8月25日
束沙は飛び起きる。さっと部屋を見渡し、光っているケータイに目が止まる。
「ごめん」
「夜にごめん」
「どうしよ」
「ふたりにバレた」
束沙が一瞬硬直した隙に、さらにメッセージが届く。
「キスしてるとこ見られたっぽい」
束沙は震える手で文字を打つ。
「どういう状況?」
「台所で話してる」
「俺が束沙のこと好きなんだって」
手の震えは徐々に収まっていく。
「母さんが」
「付き合ってるって」
「信じてて」
「否定したいけど」
「なんて言えばいいか」
「助けて」
束沙は画面を注視したまま動かない。数秒経ってから、追加でメッセージが表示される。
「束沙は知られたくないよな」
息を呑み打ち込む。
「いまいく」
そしてスマホと鍵だけを持って部屋を出た。
束沙がインターホンを鳴らすと、大きめな足音とともに玄関が開く。
「束沙っ! マジで来てくれたんかよっ!?」
「渚……、ごめんね」
「いや、いいんだ。束沙はなんも悪くねぇし。あ〜ただ……」
渚が家を振り返るのに合わせて、束沙も中を見る。階段の上には、目を輝かせた母親と眠たそうな父親がいる。
「思ったより大変な事態にはならなかったんだ……騒いでマジごめんな!」
「え……、いや、うん、それなら良かった」
「とりあえず入らない?」
母親が渚の後ろから顔を出して尋ねる。
「え、ですが……」
「遠慮しないで」
楽しそうに手を引かれ、束沙は家に入る。和室で輪になって座る。
「で、2人のキスはなんだったのか、聴いてもいいかしら?」
「なんだったのか……って、なんて言ったらいいんでしょうか……?」
「そうね、急に言われても答えづらいよね、私が知りたいのは」
母親は満面の笑みで言う。
「いつから付き合い始めたのかと、どっちから告白したのかと、今日、じゃなくて昨日のキスがなんだったのかと……」
「いやまず付き合ってねぇって!」
「付き合ってないのにキスするなんて考えられないわ! お互いに了承してのキスでしょう?」
「いやだから、事情があって」
「その事情を聴きたいのに教えてくれないのよ」
話をさらっと束沙に向ける。渚は申し訳なさと少しの悔しさが混ざった顔で束沙を見る。束沙は数度瞬きをし、深呼吸をしてから口を開く。
「一つずつ訂正させてください」
母親が一度頷くのを見てから話を続ける。
「まず、僕たちは付き合ってないです」
「えっ、なら」
「母さん」
渚は軽く母親を睨む。
「ごめんなさい。続けてくれる?」
「はい。……ただ、好意を伝えて互いにわかってはいる状態です。それで、キスの件に関しては、罰ゲームというか、お願いを叶えてもらっただけなので、そういう意味での了承は一応して……るつもりです」
「そうだったの……。確かに、友だちから急に恋愛感情を向けられたら保留したくなるわよね」
母親は片手を頬に添えて頷く。
「ごめんなさいね、渚が迷惑をかけてしまって」
束沙が渚を見ると視線が合う。渚は眉を少し下げて微笑む。
「あの……」
母親は首を傾げる。束沙は再び深呼吸をしてから言う。
「何か、勘違いをされていませんか?」
渚は目を丸くする。
「告白したのは、僕からです」
「えっ!」
「お願いも、僕がしたくてさせてもらったので、渚は何も迷惑とかかけてないです。むしろ僕のほうがご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」
「そうだったの……! 束沙くん、顔を上げて、謝ることなんかないから」
束沙が姿勢を戻すと、母親は微笑む。
「私、とてもうれしいの。渚のことを好きになってくれて、本当にありがとう」
そして渚に向き直る。
「で、付き合ってないのにあれだけ仲が良いってどういうことなの?」
「え、俺に聞いてる?」
「そりゃそうよ。これだけ仲良いのに」
「ちょ、ちょっと待って、俺だけに聞くならとりあえず束沙のこと返さないと。束沙、今日もバイトあるんだろ?」
束沙が頷くと、母親は我に返ったような顔をし、顔を少し赤らめる。
「私ったらはしゃぎ過ぎたわ……そうよね、ごめんなさいね、束沙くん、こんな夜中にわざわざ」
「いえ、大丈夫です」
「父さん、部屋に戻ったら?」
「……ん……?」
「ガチ寝だわ」
「渚、お父さんは私が運んでおくわ」
「じゃあ、頼んだ」
渚が束沙を見ると、束沙は眉を少し下げて微笑む。
「束沙……?」
「渚の家族は、とても、優しいね」
「そうか?」
束沙が玄関に向かい、渚も後を追う。
「束沙、マジでごめんな」
「ううん。僕のほうこそ、ごめん」
「え? なんで束沙が謝んだ?」
塀の出入り口まで行き、束沙は自転車に跨る。
「ねぇ、渚はさ、僕が真っ黒でも、好きって言ってくれるかな」
「…………どゆこと?」
「いいよ、気にしないで。……じゃあね」
「お、おう……」
渚は半ば唖然として離れていく束沙の背を眺める。
「……なんだろ……顔が固定されてたような……」
「渚〜、束沙くん帰ったの? 渚も早く寝なよ」
「あ、うん」
「明日はいろいろ訊くからね」
「え〜、めんどくさ……」
ベッドに入った渚は、昼頃まで寝過ごした。
「さ〜て、今日は何しよ〜かな〜」
昼食を食べた後で部屋に戻り、ベッドに身を沈める。
「昨日で宿題も、ホントに、終わったしな〜……あ、おばあちゃんのとこ行くか!」
起き上がってふと外を見ると、束沙が塀の外に立っている。
「なんか、既視感あんだよな〜。……あれ、来ねぇのか?」
すぐに自転車に乗って走り去って行く束沙に、渚は首を傾げる。
「渚〜、お話聴いてもいいかしら?」
「え、お、おう……」
渚は少し顔を強張らせて母親の後についていく。
数時間後、母親は満面の笑みでテーブルに突っ伏した渚に言う。
「まぁ〜、本当にいいわね〜。教えてくれてありがとうね」
「ハイハイ、ど〜いたしまして〜」
玄関が開く音とともに、父親が声をかける。
「ただいま〜。お、いるね。渚宛だよ」
「俺?」
渚は封筒を受け取り部屋に戻った。
渚へ
直接は言いにくいから手紙で書くね。読むの苦手だと思うけど、できれば最後まで読んでほしい。
もう関わるのはやめよう。
僕が渚のことを好きだって言ってしまったから、渚は僕のことを気にせざるをえなかったんだよね。渚も好きだって言ってくれたけど、僕は本当は良い人なんかじゃないから、きっと渚を不幸にしちゃう。
渚の両親に付き合ってると勘違いされたって知ったとき、渚が僕のことを好きだと思われたって聞いたとき、僕は訂正せずにそのままにしたいって思ってしまったんだ。そうしたら、渚は僕に頼ってくれて、僕が幸せになれるから。そして僕は、その選択をしようとした。渚が不幸になるとわかった上で、僕自身の欲望を実現しようとした。そんな奴が友だちだなんて嫌だよね。渚は優しいから嫌じゃないって言うだろうけど、こんな真っ黒の奴が近くにいるなんて嫌に決まってる。だから、これから僕にわざわざ話しかけなくていいからね。僕も話しかけないから。
最後まで読んでくれてありがとう。
束沙
「…………なんだよ、これ……」
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