第32話 なんてこと……
「あぁ! さっきはこれ一本で百万って言っていただろう! しかもさっきは三憶って言って何で五億に上がっているんだよ!」
怒りに満ちた表情でエリーを怒鳴りつける。
「頭悪いわね。さっさと出て行けっていっているのよ」
さきほどまでのにこやかな笑みはどこへ行ったのか、ゴミでもみるような目で、目の前の虫を払うようなしぐさを見せる。
大剣の男以外の二人はエリーの変貌に戸惑いを見せたが、大剣の男はすぐに怒りが込み上げ、握っていた瓶をカウンターで叩き割る。
瓶が割れて鋭利に尖った部分をエリーに突き立てる。
「言っておくが脅しじゃないぞ。たかが店員が調子に乗るんじゃね ぇよ」
しかしそんな脅しが通用するエリーではない。カウンター越しに男が反応できない程の速さで割れた瓶をもった腕を掴み、力を込める。男はあまりの握力に激痛が走り思わず瓶を放してしまうとエリーも腕を放す。
「脅しじゃないなら始めからその剣で切りかかってくることね。まぁ、そんなことしたら生きてはいないでしょうけど。ある意味瓶で正解かもね」
まさかの出来事に呆気にとられる三人。その冷徹な目に三人は震えあがる。そして後ろにいた男が気づく。
「そ、その目はもしや【鮮血の女神】じゃ……」
「はぁ?」
エリーは身に覚えのない言われに耳を疑う。しかし残りの二人もエリーをじっと見ると、
「ま、間違いないわ。なんでこんな田舎町の店員なんてやっているのよ」
「た、確かに【鮮血の女神】エリー・グレイシアだ」
エリーは初めて聞く二つ名にぞっとした。エリー・グレイシアという名前がでたことで間違いなく【鮮血の女神】というのは自分のことであると理解した。まさか知らないところで自分にそんな名が付けられているなんて……女神というだけでも恥ずかしくて堪らないのに鮮血なんて物騒な名が付くなんて……
「ちょっと待って。いったい誰が鮮血のなんたらって名をつけたのよ」
大剣の男がさっきまでの威勢はどこへやらといった感じで弱弱しく答える。
「えっと、誰が付けたかは分かりませんがグランシーヌの冒険者の間では【鮮血の女神】で通っていますが……敵を倒したときの返り血を浴びた姿から付いた名だとか」
「なんてこと……」
その場に崩れ落ちそうな程のショックを受け茫然としているエリーを見て、三人はチャンスと思い、
「では俺達はこれで……」
そう言って振り返り帰ろうと試みたが、
「待ちなさい!」
エリーのその言葉に三人は凍り付く。恐る恐るエリーの顔を見る。
「な、なんでしょうか」
エリーは濡れた床を指差す。
「あんたが汚したんだから奇麗にして帰りなさいよ。それに割った瓶は弁償しなさいよね」
「は、はい。ちなみに弁償はいかほどで……」
エリーはニヤリと笑い、
「そんなの自分達で決めなさいよ。まぁ、これだけお店と私に迷惑かけたのだからそれなりに必要だと思うけど」
三人はひそひそと話し合い、大剣を持った男が白金貨を二枚そっとカウンターに置く。しかしエリーは目をつぶり、腕組みをしながら微動だにしない。
白金貨二枚、つまり二百万リランでもおおよそ二倍の価値はあるのだが。その反応を見た、三人は再びひそひそと話し合う。そして白金貨をカウンターの上に二枚足す。するとエリーは一瞬だけ目を開き、再び閉じる。大剣を持った男はプルプルて全身を震わせ、麻袋の中に手を突っ込む。
「もってけドロボー」
カウンターに置かれた白金貨は合計十枚となった。エリーはそれを見るなり、最初に見せた接客モードの表情に戻り、
「お買い上げありがとうございました」
と、先ほどまでの相手を威圧する低い声ではなく、可愛らしい声を出す。その後三人は床を綺麗に拭きあげ、割れた瓶の破片を拾い、とぼとぼと店を出て行った。一人になったエリーは十枚の白金貨を見ながらほくそ笑む。
「開店して一時間程でこれだけの売上……私って商売の才能もあるんじゃないかしら」
既に【鮮血の女神】と言われたことは忘れ、上機嫌でカウンター に座り次の客を待ったが、それ以降入口の鐘がなることはなかった。
「こんなにボーっと座っているだけなんていつ振りかしら」
普段は騎士団の団長として多忙を極め、日々精力的に国の為に働いてきた。騎士団内での権力闘争、魔物との危険な戦い、冒険者や犯罪者との揉め事など王都では毎日を必死で生きてきた。こんなゆっくりとした生活もあるのかと思っているうちに睡魔が襲ってきた。
「おい、エリー! 起きろ!」
アレンの声にはっとしてエリーが立ち上がり、きょろきょろと辺りを見渡す。
「えっ、あっ……アレンおはよう。ぐっすり眠れた?」
アレンは不機嫌そうな顔で答える。
「それなりにね。エリーには負けそうだけど」
「ち、違うのよ。あまりにお客さんが来ないから、ちょっとだけ気が抜けただけよ」 「へぇ〜、そっかぁ〜」
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