第三章 偽・乙女恋戦鎮魂曲 その四
*
さすがは坊君の友人、というべきなのかしら。二人とも何かを決断した時の行動力は他の追随を許さないものがある。強引に手を引かれるわたくしは、お嬢さんの行きつけの喫茶店に向かっていた。
しかし、彼女は普段、『お嬢』という、まるで任侠映画の登場人物ようなあだ名で呼ばれているそうだけど、そこに『さん』と敬称を付けると、途端に少女のような印象に変わるのは不思議ね。坊というあだ名も、後ろに『ちゃん』を付けると、何だか幼い子供の呼び名みたいになるし、これも二人の不思議な共通点かもしれない。
平日の放課後、時刻は十七時を回ったころだけど、空はまだ青く広がっている。路地裏を抜け、月ノ下商店街を直進してしばらく、とある裏道に入って少し歩いた所に、木造の喫茶店はあった。
「……超喫茶エウロパ、ですか」
おそらく元は『喫茶エウロパ』だったのだろう。店の出入口に掲げられた看板には明らかに後付けで『超』の文字が書き足されていた。
「じゃあ、入りましょうか」
お嬢さんは、看板を見上げるわたくしの手を引き、慣れた様子でわたくしを店内へと招き入れた。カランカランと出入口の扉は子気味よくベルを鳴らし、モダンな造りの店内はコーヒーのかぐわしい香りで満たされていた。
「お帰りなさいませ、ご主人様……って、何だ。お嬢か」
トレーを抱えてわたくしたちを迎え入れたのは、ライム色の髪をしたメイドさんだった。
だけど、不思議な店名といい、この喫茶店はいったいどこで方向性を見誤ったのだろう。もしかして『超』と書いて『メイド』と読むのかしら。そうだとしても、このセンスは少々尖り過ぎだと思うのだけど。
「清子、あんたまでそのあだ名で呼ばないでくれるか?」
お嬢さんはライム髪のメイドさんに言った。
「いいじゃない別に。男ばかりの工業高校に入学した途端、そんな面白おかしいあだ名を賜ったんだから。呼んであげなきゃ損じゃない。ところであなた、今日は非番でしょ? どうして店に来ているのよ」
「心配されなくても、今日は客として来たんだ」
「じゃあ、後ろの彼女はあなたのお友達? 一匹狼のあなたが誰かを連れて歩いているなんて……今日はラムネか飴玉でも降るのかしら」
ライム髪のメイドさんはそう言うと、わたくしの方に向き直って笑顔で接客する。
「お帰りなさいませ、ご主人様! 私はこの喫茶店の看板メイド・ライムちゃんだぞ! 今日は腹がはち切れるまでコーヒーを飲んでいけよ? キャルルーン‼」
「……ど、どうも、ありがとうございます」
メイド喫茶の存在は知っていたけど、こういったコンセプトのお店って、どこも設定が練り切れていない感じなのかしら。
「清子、やっぱり『キャルルーン‼』はないんじゃないか? せっかくクラシカルなメイド服を着ているんだから、もっとこうお淑やかな感じで――」
「お淑やかさなんて、通り名が『ライムちゃん』の時点で破綻してるっつーの。ほらほら、席は空いているから、どこでも好きな所に座っちゃいなさい」
ライムさんは持っているトレーをひらひらとなびかせ、わたくしたちの着席を促した。お嬢さんは同意しかねるといった様子で肩を竦めると、そのまま窓際の席に向かってしまった。机を挟むように配置された横長のソファーに鞄を預け、路地裏から歩いてきたわたくしたちはようやく向かい合うように着席した。
「コーヒー一つ」
お嬢さんは間もなく、遠くに立つライムさんに注文した。
「あ、では、わたくしも同じものを」
「清子、やっぱり二つだ。コーヒー二つ」
わたくしの注文を聞いたお嬢さんは手を挙げて訂正した。
「あなた、ちゃんとライムちゃんって呼びなさいよ……コーヒー二つね。少々お待ちくださーい」
……気だるそうなメイドさんというのも、見方によっては需要があるのかもしれない。店内にはわたくしたちのほかにも何人か客がいるみたいだけど、みんな彼女の振る舞いをあまり気にしていないようだし……今、わたくしの中のメイド像がライムちゃんで上書きされようとしているけど、きっと問題ないわよね?
「すみません、時間を取らせて」
正面に座るお嬢さんは苦笑いを浮かべた。
「いえ、こちらこそ……ですけど、坊君のご友人に声をかけられるなんて思ってもみませんでした」
お嬢さんはわたくしの言葉を聞いて、ポリポリと指で頬を掻いてみせた。
「――コーヒー二つ、愛を込めてお持ちしました! キャルルーン‼」
そうこうしているうちに、設定が定まり切っていないメイドさんが注文の品をトレーに乗せて運んできた。
「二人とも、もしかして坊お兄ちゃんの話をしていたの? 絶対にしていたわよね⁉」
コーヒーを配膳したライムさんは嬉々とした表情で聞いてきた。
「……しまったな。清子がいることを考えていなかった」
楽しげに話すライムさんをよそに、お嬢さんは独りで頭を抱えていた。
「『坊お兄ちゃん』ということは、ライムさんは坊君の妹さんなのですか?」
「清子は……その、昔から彼のことを慕っていて、坊お兄ちゃんと呼んでいるだけだ」
わたくしの質問に、なぜかお嬢さんは早口で答えた。
「ただ慕っているだけじゃないわ。将来的に、坊お兄ちゃんは私のダーリンになるんだから」
「……ダーリン」
「それなのに坊お兄ちゃんってば、私という美少女がいながら、乙女とかいうどこの馬の骨とも知らない女に鼻の下を伸ばすなんて! ………ところであなた、どこかであったことあるかしら?」
「いいえ、初めてお会いすると思いますけど」
わたくしの言葉に、ライムさんは首をかしげる。
「おかしいわね。あなたのその顔、どこかで――」
「お、おい、清子! ほかにもお客さんが来ているんだし、そろそろ持ち場に戻ったらどうだ⁉」
「何よ、藪から棒に。こんな小さな喫茶店に持ち場なんてないわよ。あなた、ここで働いているんだから、それくらい知っているはずでしょ?」
「そ、そうだったかな……」
お嬢さんが苦し紛れに窓外へと視線を向けた時、偶然にも客の一人が「すみません」と声を上げた。
「ほら! ご主人様が呼んでいるぞ⁉」
「まったく……はいはーい。今、伺いまーす」
その声は少し離れた席から聞こえてきたが、おそらく若い女性客なのだろう。トレーを抱えるライムさんは「キャルルーン!」とメイド服のスカートを翻して接客に向かった。
「……嵐は去ったか」
お嬢さんは溜息交じりでソファーに寄りかかった。
「……彼女はご友人なのですよね?」
「今からあなたに話す内容は、清子に聞かれたらいろいろと面倒なことになりそうですから」
「そうですか……ではようやく、道中に伺った『坊君の恋煩いを治す作戦』をお聞かせいただけるのですね?」
「ああ――」
お嬢さんは目の前のコーヒーを小さく啜ると、鞄の中から手帳を取り出し、そこに挟んでいた一枚の写真を見せた。
「マドンナさんには乙女の振りをして、彼の告白を断ってほしい……これが彼の恋煩いを治す作戦です」
わたくしは目を疑った。写真に写る乙女は本当にわたくしと瓜二つの見た目をしていて――そして、その、日に焼けた肌をした乙女の正体を、わたくしは一目で見抜いてしまった。
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