7月29日

 風鈴がチリンと鳴る。束沙は少し目を大きくしてつぶやく。

「人が通ると鳴るんだね」

「弱っちぃけどな」

 渚はおぼんを片手に階段を上がり、柵を回って自室に入る。

「昨日ほうじ茶買ってきたぜ」

「あ、ありがとう」

 茶色の半透明な液体と黄色に近い橙色の不透明な液体が机の上に並ぶ。

「……なぁ」

 渚が声を発する。束沙から視線を逸らし、頭を軽く掻いた後、ふぅと息を吐いてすっと吸うと一口に言う。

「俺のことが『好き』って、どういうのなんだ?」

 束沙は硬直する。

「あ〜、なんつーか、束沙が俺のこと好きなのはわかったんだ。家族や友だちに向ける好きと違うってのもわかるんだ。わかるんだが、なんかイマイチつかめねぇんだよ……つーか恋人ってどういうので何すんだ? 俺誰とも付き合ったことねぇからマジでわからん……」

 渚は至って真面目な顔で考え込む。束沙は少しずつ顔を下に向ける。

「ということで、束沙」

 名を呼ばれて顔を上げると、束沙の目の前には渚の顔があった。

「俺と何したいのか、教えてくれ。そうしないとなんもわからん!」

 束沙は少し後退り、渚を押し戻す。

「どした?」

 束沙は赤らんだ顔を隠すように片手を持ち上げる。渚はその様子をじっと見つめる。そして、こちらも顔を染め、慌てて両手を振る。

「あ、いや、ムリに言わなくてもいいんだ。ただ、束沙の感情を知らないといけないなって、俺が、勝手に思っただけで、その、でも、見ててもわからんくて……」

 それを見た束沙は、ふっと笑う。渚が首を傾げると懐かしむような顔で言う。

「いや、こんな感じのやり取りさ、初めもしたよね」

 渚は少し考えた後「あぁ!」と拳をもう片手に乗せる。

「やったやった! 束沙に質問攻めしちゃったやつ!」

「自分の名前言ってから、『おまえ名前は? どこ出身? 頭良さそうなのになんでこんなとこ来たの? 海好き? あ、近くの駄菓子屋行ったことある?』って、答える暇もなかったよ」

「いや、なんで一人でいるんだろ? 近くから来たんじゃねぇのか? って思ってさ。そしたら束沙が軽く押してさ~」

「近いんだよ。距離感おかしいのかと思ったよ」

「え、もしかして引いてた?」

「……うん、実は」

 2人は声を上げて笑う。

「そしてすぐ、『嫌ならムリに言わなくも』って言われて」

「軽く笑った後、自己紹介してくれたよな」

「その後すぐカラオケ行こうって誘われて」

「あれ〜そだっけ?」

「そうだよ。それで」

 束沙は微笑んだ。

「僕なんかを照らしてくれるんだって」

 渚はきょとんとした顔で束沙を見る。束沙は渚を見つめ返す。

「高校行ったら、もう傷つかないように、一人で過ごすつもりだったんだけど……そうならなかった。渚のせいだよ」

「え〜、俺の?」

 渚はからかい混じりで返すが、束沙から目を離さない。

「僕が渚と……渚にしたいこと、聞きたいの?」

 渚は真剣な顔でコクンと頷く。束沙は少し眉を下げて微笑む。

「俺は、束沙に幸せになってもらいたい」

 渚はニッと笑った。

「俺ができることなら、なんでもするぜ!」

 束沙は渚を見て、それから俯いて小声を漏らす。

「…………ぃ」

「え?」

 軽く首を振り、束沙は渚を手招いた。渚は立ち上がり束沙の近くに寄る。

「うぉ」

 服を引かれた渚は束沙の目の前に膝をつく。束沙は渚の上体を抱き寄せる。

「……急に引っ張るなよ〜」

「……ごめん……」

 束沙は渚の服に顔を埋め離さない。渚は束沙の背に手を回し、少しぎこちなくも抱き返す。

「……これが、束沙のしたかったこと?」

「……他にも、あるけど……」

 渚の服を少し握って溶けるようにつぶやく。

「今日は、これでいい……」

 微かに風鈴が鳴る音が届く。その数秒後にドアが開かれる。

「2人とも……どうしたの? 顔赤いけれど……」

 ベッドの上に座っている渚は視線を斜め上に向けて言う。

「べっつに〜。ただ、ちょっと暑いな〜って」

 束沙はドアに背を向けたまま頷く。

「あらそう、ならちょうどいいかしら。おやつにアイスでも食べない? 一口サイズのやつ」

「え、食べる!……ちょっと片付けてから行くわ」

「わかったわ」

 母親がドアを閉め、今一度風鈴の音が聞こえる。

「焦った〜、なんか」

 渚が一つ息を吐く。束沙は視線を逸らしたまま言う。

「ごめん、僕、やっぱ……」

「束沙」

 渚は束沙の前に行き、顔を上げさせて目線がかち合う。

「束沙はさっきの、うれしかった?」

 束沙は少し固まった後、微笑む。

「……うん、心地良かった」

 渚はニッと笑い、束沙の顔から手を離す。

「それなら良かった! さ、アイス食べ行こうぜ」

 2人はテーブルに目線を移し「あ……」とつぶやく。

 全く中身の減っていないグラスが、大量の汗をかいて待ちぼうけしていた。

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