🕐


 震えたスマホの音に、反射的に目が冴えた。

 時刻は零時をまわっていた。今日は金曜日。修学旅行の翌日にも関わらず、通常通り登校がある。昨日は帰宅すると普段通り、食事、風呂、明日の準備を淡々とこなしていったのだが、頭の片隅では、ずっとフォローリクエストのことが離れなかった。気長に待てばよいのだが、望月が関わると、身体の焦燥を抑えられなくなってしまう。

 ベッドで横になっても気になってしまい、輾転反側しては、時折スマホをつけてみる。


 そんなときだった。通知が鳴った。

 やっと来たか。俺は興奮に震える指で通知をタップし、SNSアプリを開いた。

 しかし、画面はチャットボックスに遷移する。通知はフォロー承認ではなかった。

 なんだよ、違うのか。

 落胆したところにメッセージが二件。差出人は望月の取り巻きの女子だった。

「これ芹ちゃんのアカ?」

「前にSNSやらないって言ってたのに笑」


 血の気が引いた。これは、確認のメッセージだ。承認の前に、本人かどうかを確かめようとしている。

 画面には、取り巻きのアイコンにオンライン状態のマークが点いている。相手も今チャットボックスを開いている。おそらく俺がメッセージを開いたことで、既読を確認したことだろう。


 しまった、開かなければよかった。

 だがもう遅い。返さなければ怪しまれる。返信がなければ、なりすましを疑われ、最悪アカウントはブロックされる。放送のアーカイブも削除されるかもしれない。

 俺はスマホを握り直すと、宇佐美の口調を想像しながら指を動かした。


 少し気だるげで、ノリは軽く、かといって馴れ馴れしすぎない距離感で。

「作ってみた笑」

「とりあえず友達フォローしておこうって感じ」

 送信ボタンを押すと同時に、喉がカラカラに乾いた。

 何も見透かされていないように祈りながら、俺はスマホを握ったまま息を潜める。久しぶりに心臓が破けそうなほど脈打った。


 やがて、返信が届く。

「草 マジでびっくりした〜」

「やっぱ榊原くんの影響だったりする?」

 なぜここで榊原の名が出てくるのだろう。彼女たちの間でのみ共有されている情報なら、知っているフリをするしかあるまい。

「うん そんな感じ」

 俺のメッセージに取り巻きはすぐさま返信する。

「ヤバ!」

「初彼氏は大切にしなよ~」


 宇佐美と榊原は交際関係にあったのか。そうか、だから宇佐美は男子ばかりの班に入るのを迷いなく受け入れたのか。今なら合点がいく。となると、密会の時間に榊原が電話をかけていた相手も宇佐美か。彼女は途中で放送を見るのをやめたと言っていたし、彼氏からの着信が理由なら頷ける。


「てか、アイコン適当すぎない笑」

 矢継ぎ早にメッセージが送られてくる。その言葉とほぼ同時に、別の通知が現れた。

「フォローリクエストが承認されました」

 画面に浮かぶその一文を見て、思わず拳を握る。

 勝った。乗り切った。

 「修学旅行の写真」、「おやすみ」とメッセージを送り、取り巻きのプロフィールをタップした。


 アーカイブはしっかりと残っていた。二日前の午後七時開始、放送は四十分ほどの長さだ。俺はイヤホンを耳に再生する。


 映像はいきなり取り巻きの顔のアップから始まった。下からのアングルなせいか、鼻の穴が強調されて醜い印象だ。望月は画面の端のデスクに座り、黙々とペンをすべらせている。時折声をかけられるが、目線をこちらに向けるばかりで、書く方に集中していた。

