僕が嘘をついた夏

紫水ミライ

第1話 僕が君と初めて出逢った時

※はじめに……。

この物語は作者の作品、『嘘つき夏』の番外編です。

まだ『嘘つき夏』本編を読み終えていない方は本編を読み終えてからこちらを読むことを推奨します。

また、本作は『嘘つき夏』のネタバレが含まれていますのでご注意を。

それでは、参ります

――――――――


ずっと――

ずっと、生まれてからこの病室で過ごしてきた。

起き上がれば、白い天井がある。

窓のカーテンが揺らいでいる。

いつものように、蝉が鳴いている。

いつものように、暖かい風が吹いてる。

でも、そんな景色を。

何度も、何度も。

この目に、この肌に。

嫌と言うほど染み付いている。

この白い病室の外を、僕は知らない。

僕の周りには、決まった色合いと、形のパターンしか無いんだと思っていた。


――「おはよう、心人君」

「おはようございます」

看護師さんと先生が病室にやってきた。

先生は耳に聴診器を掛けると慣れた手つきで僕の胸へチェストピースを当てた。

少し冷たい感触が走る。

でもそれはとうに慣れていて、あまり最初の頃の反応はしない。

「うん、健康だな。今日は君のお父さんお母さんが来るからね、いつもどおり安静にするんだよ?」

「分かってます」

「それなら良かった。もうすぐご飯が運ばれてくるし、しばらく待ってくれよ」

「はーい」

「じゃっ、そういうことで〜〜」

先生は笑顔を向けて、病室を去っていく。

看護師さんもその後を付いていくのを確認すると、やっとの思いで息を吐いた。

「見舞いなんて……来なくていいのにさ」

窓を見上げて、腐ったように吐き捨てた。


僕が一番退屈だと思うこと。

それは人との関わり、そして、生きることだ。

はっきり言ってしまうと、僕は死にたい。

僕の知る世界は、このちっぽけな病院だけで。

生まれてから持っている病気のせいで、外になんて出たことは一度もない。

毎日、量のある薬を飲まなきゃいけないし。

決まったルールとパターンに則った病院での生活は嫌いだ。

生きることは、僕にとって抜け殻のように過ごすこと。

ただ淡々とこなす、“業務”に過ぎない。

生きることは、仕事で。

死ぬことは、僕にとって、救いに思えていた。

健全じゃないって?

そんなことないって?

周りの人はいつもそう言うさ。

自分でもひねくれてることくらい知ってる。

でも、少なくとも僕は。

『生きることに苦しんでいる』に違いないのさ。


コンコン。

珍しい、ドアのノック音。

音の小ささからは先生や看護師さんのような大人には思えない。

「? 誰ですか?」

尋ね返すと、ドア越しに驚いたような気配。

そこに姿を表したのは、僕と同い年くらいの女の子だった。

「……? 誰だ? なんでここに?」

「あっ……その……。パパとママが……どっか行っちゃって……」

幼気な声を返しながら、おどおどと少し怯えたふうな女の子。

僕の目つきが悪くて、やっぱり怖く見えているのだろう。

僕が怒っているのは事実として、この子にぶつけるべきではないのか……。

迷子だろうが……。

面倒だな……。

いや……でも……。

ため息混じり、僕はベッドから起き上がる。

用意されたスリッパを突っかけて、少し慣れない足取りで女の子へ近づく。

「ほら、行くぞ」

「えっ……?」

女の子は怯えながらこちらをちらりと見る。

「ほら、その……。お前の親、探しに行くんだろ?」

「い、いいの……?」

「いいも何も、困ってる女の子がいんならよ……その……。男が……助けるもんだろ?」

自分でもなぜそんな言葉が出たのか分からない。

本来なら、めんどくさいで片付けてたはずなのに……………………。

こいつは……何か見過ごせない。

「う、うん……!」


手を繋いで、病院の廊下を歩いていた。

「お前……名前はなんていうんだ?」

このまま黙っているのも気まずいから、なんて我ながら安直な理由でありきたりな質問をした。

「わたし……桜っていうの」

「桜……桜か。いい名前だな……その……うん」

何故か、上手く舌が回らない。

いつものようなふてくされた態度が取れないのは少し違和感があった。

いや……。

こいつには……優しくするべきか……?

「その、君の名前は?」

不意に返ってきた声はこちらへの質問。

突然だったばかりに少し困惑した。

「へっ? 僕?」

「うん。聞きたいから」

「えっと……。心人しんとってンだ。僕の名前」

「そっか、心人くん。よろしく」

「お、おぉ……」

桜の明るい態度は、まるで僕と正反対だった。

太陽みたいに、鬱陶しいくらい眩しいやつで。

でも、悪い気はしなかった。


病室を抜けて、待合室近くでうろつく二人の男女を桜は指差した。

「あっ、あそこ!」

「そっか、じゃあ、行って来い」

「うん!」

桜は小走りでその二人へ寄っていく。

二人の男女、いや、桜の両親は彼女の姿を見た途端驚いていた。

「桜! どこに行ってたんだ、お父さんたち心配したぞ!」

「うん。ごめんなさい……」

「まったく……」

呆れたように桜の父親はため息を吐いた。

「でもね、あのお兄さんがここまで一緒に連れてきてくれたんだ!」

桜はそう言って僕を指差す。

「あっ、ありがとう! 桜が迷惑をかけた……!

 すまなかった……!」

礼を言いながらお辞儀する桜の父親。

母親が安堵に胸を撫で下ろしながら話した。

「この子はすぐどっか行っちゃうのよ……。ありがとうね、僕」

「え、あ。いえいえ! その、僕はただ一緒についてきただけで!」

「そんなことないわ。本当にありがとう」

「いえいえ、そんなそんな」


数分後に病院の看護師さんが駆けつけて、僕はまた病室へ戻ることになってしまう。

去り際に桜は言った。

「お兄ちゃんの病気、治るといいね」

明るい笑顔だった。

見たことないくらい、なんの曇りもない。

無邪気な笑顔を浮かべていた。

病室に戻っても。

胸の落ち着きはつかない。

あの笑顔が、不意に。

綺麗だと。

好きだと。

何故か、そんなふうに思った。

「久しぶりに……、歩いたなぁ……」

妙な感傷があった。

何か、余韻があった。

立ち上がったのはいつぶりだろうか。

この足で歩いたのはいつぶりだろうか。

人の手に触れたのはいつぶりだろうか。


 人の笑顔が……。


 人が好きだと思えたのは……いつぶりだろうか。


あの子がくれた、一羽の折り紙の鶴を握りしめる。

よく出来ている、思いが込められている。


思えばこの出会いが。

僕を変えたのだと思う。

僕はこの瞬間、初めて。

桜という、一人の少女を。

好きだと思った。

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