第7話 罠の味

「ねぇ怜くん、もしさ――私が、最初から全部、計算でやってたとしたら……どう思う?」


 突然すぎる問いだった。


 いつものようにソファに並んでテレビを見ていた夜。

 何の脈絡もなく、紗月はそう呟いた。


「……え?」


「ほら、“唾液をあげる”ってことも、“依存させる”ってことも、

 “あなたが壊れていく様子を観察する”ってことも――

 もし、それが全部、私の興味本位だったら?」


 怜の心臓が一拍、妙な音を立てて跳ねた。


「……冗談だよな?」


「ううん、半分くらいは、本当かも」


 紗月は、いたずらっぽく笑った。

 だけど、その目だけは、どこか冷たかった。


 


 ***


 


「ねぇ、怜くんって、もともとすごく我慢強い子だったでしょ?」


 紗月が、怜の頬に手を当てながら言う。

 撫でる指先はいつもと変わらないのに、言葉の温度が違った。


「そういう子ほど、壊れてくのが見たいんだよね。

 ちゃんとした子が、ゆっくり染まっていく過程って……たまらない」


 怜は、返す言葉を持たなかった。


「最初の一滴をあげたとき、怜くんの目がすごく綺麗でさ。

 “あ、これ、ハマるな”って思ったの。だから、試したくなった」


 それはもう、“愛”ではなく、“興味”の言葉だった。


「……じゃあ、俺って……」


「うん、“実験台”みたいなもんだったのかもね」


 


 ***


 


 しばらくの沈黙のあと、紗月はまた言った。


「でもさ、不思議なんだよね。

 あなたが壊れていくのを見るの、すごく楽しいはずなのに――

 なんでだろう、最近、ちょっと怖くなってきたの」


「怖い……?」


「うん。壊してたはずなのに、

 気づいたら、私の方があなたに依存してる気がして」


 その言葉は、怜の心に微かな震えを起こした。


「たとえば、明日からあなたがいなくなったら、

 ……私、もう唾液、あげられないと思う」


 言葉の意味がすぐには理解できなかった。

 でも、怜はゆっくりと紗月に向き直ると、彼女の手を取った。


「それでも……いいよ」


「え?」


「たとえ全部が罠でも、興味本位でも、俺は……

 それで今ここにいられるなら、それでいいと思ってる」


 その瞬間、紗月の目がほんの少しだけ揺れた。


 長くて柔らかな沈黙のあと――

 彼女はまた、指に唾液を落とし、怜の唇に触れさせた。


「……じゃあ、もう少しだけこの実験、続けてみる?」


「うん。ずっと、終わらなくていい」


 舌先に乗ったその一滴は、これまでよりも甘く、

 けれどどこか、ほろ苦かった。


 


 ***


 


 その夜、怜は気づいた。


 この関係は、もしかしたら愛じゃないかもしれない。

 でも、それでも――

 この罠の味が、自分にとっていちばん心地いいのだと。

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