第30話 『千一体目の千手観音』

 修学旅行で京都を訪れたのは、もう十年以上も前のことだった。




 けれど、あの時の光景は、今でも夢に出る。




 僕たちのグループは、午前中に清水寺を見た後、午後は三十三間堂を訪れた。


 観光地巡りに飽き気味のクラスメイトたちは、あまり興味もなさそうに堂の中へと入っていった。




 けれど、僕は違った。




 その場に立った瞬間、背中にぴたりと冷気のような違和感が走った。




 三十三間堂。


 内陣には、1000体を超える等身大の千手観音像がずらりと並ぶ――まるで「見られている」ようだった。




「全部で千一体あるらしいよ」




 横にいたクラスメイトの柴田が言った。




「その“1体”だけ、ちょっとおかしいって。…地元の人はあれ、“人”が混ざってるって噂してるらしい」




 冗談だと思った。


 だが、その時、遠くから――耳元で声が聞こえた。




「おまえ……見えるのか……」




 思わず振り返る。




 誰もいない。


 いや、それどころか、クラスメイトたちが消えていた。




 広大な堂内に、僕ひとりだけが立っていた。




 あれだけいた観光客も、教師も、柴田も、誰もいない。


 ただ、千体の観音像と――その中央、最奥に立つ“千一体目”の像だけが、僕を見ていた。




 異様だった。


 それは観音像ではなかった。




 顔が、まるで能面のように白く、目だけが異常に大きく開いていた。


 瞳が動く。僕のことを、じっと見ている。




「――おまえ、代われ」




 その声が、心の中に響いた。




 逃げなければと思った。だけど、体が動かない。




 その“像”が、音もなく足を踏み出す。




 観音像が歩いている。


 違う、それは――かつて人間だった何かだ。




「ここに立っていろ、あたしは……もう飽きた」




 次の瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。




 気がつくと、僕はまた修学旅行の一団の中にいた。




「おい、なにボーッとしてんだよ。出るぞー」




 柴田が僕の肩を叩く。




 あれは、夢だったのか――?




 そう思って、最後にもう一度だけ観音像の列を見た。




 そして、凍りついた。




 一体の観音像が――にやりと笑った。




 しかも、それは僕の顔だった。




 僕の“顔”を持った像が、じっとこっちを見ている。




……いや、それだけではない。




 その像の背後、千体の中に、柴田に似た像もいた。




 そして、少しずつ、日が経つにつれ、夢の中で“増えていく”。




 次は誰がそこに並ぶのか、僕にはわかる。




 あの堂は、今もひっそりと「千一体目」を待っている。




 そして、次に京都を訪れる修学旅行生の中に――“欠員”が出るだろう。




「今度は、おまえだ」


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