第2話 リハビリ

「心人、急に何を言い出すんだ?」

親父が止めようとするも、僕はそれを払い除けた。

「やるといったらやるんだ! 僕はこの病院を必ず出てやる!」

「心人! 待て!」

「うるさい!」

怒鳴り合いの声が部屋に響く。

おふくろは呆れた顔をしていて、その声は廊下まで響くほどだった。


――桜にもう一度会うため。

僕は生きなきゃいけない。

そして、この思いを桜に伝えなければならない。

だから、何度もこの病院を毎日抜け出そうとした。

でもその度に止められて、連れ戻されてもううんざりだ。

だから。

「誰がなんと言おうと、僕はこの病院から抜け出してやる! 親父でも、おふくろでもな!」

「心人! この馬鹿者!」

「何がだ! 二人は僕に何もくれなかったじゃないか! 健康な体に生んでくれなかった、ずっと病院の外を見せてくれなかった! 僕を大切に思ってくれるのはあの子しかっ……!」

言葉を遮るように、口から何かが流れ出た。

熱い、赤い。

血……?

「心人……!」

親父とおふくろが血相を変えていた。

まただ……また。

口から血が出てる……。

内側の臓器が痛み、止まりどころがないほど更に口から血は吐き出る。

「くそったれ……」

その場に倒れ込むようにして、やがて医者が駆けつけてきた。

元の病室のベッドへ運ばれてしまう。

先生によると、日に日に病気が悪化しているおそれがある、との話があった。

血が出過ぎたのか、疲れたのか。

その日は気絶するように眠り、治療を受けていた。


「なんで……会いに行けないんだ……」

早朝、歯を噛み締めて軋ませながら苛立ちを覚えた。

病院から脱走を塞ぐためか、つきっきりで看護師が見張っていて、どうにも落ち着かない。

血を吐いた時から多少動けるが、それでもまだ身体が重い。

行き詰まっている。

このままでは桜に会えない。

どうにか出る方法を考える……そんな時だった。

「心人、提案がある」

唐突に訪れたのは親父だった。

「あ? なんだよ」

苛立ちと警戒の籠もった表情で睨みつける。

どうせこの病院の中で桜と合う方法を探そうとか言うんだろ?

親父はいつだって、僕の健康を考えすぎてこの病院に居させようとする。

もちろん、こんなちっぽけなところに閉じ込められるのはコリコリゴリだがな。

「そう怒るな。俺に考えがある」

そう言うと親父はベッドの隣の椅子に座って、足を組んで話した。

「リハビリをやってみないか?」

「え?」

思わぬ提案にしばらく固まった。

「この病院を退院したいんだろ? なら体力を付けて、運動して。健康に過ごせるようにすれば病気は安定するかもしれん」

まるで別人のようだ。

あの頭の硬い親父がどうして、病院から出るための手助けをしようとしてるんだ?

親父は僕をここに閉じ込める気なんじゃなかったのか?

「『どうして』って、顔してるよな。勘違いしないで欲しい、俺はお前の親だ。だから悪意を持ってお前を病院ここに閉じ込めようなんてしているわけじゃないさ。たった一人の息子なんだ、勝手に外に出して、死なせるわけにはいかんだろう?」

そう口角を上げて自慢げに語る親父の姿はいつもとは印象が違った。

喧嘩腰で、怒鳴ってきて。

いつも僕をここに閉じ込める敵だと勝手に思っていた。

違った。

親父は……。

分かり合おうと助けてくれる味方だった。

「……ありがとう、親父。僕、やってみるよ」

「おう、そうか。じゃあ、早速お医者さんたちと相談してくるからな! あ、あとこれ」

親父がくれたのは、一つのアイスだった。

「え? これ……」

「いやぁ、夏場は暑いからさぁ。病院みたいにここまでキンキンに冷えた場所なんてほとんどないわけよ。だからお前にその暑さを知ってもらうために溶けかけのアイスをやるよ」

「……なんだよそれ」

そう苦笑気味に微笑んだ。

親父は、やっぱり面白いやつかもしれない。

「じゃっ、そゆことで。今度外に出れるようになったらよ、このアイスが売ってる駄菓子屋、行こうぜ」

ニカッとした笑顔を浮かべ、親父は去っていく。

小さく、聴こえるか分からないくらいの声。

「……………………またな……」

親父に、初めて言った挨拶だ。


それからかなり時間をかけて、だいぶ動けるようになった。

最初こそ細い足を慣れない足取りで動かしていたが、歩き方が少しずつ分かるようになった。

陽を浴び続けた肌は不健康な白色を無くし、少し日に焼けてくる。

蝉の声は当たり前のように耳にできるし、爽やかで優しい風が髪を靡かせている。

息を吸うと花の匂い、音を聞くと虫の声。

触れると物は夏の陽射しに温められている。

歩くと土を踏みしめ、草木が足首をくすぐる。

「外って……こんな気持ちいんだなぁ〜〜」

手を上へ上げて伸びをしながら身体をほぐす。

消毒液臭い場所なんかよりこっちのほうが景色が常に変わって綺麗だ。

父さん達と共に病院の中庭や外を少し回って歩き、ふと足を止めてくるりと振り向いた。


「父さん、母さん。僕、結構歩けるようになったよ」

「そのようね。ほんとに良かったわ」

母さんが笑顔で、僕の頭に手を置いて撫でてくれる。

父も満足そうに頷いていた。

この二人は僕と分かり会えないんじゃない、僕が分かり合おうとしなかったんだ。

僕はひねくれていたのだと、改めて自覚する。

「もうそろそろ退院よ。そうしたらあの子に合えるかもね」

「ほんと!?」

ここまで数年が掛かった。

幼少期から何年か掛けてリハビリを繰り返し、体力を取り戻し。

薬を飲んで、コツコツと頑張ってきた。

それがやっともうすぐ、報われるのだ。

嬉しさを覚えるが、僕は同時に不安を抱えている。

「退院できたらだが……学校はどうするんだ?」

それだった。

父が言うように、僕はまだ勉強をこなしきれてない。

小学校の分までどうにか頑張ったが。

もうそろそろ中学に上がるらしく、まだ追いつけるかどうか不安だ。

クラスの中に馴染めるのか、授業に参加できるのか……。

僕として一番の問題は、桜に合えるのか、だった。

「そこはあとに考えるようにしましょう。今は心人が退院できることを願って、もう少しサポートしてあげないと」

「それもそうだな」

「…………うん」

不安はある、将来どうなるかなんて分からない。

それでも今できることを精一杯やらなきゃ。

それが、この数年で分かったことの一つだ。

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