忘れられない夏の匂い
白鈴サキ
忘れられない夏の匂い
肌が焼けつくような暑さから一転。
辺りがオレンジと暗い青のコントラストで彩られる中、私はパタパタと手でぬるい風を顔に送っていた。
あんまり意味ないなぁと思いつつも、止めずにいた。
じんわりと汗がにじみ、服が肌に少しだけくっついて気持ちが悪い。
数時間前までうるさいほど鳴いていた蝉たちは、門限のある子供のように、ある時を境にぱったりとその存在を消した。
まるで、ここからは「大人の時間だ」と言わんばかりに、鈴虫たちが静まり返った草むらを謳歌する。リンリン――とほかの虫たちを巻き込みながら奏で始める様は、まるで自然界のオーケストラだ。
そんな周囲の様子に飲み込まれながら、私は縁側にぽつりと腰かけていた。
あと何回か……寝て起きてを繰り返すと、戻りたくない忙しい毎日が再び私の元へと襲い掛かってくる。そんなことは忘れて、今をできるだけ楽しもうとは思っているものの、頭の片隅こびりついたその”悪”は「そろそろ時間だぞ」といらないお世話を焼きに来る。
「はぁ……」
思わずため息がこぼれた。
先ほど、祖母がもってきてくれた、大きなお皿に盛られた夏の風物詩。
それに視線を落とすと、最近あった出来事を思い出して、つい笑ってしまった。
久しくこちらに帰ってきてないこともあってか、私の姿を見るや否や、勢いよく駆け寄ってきた、近所のおばちゃん。
あれよあれよと流されるままにマシンガントークを受け止めていると、大きなスイカ一球を押し付けながら「ほら!持って帰り!」と。
そんなおばちゃんがくれた立派に育ったスイカの一切れを、贅沢にも真ん中からかじると、じゅわっとみずみずしい果汁が口の中でひろがった。さわやかな甘さが頬を自然と緩ませる。少しだけ、”悪”が取り除かれた気がした。
時間の流れに身を任せていると、目の前にあった夕日はすっぽりと、山の後ろに顔を隠していた。
耳を澄ますと、いつの間にか鈴虫たちは、心地の良い音色をしっとりと奏でている。
生ぬるい風を受け止めながら、背中越しに影が落とされた。
振り返ると、昔から変わらない見慣れた顔がそこにはあった。
「よっ」
「お姉ちゃん」
私の三つ上の姉だ。
久しぶりに会ったというのに、そんな気がしないのはなぜなのだろう。
姉は私の横に置いてあるスイカの一切れを取ると、立ったまま豪快に食べ始めた。
「あのねぇ……」
昔から変わらない姉の姿を見ると、理由は分からないがなぜかほっとした。
「行儀悪いよ」
「いーじゃん。家なんだしさ」
それはそうだけどさ……と変に納得していると、ドカッという音が聞こえてきそうな勢いで、姉は私の隣に腰かけた。
「いつ帰るの?」
姉の容赦のない言葉に私は一瞬、息が詰まる。
「んー…明後日」
せっかくさっき追いやったばかりなのに、なんてことを思い出させてくれるんだ……とやり場のない気持ちがじわじわと心を支配する。
「どう?都会は」
「それなりに楽しいよ」
「ふぅん……そっか」
ただ、なんとなく。本当になんとなく。
隣にいる姉の雰囲気が暗くなった気がして顔を向けた。
姉はまっすぐ庭先を見たままで、遠くに置いた視線を私のほうへ向けることはなかった。
先ほどまであったもやもやとしていた気持ちは、そんな姉の様子を見るやいなや、そそくさと撤退していったのが分かった。
私が姉を見たまま動かないでいると、姉はそれにやっと気づいたのか、「何よ」と小さく笑った。
「なんでもない」
そういった私の口元は緩んでいた。
夜風が頬を通り過ぎると、私はこの時を忘れないでいようと、耳を傾けていた。
忘れられない夏の匂い 白鈴サキ @ciano_szrn
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