7月27日

 束沙がインターホンを鳴らすと、渚が飛び出てきた。

「束沙っ!」

「そんなにはしゃいで、どうしたの?」

「プール行こうぜ!」

 渚の肩にはビニールバッグがかかっている。束沙は少し眉を下げながら微笑む。

「僕、水着なんて持って来てないよ?」

「束沙ん家の方だから大丈夫!」

 渚はニッと笑った。

 束沙の家に寄ってからプールに向かう途中、鼻歌を歌う渚に束沙は尋ねる。

「そういえば、なんで急にプール?」

「テレビのCMで流れてたんだ」

 渚はうれしそうに笑いかける。

「今日まで無料で開園してるらしいよ!」

 束沙は「へぇ~」と納得した風に言った後も渚を見続ける。その視線に気づいた渚が首を傾げる。

「いや、実は、明日もバイト入れちゃったんだよな……しかも朝一からなんだよな……みたいな?」

 渚は一度瞬きした後、みるみるうちに青ざめていく。束沙は慌てて言う。

「いや、体を動かした方が寝つきがよくなるって言うし、渚と遊べてうれしいし、だから、そんな、気にしないでいいからね?」

「うぅ、ごめん、ありがと……」

 しょげた渚を慰める。プールと聞いて真っ先に思い出したのは、あの地獄のような時間だったけど。

 中三の夏、体育で必ず一回はプールに入れと言われた。だが、その頃にはすでに僕が『変人』だという『噂』が学年中、いや学校中に広まっていた。そんなこんなで、更衣室に行った途端いろんなことを言われる羽目になった。「オレらと一緒に着替えんな」だの「こんな奴に裸見られんの気持ちわりぃ」だの「いやらしい目で見んじゃねぇ」だの……おまえら見てそんなこと考えるわけもないし、こっちも出来る事なら別で着替えたいわ、アホ。なんて言えるわけもなく、先生に言ったところでどうにもならないことも知っていたし、体調が悪いと言ってほとんど休んでいた。それでもプールに入っているヤツらから文句を言われた。

「……なぁ、大丈夫か?」

 渚が顔を覗き込むと、束沙は少し後ずさる。

「……僕、なんかしてた?」

「いや、ただ俺の隣を歩いてただけだけど……」

 渚は軽く眉根を寄せて言う。

「こんな感じ? の険しい顔してたから」

 束沙は「あぁ」とため息をつく。

「なぁ、渚はさ」

「うん?」

「僕と一緒でいいのか?」

 きょとんとし、そして笑う。束沙が怪訝そうな顔をすると、渚は答える。

「ごめんごめん、そういや去年の授業のときも言われたなぁって」

「……あぁ、そういえば」

 束沙は一瞬微笑んだが、すぐに消える。

「でも、状況は違うよね」

「おんなじだよ」

 渚は指を折りながら言う。

「束沙と移動するのも、束沙の隣で着替えるのも、束沙と一緒にプールに入るのも」

「でも、心持ちが違うよね……?」

 確かめるように訊かれた渚は、首を傾げる。

「なんで? 束沙は束沙じゃん」

 束沙は唖然としたように渚を見つめる。渚は束沙の前に回り込み、ニッと笑う。

『「俺は、束沙とがいいの!』」

 束沙は少し目を細めた。

「ほら、着いたぞ!」

 渚が興奮気味に言い束沙の手を引く。束沙もつられて微笑んだ。

「ウォータースライダー行こうぜ!」

 一頻り泳いだ後、渚が近くにあったそれを指し走り出す。束沙が歩いて追っていると、渚は引き返してきて残念そうに報告する。

「子ども向けだった……」

「確か別の場所に大人もできるところあったはずだよ」

「マジでっ!?」

 ガバッと顔を上げキラキラした目で見られた束沙は、微笑んでその場に移動する。

「れっつごー!」

 渚が先に中に入る。束沙が待っている間に悲鳴とも歓声とも言えるような声が遠のいていくのを聞こえる。

「そんなに楽しいのか……」

 疑問にも感嘆にも聞こえるつぶやきを残して束沙も中に入る。薄暗い空間で自分の声の反響と水温しか聞こえない。盛大な水飛沫を上げて水面に飛び込む。

「……、はぁはぁ……はぁ」

 束沙はその場に立ち尽くす。少しの間そうしていたが、ふと振り返った。

 その瞬間、水飛沫と渚が飛び込んできて水に押し戻される。

「ぷはっ、束沙っ! 大丈夫……?」

 束沙は咳き込みながらも「大丈夫」と答える。

「出口付近に立つなよ〜」

「ごめん」

 渚は束沙を引っ張り水から上がる。

「……な、十分遊んだし、他のとこ行こうぜ」

「うん、ごめん」

「なんで謝んの?」

 渚は心底不思議そうに言った。

「あ〜、腹減った」

 更衣室を出てすぐ、渚が伸びをしながら言う。束沙は微笑んで訊く。

「何か食べていく?」

「う〜ん、どうしよ……あ」

 渚は足を止める。束沙が渚を見ると、渚はバッグの中に手を突っ込んでいる。

「……財布持ってくんの忘れた……」

 絶望したように言うと、束沙は微笑んで提案する。

「じゃあ今日は僕が奢るよ」

「いいのか?」

「だっていつも渚が奢ってくれるから、そのお返し」

「あ、ありがと〜!」

 渚は束沙を拝むようなポーズをとった。

「はぁ〜楽しかった〜」

 大分暗くなった道を2人が歩く。

「特に最後の卓球!」

「ほぼ互角だったね」

「次は負けねぇ!」

 渚が拳を握りしめて束沙を見ると、束沙は好戦的な顔で笑い返す。

「……あ、束沙、明日だいじょぶそ? 結局閉園まで居ちゃったけど」

 不安そうに渚が訊くと、束沙は微笑んで答える。

「なんとかするから、大丈夫」

「そうか? それならいい……いや良くないか ? ほんとにごめんよ〜」

「いいよ、別に。ほら」

 束沙は空を指差す。つられた渚は歓声を上げる。

「お〜天の川〜! きれいだな〜」

「そうだね」

 束沙は渚の横顔を眺めていた。

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