第29話 『丑三つ参りの女』

 貴船神社には、今も夜な夜な「誰か」が参拝しているという。


 それも――人ではない“何か”が。




 その噂を知ったのは、京都の大学に通う文系サークル「民俗探訪会」の合宿で、地元の古老から聞いた話だった。




「丑三つ参りの女の話、聞いたことあるか?」




 会のメンバーは誰も口を開けなかった。古老は、苦虫を噛み潰したような顔で話し出す。




「ほんまに昔の話やない。今でも、出るんや。藁人形を五寸釘で打ち付けに来る女がな。けどな、もう“人”やないんや。……それでも、毎晩“誰か”を呪いに来る」




 静まり返った部屋の空気に、僕は喉を鳴らした。




「それって、現代の丑の刻参りってことですか?」




 古老はうなずいた。




「そうや。けど……誰か”が来るのは、決まって七月七日。その日に、誰かが“見たらあかんもん”を見てしまう」




 サークルメンバーの一人、好奇心旺盛なハヤセが言い出した。




「行ってみようや。七月七日。実地調査ってことで」




 半分冗談のつもりだった。けれど、誰も止めなかった。


 深夜二時、僕ら四人は、貴船神社の奥へと足を踏み入れた。




 あたりは漆黒。


 社の奥へ進むと、空気がぴりつく。蝋燭の明かりが揺れ、虫の声さえ消えた。




 時刻は午前二時五十五分――まもなく“丑三つ刻”。




「……聞こえる?」




 ユミが、息を潜めて言った。




 カン……カン……カン……




 乾いた金属音。


 木を叩くような、遠くで何かを釘で打ちつけるような音が、奥の杉の木立の中から聞こえてきた。




「……まさか、ほんまに?」




 僕たちは音の方へ進んだ。




 音が近づく。足音が吸い寄せられる。


 そして――それを見た。




 白装束。


 乱れた髪。


 顔が、ない。




 というより、顔を黒布で覆っている。




 左手に握られた藁人形。


 右手に持たれた五寸釘と、槌。




「……あっ……」




 ハヤセが声を出した瞬間、女の動きが止まった。




 ゆっくり、槌を下ろす。




 そして、こちらを向いた。




 真っ黒な布の奥から、ギリギリときしむような音が響いた。




「みた……なァ……」




 次の瞬間、灯りがすべて消えた。




 気づくと、僕は神社の参道に倒れていた。ユミとタクはすぐ隣にいた。




 だが――ハヤセだけが、いなかった。




 警察も呼んだ。夜が明けるまで、山中を何度も探した。




 だが、ハヤセは見つからなかった。




 ただひとつだけ、絵馬が残されていた。


 真新しい、まだ乾ききっていない墨で、こう書かれていた。




「あの女は“人の怨み”を集めて形になったもの」


「見られた者を、人柱にして封印する」


「次に見た者は、お前や」




 一年後。僕は夜中に夢を見た。




 杉の木立。


 黒い布の顔。


 五寸釘の打ち込まれる音。




 目を覚ますと、右手には何かが握られていた。




――赤く滲んだ、藁人形。




 それ以来、僕の周りで、人が消えていく。




 何かを見てしまった者は、逃げられない。


 そう“丑三つ参り”の女は言っていた。




「見たやろ……お前も」

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