第31話 『音像師(おんぞうし)と禁じられた観音』

 京都・東山区、蓮華王院本堂――通称・三十三間堂。




 かの場所には、1001体の千手観音像が安置されていることで有名だ。


 中央の巨像「千手観音坐像」を中心に、左右に500体ずつ、整然と立ち並ぶ立像。




 この壮観な仏群を造り上げたのは、鎌倉時代の仏師・湛慶たんけいら名だたる彫刻師たち。


 だが、記録に残されていない“もう一人の仏師”がいたという。




 その名を――**音像師おんぞうし・蓮鏡れんきょう**という。







 蓮鏡は、他の仏師とは異なる技法を用いた。


 仏像の“音”を封じ込めることができたというのだ。




 音とは、念のこと。




 観音の持つ慈悲を、仏像の内部に込め、像を通じて“響かせる”ことで、参拝者に安らぎを与えるという。




 しかし蓮鏡は、次第に狂気に蝕まれていった。




「観音の慈悲では、苦しみは救えぬ。人の怨嗟こそが、真なる力である」




 やがて彼は、自らの“音”――怒り・妬み・呪詛を封じ込めた像を彫り始めた。




 その像こそ、正式には数えられていない**“千二体目”の千手観音**だ。




 異様なことに、その像は、実在の人物の姿を模して造られたという。




 蓮鏡が生前、罪人として処刑された“逆臣の妻”をモデルにし、


 彼女の髪を混ぜた漆で像を仕上げ、声帯の位置に水晶を埋め込んだ。




 すると像は、夜ごと、かすかな音を発するようになった。




 呻き声、嗤い声、あるいは「助けて」と訴える囁き――。




 やがて湛慶ら仏師たちはその像の存在を忌み嫌い、三十三間堂の裏庭、地中深くに埋めた。




 その事実は封印され、今では知る者はほとんどいない。




 だが――。







 近年、とある修復作業中に、観音像の台座から、奇妙な音の記録が発見された。




 江戸時代の写経僧によるものらしく、こう書かれていた。




「正中の観音像、夜な夜な“耳元にて問う”――


『おまえの怒りは、まだ終わっていないのか』と」




「寺内にて死者、三度目の出現。音像の封じ直し不可」




「音は移る。次なる器を探す」




 現在、その記録は非公開扱いとなっている。


 だが、夜の三十三間堂にて、静かに千体の像の前に立てば――




 一体だけ、心臓の鼓動と同じリズムで“音”が響く像があるという。




 そして、こう囁くのだ。




「おまえの中にも、怒りはあるだろう? よこせ……よこせば、代わってやる……」




 それがどの像なのか、誰も明言しない。


 だが、一部の研究者は、その“千二体目”の像が、未だ堂内に紛れ込んでいるのではと噂している。




 なぜなら、最新の観音像スキャンデータに――


「存在していないはずの1020体目」が写っていたからだ。








 補足:実在の要素を活かした怖さ




「音像おんぞう」のアイデアは実在しませんが、千手観音の**“無数の耳で世界の声を聞く”**という教義をベースに、オカルト風に創作しています。




 蓮鏡という仏師は架空ですが、湛慶・運慶など実在の仏師と同時代という設定。




「千二体目の像」や「怒りを封じた像」という概念が、仏教の“怨親平等”の思想と対比になっています。


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