第6話 真面目でバカでどうしようもない

 私は昔からプリュミエールが好きだった。


 可愛いキャラクターの文具が欲しくて、ランドセルを背負ったまま店に通い、少ないお小遣いでグッズを買った。

 それらを宝物のように大切に使っていた。


 高校生になって、キャラクターデザインをするイラストレーターなる職業を知る。

 周りは当然のように大学進学を目指していて、誰にも言い出せないままエンタメ系の専門学校に進んだ。


 授業は楽しかった。

 基本的なデザインの理念から基本のデッサン、その道の著名人を招いての講座などに参加して、貪欲に技術を吸収していった。


 キャラクターデザインの世界でやっていけるのは一握りだ。


 私は、それになろうとした。

 宝石商の店先で光る宝石のルースだって、もとは岩石に包まれた平凡な石ころだったはずだ。


 磨けば私だって光る。

 光り輝く何者かになって、幸せな人生を送るのだ。


 夢と希望にあふれていた私は、勉強と同時にアルバイトにも精を出した。

 両親は進路に反対だったので、学費も生活費も自分で稼がなくてはならなかったのだ。


 働いていたのは駅チカの焼き肉店だった。

 同じ専門学校の生徒が働いていて、プロゲーマー科や声優タレント科の生徒とシフトが被ることもよくあった。


「瑠香ちゃん。またインカム壊しちゃったのぉ?」


 最後の客が出て行って店を閉める作業中に、耳が痛くなるような高い声で話しかけてきたのは、茶髪をツインテールにした愛梨あいり


 小柄な体とまん丸な目が、まるでアニメから出てきたような可愛い女子だ。


 歌って踊れる声優を目指す彼女は、在学中にもかかわらず劇場版アニメのオーディションに合格して、在学デビューを果たしていた。

 端役ではあったが、学校の正面に彼女の名前と成果が張り出されるくらいには異例のことらしかった。


 対する私は、イラストデザイン科で基礎の基礎から学んでいる一般生徒だ。

 接点は同じ学校に通っているくらいしかないし、私は外向的ではないから、二人きりになると何を話していいのかわからなかった。


「う、うん。昔から、電化製品を使っているとなぜか壊れちゃうんだ。また店長に叱られるかも……」

「愛梨が報告してきてあげるよ。これ使ってて」


 ピンク色のシールでデコったインカムを渡して、愛梨は厨房へ走っていった。


 可愛い子はバイトで使う物さえ可愛くするのかと、インカムをつけようとした私は、それが『ハピネステディ』のシールだと気づいた。


(愛梨ちゃん、プリュミエール好きなのかな?)


 共通点を見つけられて嬉しくなる。

 愛梨はいつも優しいし、もし同じ話題で盛り上がったら、バイト時間が楽しくなるかもしれない。


 厨房へ入ろうとすると、店長が壊れたインカムを触っているのが見えて、思わず足を止めた。


「真城が使うとどうして調子が悪くなるのかね。前はレジも故障させてただろ。そのおかげで、強盗に入られても金を渡せなくて退散させられたんだけどさ」


 店名が入った黒いTシャツで顔の汗をぬぐうと、豊かなお腹の肉がはみ出た。


 店長は、もとは歌舞伎町で一番のホストだったらしいが、店のまかないであるビビンバ丼を毎回三人前も食べるので見る影もなく太っている。


 棒のように細い愛梨は、調理台に寄りかかり、顔に垂れた触覚みたいな髪をいじった。


「あの子、すごく暗いし、黒魔術とか使えそうだから呪われてたりして? 授業もバカ真面目に受けてるらしいよ。そんなんでプロになれるわけないじゃん。専門学校なんて、有名人とのコネを作る場所でしかないのに!」


(え?)


 高らかに上がった笑い声は、私の背筋を冷えさせた。


 愛梨の口の悪さにひるんだからではない。

 必死に積み上げてきた努力が、まるで無駄だという風に聞こえたからだ。


 愛梨は笑いすぎて浮かんだ目じりの涙を人差し指でふく。


「そんなことやってる間に、SNSでもやればいいのに。バズれば実力なんてなくても仕事は来るのにさ。あたしがオーディション合格したのだって、露出多い格好で踊った動画が拡散されたおかげだもん。滑舌が悪かろうが、どこにでもいる声だろうが、可愛ければいいんだよ、世間は。そのために愛梨、整形代をためてるし」


「真面目に頑張ってれば評価される時代は終わったんだよな。目立つのが金持ちになる一番の方法だなんて、根暗には生きづらいわー」


「店長は暗くないでしょ? ほらやってよ。現役世代のシャンパンコール!」

「よし。久しぶりにやったるか」


 塩の瓶をマイク代わりにしたリズムのいいコールに、愛梨がゲラゲラ笑いながら手を叩く。


 私は物陰で息をひそめながら、先ほど聞こえた言葉を必死に反芻していた。


(真面目に頑張ることに意味はないの……?)


 本当は、うすうす気づいていた。

 入学して半年が経つとクラスメイトは半分になった。


 授業中に同人誌の原稿に打ち込んでいた女子は、コミカライズの漫画家として出版社にスカウトされたとかで早々に退学した。


 イラストコンペで入賞した男子は、ゲスト審査員を務めたイラストレーターに気に入られたらしい。

 飲み会や講演会の手伝いをした見返りに彼のアトリエで展覧会を開かせてもらい、そのままプロへの階段を駆け上がっている。


 当の愛梨だって、あまり授業には出ずにオーディションや養成所の教習に顔を出している。

 次世代のスターを探すマネージャーとの繋がりを得るために。


(真面目に頑張るだけじゃ意味ないんだ……)


 私の夢は、プリュミエールに入って、自分で作ったキャラクターを世界中に届けること。


 それはいずれの話で、真面目に実力をつけて、近道をしようとせずに地道に努力していれば、自然と叶えられるものだと信じていた。


 でも、現実は違う。

 愛梨のように、サボろうが口が悪かろうが、近道を見つけて進んだ方が勝ちなのだ。


(そんなこと、私にできるはずない。バイト先にもなじめないのに……)


 すっかり心を折られた私は、翌日にはインカムを壊したことを理由に、辞表を出した。店長は引きとめもしなかった。


 学校も退学しようか悩んだが、結局そうせずに、授業はおざなりにして就職活動に全力を振り切った。

 イラストレーターではなく、一般職の社員になれれば十分だった。


 ただ生きていくのに、頑張る必要なんてない。

 私が専門学校で学んだのは、それだけ。


「ねえクロ、今さら何かになるなんて無理なんだよ」


 囁くより小さな声で寝息の主に呼びかける。


 埃を被った液タブの辺りにたたずんでいる、夢を諦めてしまった私にも。

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