 美しい。まるで虚構の中の存在だ。ペンのおしりを唇にあてる仕草、前髪をかき上げる所作。つい目的を忘れてしまいそうなほど、彼女に目を奪われる。


 そうしてるうちに例の時刻にさしかかった。七時十五分頃、望月はスマホを確認した後、部屋を出る、と聞いている。

 望月が手を止め、スマホを取り出す。何度か操作すると、スマホをデスクに置いて立ち上がった。

「あれ、彩音。どっか行くの?」

「うん、ちょっとね」

 望月は曖昧にはにかむ。

「あー、もしかして彼氏のとこか~?」

 このセリフも情報どおり。

「えー、そんなんじゃないよ」

 恥ずかしそうに笑う。否定してはいるものの、たしかにまんざらでもなさそうだ。

 やはり密会はあったのだ。俺は望月が部屋に戻るまで倍速で流した。


 彼女が戻ってきたのは、七時二十五分ごろ。疲れ切った表情で、ベッドになだれ込んだ。泣いていたのは、やはり俺の見間違いではなかった。

 しばらくは取り巻きたちの質問の雨がふる。望月は一貫してはぐらかし、ついに口を割らなかった。

 そして、思い立ったようにベッドから起き上がると、画面外へ消える。カメラからはちょうど死角となる手前のスペースにしゃがんだ。

「えーなにそれ、たいやき?」

「プレゼントしてもらったんだ」

「いいじゃん。カバンとストラップで色合ってるし」ふたりの会話が画面外からこだまする。


 それ以上は目立ったシーンもなく、映像は終了した。

 おおむね宇佐美の話と共通しているが、気になる点がふたつ。


 まず、彼女はスマホをデスクに置いたまま部屋を出たこと。

 つまり、密会中に電話を受けることは不可能だった。三条の推理、望月が榊原と通話していたという説は、ここで完全に否定される。

 もうひとつは、それまで画面にも話題にもなかったストラップ。

 取り巻きが知らなかったということは、その瞬間に初めて見たということを意味する。望月は、密会の際にそのストラップを受け取ったのだ。


 俺はスマホを置いて、うつ伏せに沈んだ。たいやきのストラップ。それを確認する必要がある。

 時計の針は、もう二時を過ぎていた。


🕖


 その朝、俺はいつもより早く家を出た。たかが数十分違うだけでは街の様子は変わらない。けれど教室に入った時、ガラガラの室内を前にして、初めて変化を目の当たりにした。それまでの俺なら見ることはなかった光景。俺は自分が変わり始めたと認識した。

 いや、これは退化かもしれない。一度反省し、踏まないと誓ったてつを踏もうとしている。


 続々とクラスメイトが登校してくる。榊原、宇佐美、藤代。三条が入ってきたときに目があったが、お互いにすぐ逸らしてしまい、修学旅行時のような会話が生まれることはなかった。

 鈴のような話し声が聞こえてくる。声の持ち主は、大きめのセーラー服からすらっと伸びる華奢な足で教室に入ってきた。 

 俺はすぐに望月のカバンに注目を注ぐ。付いているはずのストラップを探した。

 だが、すぐにそんな努力は無駄だとわかる。

 彼女は昨日までと違うカバンで登校してきたのだ。ストラップは見当たらなかった。

 荷解きを面倒がったのだろうか。違和感を抱えつつも、こういう場合は想定していた。席を立ち、その足で保健室に向かう。


 養護教諭は朝一番に患者がやってきて目を丸くした。俺は頭痛や倦怠感など、思いつく症状をうそぶいて早退をお願いした。

 しばらくして佐川先生が教室にやってくる。叱られるかとも思ったが、修学旅行の疲れが抜けなかったんだな、と優しい声音で俺の届け出を受け取ってくれた。皆が口々に言う、佐川先生のギャップとはこれのことか。


 クラスメイトの同情的な視線を背に学校を出た。そして、来た道とは反対方向に歩を進める。一度歩いた道は勝手を知っていて、懐かしさを感じさせる。

 これから俺が向かうのは、望月の自宅だ。大通りから一歩入ったところにある住宅街の、一際白い壁の一軒家。


 俺は外からじっと観察する。窓は締め切られ、カーテンが降ろされている。中の様子は伺えないが、それが誰もいない合図でもあった。

 ポケットから鍵を取り出す。溝の上から丸くくぼみが彫られている。このタイプの鍵は仕組みが複雑で、値も張るかわり、こじ開けることは困難らしい。

 この鍵を手に入れたのは、今年の四月のこと。体育の授業中、トイレに行くフリをして女子更衣室に忍び込み、彼女の制服の匂いを味わうとともに拝借した。

 俺は今、再び扉を開けるのだ。そっと差し込むと、鍵は抵抗なく俺を招き入れた。


 玄関に靴はなく、制服で覚えたあの匂いが漂う。どの商品を使っているのか、色々買い込んで試したときのことを思い出した。

 望月の――いや、彩音の部屋は、階段を上がって、扉が三つ並んだ真ん中だ。

 とすんとすん、と小気味よく階段を上がっていく。俺は興奮で息を荒げながら、ドアノブを押し込む。


 彼女の部屋に入った途端、甘い香りが一層強くなる。俺はストラップを探すよりまず深呼吸した。どこよりも濃い彼女の匂いを脳に刻みつけたい。そういう一心で、すうーはぁ、と長く吸い、短く吐いた。

 部屋を物色していると、前回訪れた時との変化が目に付く。本棚には赤本、デスク上にはスピーカーと蛍光マーカー。俺が仕掛けたカメラ付きのACアダプターは、さすがに取り除かれていた。

 椅子を動かすと、デスクの足元に押し込まれるようにしてカバンがある。暗がりから引っ張り出して見ると、ファスナーの引き手にストラップがつけられている。

 ようやく見つけた。興奮が一瞬で振り切れ、冷静さが戻って来る。


 ストラップは見覚えのあるものだった。たいやきと表現するには写実的というか、魚の鱗まで刻んだ木製の細工品という印象だ。

 俺はどこでこれを見たのだろう。記憶を辿ってみるが、どうにも出てきそうにない。


 ストラップを写真に収めると、画像検索にかける。

 結果はすぐに表示された。そこでしか販売されていない限定品らしかった。

 これを買うことができた人物こそ密会相手だ。俺はこの確信をどう突きつけてやろうかと笑みが浮かんだ。


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