第40話 『祇園祭の骸』
祇園囃子が町を包む七月の夜。浴衣の袖がすれ違う宵山の通りには、目を細めるほどの提灯の列が続いていた。
僕は大学時代、写真サークルで「祇園祭の“裏”を撮る」というテーマを決めていた。ガイドブックに載らない、小さな町会や人通りのない路地を撮り歩くのが目的だった。
その夜も、八坂神社から離れた西の裏通りをひとり歩いていた。鉾も山もない、静かな通り。
けれど、なぜか風鈴の音だけがカラカラと響いていた。
「……この辺、提灯ないのに」
不思議に思って見上げると、そこに一対の駒形提灯が揺れていた。
紙の色は古び、朱も褪せて、模様は読み取れない。だが、その真下に、何かがぶら下がっていた。
人形だった。
いや、違う。人形のように見える何か。藁か髪か、判然としない繊維が垂れていた。
思わずシャッターを切った。
その瞬間、耳元で声がした。
「……まにあわへんかった……」
振り返ると誰もいない。だが背中が氷のように冷たくなる。
急いで帰宅し、写真データを確認した。
その提灯の下には、たしかに“人”が写っていた。
浴衣姿の少女。顔は白塗りで、口元が大きく裂けていた。
翌日、町会の掲示板に目をやると、ある張り紙があった。
「◎◎町青年団、昭和三十年に中止となった山鉾再建のため、今宵再興いたします」
それは、昨夜僕が歩いた裏通りの町名だった。
しかし、地図を見てもその町は存在しなかった。
知人の地元民に訊ねたところ、彼は眉をひそめてこう言った。
「あそこは昔、土地開発で町内会が吸収されて消えたんや。山鉾も、人も、名前も忘れられてしもうた。……再建の話? 聞いたことない。……あんた、ほんまに見たんか?」
あの夜の写真は、今も僕のPCの奥底に残っている。
その少女の顔だけが、日に日に解像度を増しているように思えるのは、きっと気のせいだと思いたい。
ただ、祇園祭のたびに、あの風鈴の音が耳の奥で響くのだ。
「まにあわへんかった……」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます