに、「私の小学校最後の夏は、記録的な豪雨が何度もありました」という語りから始まります。
ここで注意すべきなのは、時間変化です。雪が二年生から四年生に進級したときは横スクロールを駆使して観客に時間変化を伝えていましたが、このエピソードに入るときは突然切り替わりました。雪と雨の喧嘩から二年後だと判断する材料は「小学校最後の夏は」というナレーションと、後ほどのカットで出てくる六年生の下駄箱しかありません。ぼーっと映画を眺めているだけでは、時間の変化を見逃してしまいます。
蜘蛛の巣の次に来るカットは、雨が山の自然や先生のことを心配するカットです。ですが、山でどのような影響が出るのか。先生が何をしていて死んだらどうなってしまうのかについては、詳しく語られません。花や語り手の雪は山に入らないため、山の出来事は雨からの伝聞からでしかわからないためです。
雨は十歳になり、おおかみとしては立派な大人です。しかし、花はそれがわかっていても山へ行こうとする雨を送り出すことができません。
このエピソードは、なぜ時間の変化を見逃しそうになるほど唐突に始まったのでしょうか。それは、子供の成長があまりにも早く、花がそれに追いついていけていないことを表現するためではないでしょうか。時間が経つのがあまりにも早く感じて、子供は気づかないうちに大人へと成長している。そんな花の状況を観客も感じられるよう、あえて素早く場面展開したのではないかと考えます。
印象的なシーンが切れ間なく続きます。体育館のシーンでは、雪が草平の噂話のことを考えます。バスケのシュートがガコン!と決まった瞬間に現実に引き戻され、草平の嬉しそうな様子が映し出される演出は非常に鮮やかです。登校しようとする雪を雨が引き留めようとするシーンからは、二人の成長が感じられます。雪は学校に行くつもりがない雨を無理やり連れていきませんし、雨も無理に雪を引き留めません。人間として生きるのか、おおかみとして生きるのか、お互いが選んだ道を尊重できるよう、二人は成長しています。他にも、雨が大気を感じる様子や、雪がカーテンはためく窓から外の様子を眺めるシーン、教室に一人だけ残る草平、クライマックスに向け、準備が整ってゆきます。
やがて豪雨が始まります。雨は豪雨の中、山へと行ってしまいます。この豪雨は、おおかみとして生きていくという雨の強い気持ちの発露でしょう。花は雪の送り迎えには行かず、山へ雨を連れ戻しに向かってしまいます。
一方、雪は体育館で花が来るのを待ちます。ここでも雪の成長が見られます。下級生の面倒を見れるし、友達の父親に「一緒に送っていくよ」と誘われたときは、「ありがとうございます。でも、うちもじきに来ると思います。」「母さんに行き違いになっても困るし。」と、きちんとした返事をすることができます。一時間前までは「韮崎のおばさん、こんにちは!!」なんて無邪気だったのに、今ですっかり大人です。
花は雨を探してどんどん山奥への入って行ってしまいます。花は山奥で、熊の親子と遭遇します。二匹の子を連れる母熊とひとりぼっちの花が、対比関係になっています。この母熊は、十年前の花そのものです。花にとって、雪と雨を連れて過ごした時間は少し前の出来事のように感じられるかもしれません。しかし、実際にはずっと遠くの出来事なのです。母熊と子熊は霧の向こうへと消えてゆきます。親離れ子離れの瞬間が、もうすぐやってきます。
さて、ついに迎えが来なかった雪と草平は、学校で暮らす話をしながら学校をぶらつきます。ここで出てくるのが階段の巨大な鏡です。二人は鏡をじっと見つめて、「大人に見えるかな」と話します。そして、雪は「早く大人になりたい」とつぶやくのです。ここで雪は、鏡に映る外見のみならず、内面も見つめているはずです。
一方、花は山奥で崖から滑落し、意識を失ってしまいます。花は朦朧とした意識の中で、「雨、どこかで震えているんじゃない。帰れなくて、泣いているんじゃ...。」と雨を心配します。花から見ると、雨は富山に越してきたばかりの頃からあまり変わっていないのです。一時間前にたくさん大丈夫されている雨を見せられた観客と同じように、花は雨の成長のスピードから取り残されています。
学校では、雪と草平が先生に見つからないよう教室に隠れてやりすごします。ここで草平は、母親が結婚したこと、そして親から捨てられたことを告白します。このエピソードの冒頭で噂されていた内容です。草平はレスラーかボクサーになり、鍛えて一人で生きていくことを雪に話して、ニシシと笑って見せます。自分の辛いこと、そして強く成長したいことを正直に打ち明ける草平を見た雪は、二年前のことを草平に伝える決心をします。
雪が窓を開けると、カーテンがなびきます。なびいたカーテンが雪を隠すと、限りなく人に近い人狼に姿を変えた雪がそこにいます。そして、あの日草平を傷つけたおおかみは、私であることを伝えます。あまりにも、あまりにも美しいシーンです。
わざわざ雪が窓を開けたのはカーテンを使った演出のためではありますが、ほかにも意味は考えられます。外の豪雨というのは、雨がおおかみとして成長しているという象徴でもあります。窓を開けて豪雨に直接さらされることは、雪がおおかみであるということに直接と向き合い、ついに自分の殻を破ることができた。そう考えられるのではないでしょうか。
人間としての生き方を選んだ雪にとって、自分がおおかみであることを認めることは、とても苦しく辛いことであるはずです。しかし、雪は草平を傷つけてから自分と向き合い、成長して、おおかみであるという自分を認め打ち明けることができるようになったのです。
それに対し草平は、「わかってた。ずっと。」と返します。草平は、雪が人間とおおかみ二つの内面があること。そして、それを誰にも知られたくないこと。あの日からずっと、それをよく理解したうえで雪と接してくれていたのです。「もう泣くな」という草平のセリフは、もう自分がおおかみであることに苦しまなくていい、ということでしょう。雪はぽろぽろと涙をこぼしますが、苦しみの涙でないことは言うまでもありません。雪はこの出来事から、半人半獣の「おおかみこども」ではなく「人間」として自信をもって生きてゆけるよう成長したのです。
花は、夢の中でおおかみおとこと出会います。おおかみおとこは、雨が自分の世界、つまりおおかみとして生きてゆく道を見つけたのだと話します。雨は花を担いで山を下り、駐車場に下ろします。花の目が覚めると、雨は人狼のような中途半端なおおかみではない、四足歩行の立派な狼となっています。
花は子離れできません。「まだ何もしてあげれてない」と話し、崖を駆け上がる雨を呼び止めようとしてしまいます。しかし、雨の遠吠えとともに朝日が昇ると、花の顔はほころび、雨を山へと笑顔で送り出りだすのです。この笑顔は、かつてのように辛いことを隠す笑顔ではありません。辛い表情をぎゅっと押さえつける笑顔ではなく、辛い表情がほろほろと崩れ落ちるような笑顔は、雨の独り立ちを心の底から祝福する笑顔なのです。
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