第6話 引きこもり店主には森は辛いみたい
「さぁ、出発しましょう」
ハイキングに出かける前の子供のようにディーネは右手を高々と真上に挙げた。外に出ると、町にはまだ誰一人として外に出ておらず、静かな朝 だった。
「日の光を浴びるのは久しぶりな気がするな」
「そうですねぇ。アレンは一週間ぶりですかね。たまには運動とかしたほうがいいですよ」
「確かに。かなり鈍っている気がする」
そう言いながら、アレンは体を伸ばしストレッチを始めた。腰や 首からボキボキと音がなっている。
「はぁ……なんだかもうおじいちゃんですね」
「誰がおじいちゃんだ。さっさと行くぞ」
ストレッチを終えると、スタスタと歩き始め、その後ろをディー ネはついて行った。
マグニー火山に行くためには、まずグリズリーの森を抜ける必要 がある。普通の人間であればこの森を抜ける事すら困難である。見た目は熊のような体長2メートルを超えるホワイトグリズリーと呼ばれる魔物が多数生息しており、気性も荒い。さらにホワイトグリズリーの中には赤色の体毛に覆われた亜種が存在する。この亜種はホワイトグリズリーと比べても一回りは大きく、討伐ランクもCに設定されている。
討伐ランクとは、ギルドが難易度をA〜Fに振り分けたものであり、Aに近づく程困難になる。A以上のランクにSという特別なランクも存在する。グランシーヌでは腕に覚えがあるものは騎士団かギルドに入るのが一般的となっている。騎士団には主に武で名を上げた貴族の一族や、国に認められ名声を得たい者などが入団する。国の脅威を排除したり、治安の強化にあたることが仕事になり、 毎月安定した収入が得られる。その金額も平均年収三千万リランと高額で一般的な職業の三倍以上の給与となる。これも人気の職業になる一因だ。
一方ギルドとは、国民の依頼を請け、管理する組織である。ギルドに所属する人々を冒険者と呼びこれもA〜F、そしてSランクに 分けられており、その強さを表す基準になっている。依頼にはFランクの薬草の採取やペットの捜索、Aランクにもな ればドラゴン種の討伐など様々なものがある。騎士団と異なるのは、 達成した依頼に応じて収入を得られることだ。Aランクにもなれば一つの依頼で数千万の収入を得られるが、Fランクでは数千リランほどしか得られない。まさに一攫千金である がもちろん高難易度ほど死亡率も高くなる。よってグランシーヌでは安定感のある騎士団の方が圧倒的人気を 集め、騎士団に入れなかった者、騎士団の規律を嫌う者がギルドに 所属するという流れになっている。ちなみに二年前の魔王討伐の際は、国の存続に関わる程の災事で あった為、ギルドにも国から依頼を出し、さらに騎士団では特別隊 を編成し討伐へ向かった。冒険者で腕を磨いていたアレンはこの特別隊の一員として魔王を討伐し、とどめを刺したクラウスが勇者の称号を得ることになった。二人は一時間程歩くとグリズリーの森へたどり着いた。木々が青 々と茂り、道も殆ど整備されていない森だ。人が普段通らないだけあって様々な種の植物や昆虫、そして豊富な果実など自然に溢れて いる。
「大丈夫と思うけど、一応油断するなよ」
「こっちのセリフですよ。引きこもりの体にはこの大自然は辛いで しょうに」
「誰が引きこもりだ。ちゃんと働いているぞ」
ディーネは今日もアレンをからかえたことに嬉しくなり、軽やかに森を進んでいく。レクレールに二人で辿り着いたころには今のような状態になるな んて想像もできなかった。何を話しかけても「あぁ」や「うん」など一言で済ませ、笑顔など決して見ることはなかった。それでもディーネはなんとかしてアレンに立ち直ってもらう為に ひたすら話しかけた。時には無視されることもあったがそれでも毎日、毎日… …その甲斐もあり、心の奥に傷を残しながらも凍り付いた心を徐々に徐々に溶かし、以前のアレンと同じように話すことができるようになった。しかしそれでもなおアレンの心の奥底には大きな棘が刺さったままだ。
草木が生い茂り足場の悪い森をひたすら進んでいく。奥に進むほ どその茂みは深くなっていく。常人では歩くだけで体力を失っていき途中で行き倒れてしまうだろう。しかしこの程度の障害は二人に とって舗装された道を歩くことと変わりなく、問題なく順調に 進んでいったが、
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
静かな森の中で,突如重低音が鳴り響くとアレンが急に立ち止ま り、自分の腹を押さえる。
「アレン?」
ディーネもそれに合わせて立ち止まる。
「しょ、しょうがないだろ。朝から何も食べてないうえに、久しぶ りにこんな歩けば腹も減るよ」
よほど恥ずかしかったのか、アレンの顔がみるみる赤くなる。そ れを見たディーネはそんなアレンを可愛らしく愛おしいと感じなが ら、背中に抱えたリュックを下ろして、中からパンを取り出してア レンに渡す。
「ごめんなさい。歩きながら朝ごはんにしようと思っていたのに忘 れていました。とりあえずこれで我慢してください。お弁当作ってきましたから、あとで食べましょうね」
アレンは受け取ったパンを一気に食べ終える。
「流石ディーネだな。助かったよ、ありがとう」
「いえいえ、どういたしまして」
下ろしたリュックを再び背中に抱え歩き出そうとした時、森の奥から男の叫び声が響いてきた。
「ディーネ、走るぞ」
「はい」
アレンは迷うことなく、男の声が聞こえた方へ走り出す。ディー ネはアレンを鈍っていると言ったが、こういう時のアレンは早い。引き離されないようにディーネは必至で走る。もし引き離され姿が見えなくなってもすぐに見つけ出す自信はあるが、それでもアレンを見失うことは許さなかった。アレンの隣をピタリと並走する。
『あの時、私がアレンから目を離さなければ……』
ディーネもまたトラウマを抱えているのだった。
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