8月8日

「……さ」

 動きたくない。このままがいい。

「渚……」

 考えたくない。ずっと寝転がっていたい。

「渚、そろそろ起きたほうが……」

「もう、ちょっと……」

「もう10時だよ」

「じゅう……え、10時っ!?」

 慌てて起き上がる。

「おはよう、渚」

 束沙がいる……なんでだっけ……あ。

「バイト休めた?」

「店を休みにするってさ」

「え?」

 束沙が人差し指を立て口に近づける。バタバタという音が微かに聞こえる。渚は襖に近づき少し開ける。ガラス窓には雨が叩きつけられている。

「わぁ、束沙帰れないんじゃ……」

「一応午後には止むみたいだから、それまで居座らせてもらうことになったんだ。申し訳ないけどね」

「……なんで束沙が台所いるの?」

 部屋から戻ってきた渚が問いかける。

「昼ご飯を作るくらいなら、できるかなって」

 束沙が振り返って答える。

「父さんと母さんは?」

「お父さんは仕事に行ってたよ」

「マジか」

「お母さんは準備してる」

「あ、午後からか」

 渚は束沙の横に立つ。

「俺もやるよ」

「ありがとう」

 1時間と少しが経ち、机の上にはスティック状のキュウリやニンジン、刻んだニンジンが入ったオムレツ、そして白米が三人分並んでいる。オムレツは形が崩れたものと整ったもの、それらの中間くらいのものとが並んでいる。

「オムレツって難しいんだね……」

「でも2回目で上達してんじゃん!」

 渚がニッと笑いかけ、それに応じるように束沙も微笑む。

「渚が手本を見せてくれたからだよ」

「……母さんはなんでこんなに人遣いが荒いんだよっ!」

 渚と束沙は昼食に使った食器類を洗っている。

「仕方ないよ、仕事に行かなきゃいけないんだし」

「手伝ってくれてありがとな」

「したくてしてることだから」

「これ終わったら帰るのか?」

「うん。雨も落ち着いてきたしね」

 水道から流れ落ちてくる水音が沈黙を満たす。

「……昨日、俺、途中で寝た?」

 束沙は微笑む。

「僕の話を尋ねた次の瞬間には」

「だよな〜……」

「……聞きたいの?」

「できれば聴きたい、けど」

 渚が自嘲するように笑う。

「恋バナとかいうやつはシラフでやるもんじゃねぇだろ」

「……誰にも話さないなら、前好きだった人の話、してもいいけど」

「え、マジで……?」

 渚が束沙の顔を見ると、束沙は少し眉を下げて微笑む。

「渚が僕のことをもっと知りたいって言ってくれて、うれしかったから」

 渚は一瞬真面目な顔になってから、笑って言う。

「じゃあ、教えてくれ!」

「……僕が小学生のとき」

「小学生!?」

「えっと、5年生くらいのときに恋愛感情だって気付いたんだけど」

「へぇ」

「2年生のときにその人と知り合ったんだ。人に話しかけるのが苦手な僕を遊びに誘ってくれて、他の友だちと一緒にいろんな遊びをしたなぁ」

 束沙が目を細めて微笑む。渚は少し意外そうに言う。

「束沙って結構やんちゃだったのか」

「まぁ、そうだったかもしれないね。3年のときは別のクラスだったけど、4年からまた一緒で楽しかったよ。……たぶんその頃からかな、その人を見つけるのが上手くなった気がする」

 束沙は食器の泡を流していく。

「目の届く範囲にいたら、なんとなくわかるんだ。見えるところにいなくても、どこかにいないかと探している自分がいたし。……5年生になってからなんか2人で下校する日が多くなったんだけど、大勢といるより2人きりの方がうれしいって思っている自分がいて、なぜだろうって考えたんだ」

 濡れた食器が脇に重なっていく。

「数日くらい考えて、これが恋なのかって腑に落ちたんだよ。その頃にその子を僕の家に誘って遊んだんだけど」

 水を止めて皿を拭き始める。

「その日の夕飯に母に『あの子のこと大好きなのね』って言われて、たぶん、変な反応したんだよね。恋愛感情なのか訊かれて、その時は何も考えずに正直に答えて」

「なぁ、俺を見て」

「なんで?」

「いいから見ろ」

 束沙の肩を掴み無理矢理身体を向けさせる。束沙は少し目を丸くして渚の真剣な顔を見る。

「辛いなら話さなくていい」

「え? 大丈夫」

「じゃねぇだろ。苦しいんだろ」

 束沙は目を逸らすが、渚に顔を挟まれ視線を合わせられる。

「無理に聞く気は全くねぇんだ。だけど、辛いなら辛い、苦しいなら苦しい、嫌なら嫌、……そう、はっきり言ってくれ」

 渚は困ったように微笑む。

「そうしないと俺、わかんないからさ」

「……わかってるじゃん」

 渚がきょとんとする。束沙は手を退けさせて再び皿を拭き始める。

「渚の好きなところ聞く?」

「えっ!?」

 渚の声が裏返る。そのせいか頬を少し赤らめた渚を横目で見て束沙は微笑む。

「そういうところ」

「……じゃあ、そろそろ帰るね」

 皿洗いを終え、荷物を持った束沙が玄関に立つ。

「俺も行く!」

 サンダルを突っかけて外に出る。

「川どんくらい水増えてっかな〜」

「降りないでよ」

「子どもじゃねぇんだが!?」

 渚がふざけ半分に怒り、それを見た束沙は笑う。

「あ、そうだ」

 渚は束沙の前に出て、2人は立ち止まる。

「明日、早めにバイトあがれる?」

「急にどうしたの?」

「夏祭り行こうぜ!」

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