第35話 本当に情けないです
アレンの一発にエリーの怒りもすっかり収まったが、ひとつだけ納得がいかなかった。
「なんで、あいつらにお金返しちゃったのよ。結局損しただけじゃない」
アレンを見ると、いつもの優しい目に戻っていた。
「ああいう輩の金なんて怪しくて使えるかよ。あんな客は相手にしないで追い返せばいいのさ」
「そんなカッコつけちゃって。ほんと潰れるわよ」
「ほっとけ。それよりも早く店に戻るぞ。そろそろ料理もできている頃だろ」
「それもそうね」
二人は足早に店に向かったが、途中でエリーが足を止める。
「どうした、エリー?」
不思議に思い、アレンも足を止める。
「ねぇ、お金……」
エリーの言葉にアレンはハッとした。二人は超高級なドラゴンフィッシュのステーキを注文していた。エリーの持っていた売上金の 一千万リランを当てにして。
「やばい! 早く戻ってキャンセルしないと」
アレンはその場に佇むエリーを置いて、一足早く店に入った。遅れてエリーも店に入り、アレンを見る。
そこには茫然とテーブルに置かれた料理を立ったまま見つめるアレンがいた。エリーも諦めたようにゆっくりと席に戻り、アレンの前に座る。目の前には嗅覚を刺激する強烈な湯気を漂わせる分厚い肉の塊が 美しい盛り付けで飾られていた。ちらりとアレンを見ると、微動だにせず一点に皿を見つめていた。
「ねぇ、アレン。こうなってしまったら仕方ないわよ。折角なんだし美味しい内に食べないとそれこそ損よ。三百万円分しっかりと味わいましょう。いただきます!」
そう言って、エリーがナイフでステーキを切り分ける。肉汁が溢 れ、さらに食欲をそそる香りが漂う。アレンも覚悟を決めたように ナイフとフォークを持ち、大きく切り分け、エリーと同時に口に運ぶ。
「「くぅぅぅぅ… … …」」
二人はまるで言葉を発さず、その美味しさを噛みしめ、全てを忘れたように黙々とステーキを食べ進め、あっという間に完食してしまった。アレンは完食したあともその美味さの余韻で暫し幸せな気分で包まれていたが、レジの方から聞こえた店員の帰る客に告げる
「ありがとうございました」
の言葉で現実に引き戻された。
「エリー……言いにくいんだけど」
エリーはその言葉だけで察して、手荷物の中を確認する。
「グランシーヌに戻れば六百万リランくらい用意できるんだけど……今は三百万リランちょっとしか手持ちがないわ」
「そっか。でもエリーの分があるんなら良かった。自分の分はなんとかするよ」
「なんとかって……」
アレンは小さな声で名を呼んだ。
「ディーネ」
すると、アレンの横から光に包まれディーネが現われた。
「あれ? アレン、どうしたんですか? まだこっちに来るには早いと思うのですが……」
ディーネは辺りを見渡すと、そこはすぐにダレンの店であることは理解できた。問題は何故このタイミングで呼ばれたのかということだ。
「ディーネ、すまん!」
アレンは両手を合わせて、頭を下げ謝る。ディーネは食べ終わった後の食器と苦笑いを続けるエリーを見て、全てを察した。そしてテーブルに置かれた伝票を手に取る。じっと伝票を見ると、やがて伝票を持つ手がプルプルと震えだす。ディーネはあまりの金額に声を荒げそうになったが、場所を考えグッと我慢した。
「アレン、何故呼ばれたかは理解しました」
店の金庫を預かるディーネはアレンに数万リランしか渡していな かった。伝票に書かれた六百万リランなどどうやっても払えるわけがない。
ディーネの冷たい声にエリーも思わず怯んでしまったが、勇気をもって謝る。
「ごめん、ディーネ。私がどうしてもドラゴンフィッシュを食べてみたいって言ったから。それにさっきまでは本当にお金は持ってい たのよ。あっ、それに自分で食べた分は自分で払うから。ただ二人分払うお金がなくて……」
ディーネはエリーの方に視線をうつすと、
「エリーさんは気にしなくていいんですよ。ただこの店主が情けなくて、情けなくて。ちゃんとエスコートしなさいと言ったのに、逆に女性に会計を払ってもらおうだなんて」
右手で額を押さえて、首を横に振りながら嘆いている。アレンはその場にいることがいたたまれなくなったのか、
「ディーネ、本当にすまん。じゃあ俺は用事を思い出したから先に帰っておくから」
そう言って、足早に店を出て行った。アレンの去っていく背中を見て、さらに嘆く。
「本当に情けなさすぎて涙が出るわ」
ディーネは一旦落ち着こうとアレンが座っていた席に座る。すると店の奥からダレンが歩いてきた。
「ディーネ様、お久しぶりです。何かトラブルでもありましたか? アレン様が帰られたようですが」
「いえいえ、たいしたことはありませんわ。ただ財布として女性を呼び出すのは男としてどうかと嘆いていただけです」
ダレンはふふっと笑い、
「今日は珍しく奮発されていましたからね」
そう言いながら、テーブルに置かれた伝票を持って、ペンを内ポケットから取り出し、何やら記入すると再びテーブルに伝票を戻した。二人が伝票をのぞき込むと、値段の数字が黒く塗りつぶされ、その下に2万リランと書き直している。いつもアレンとディーネが 頼んでいるランチコースの値段だ。
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