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 ホテル蜜蝋の月。近鉄奈良駅から徒歩五分。客室は三~八階、タイプはシングル・ツイン・ダブル。

 レストラン・カフェテリア・WIFI完備。自動販売機は一・六・八階、エレベーター前にございます。

 ※一階の自動販売機はカフェテリア内にあり、営業終了時刻午後七時をもってご利用いただけません。

 ※非常階段はスタッフが使用します。お客様はご利用いただけません(非常時に開放)。

 フロアマップはこちら。


 水色の「こちら」をタップした。昨日宿泊したホテルの見取り図が表示される。どの階になにがあったのかを眺め、俺は無心で指を繰った。

 俺と三条の調査は、明らかに停滞していた。


 帰りの新幹線は実におだやかに走っていた。生徒たちは二泊三日のうちに元気を使い果たし、貸し切った車両で寝息を立てている。もちろん全員が全員というわけではないが、時間が立つにつれて、ひとりまたひとりと脱落していく。名古屋を過ぎたあたりで、車両はすっかり眠気と倦怠感に支配された。


 俺と三条は並んでスマホを睨んでいた。

 宇佐美の話が本当なら、放送中に望月は彼氏を匂わせる言動をした。SNSで放送した映像は、放送終了後にアーカイブとして保存され、相互フォロー状態ならあとで見直すことができる。放送のアーカイブを確認するため、クラスメイトの相互フォローを数珠つなぎに追いかけていった。執念にも似た作業だった。


 やがて、昨夜の放送を行ったアカウント──望月の取り巻きのひとり──を発見した。

 フォロワーは軽く四桁に届く勢いで、投稿数も異様に多い。カラオケ、海、運動会。どの写真にも彼女が中心に据えられ、実物より目を大きく、肌もきれいに加工されている。頼まれたわけでもないのにせっせと写真を撮って公開する様は、承認欲求という言葉の見本のようだった。

 ただ、その熱量のおかげで、俺たちはアカウントを見つけることができた。


 なのに、アーカイブが、ない。

 拍子抜けだった。

 ページを何度更新しても、見つからない。過去に配信された形跡さえ、どこにもない。まるで最初からそんな配信は存在しなかったかのようだった。

 焦りにも似た感覚が胸をよぎる。

 じゃあ、宇佐美の話は嘘だったのか。


「もしかして、複アカか?」

 三条がぽつりとつぶやいた。

 複アカ、すなわち複数のアカウントを使い分ける行為。もし放送用のアカウントを別に持っていたとすれば、俺たちが辿り着いたのは、見せかけの顔に過ぎないということになる。

 俺たちは確信に近いものをつかんだ気でいた。

 だが、蓋を開ければ、出てきたのは不在の証拠だった。


「だったら他のアカウントも調べればいい」

 誰だって、そう言いたくなるはずだ。

 実のところ、放送を行ったと思われる別アカウントは、ことのほか簡単に見つかった。

 望月のアカウントを起点に、そこから取り巻きらしき連中を洗い出し、候補を絞ったのだ。

 けれど、そこで手が止まった。

 理由は単純。鍵がかかっていたのだ。


 複数のアカウントを使い分けるやつは、大抵、目的によって「公」と「私」を分ける。

 派手にリア充アピールする公開アカと、限られた友人しか見られない鍵アカ。

 問題の放送があったのは、後者──つまり“見られない場所”だった。

 鍵アカウントを見るには、フォローリクエストを送って、承認されるしかない。けれど俺も三条も、望月の取り巻きとは接点が薄かった。そんなやつから急にフォローが来たら、警戒されてしまう。当然リクエストが承認されるはずもなかった。

 行き止まりだ。目の前に壁がある。高すぎて手が届かない、超えられない。

 そんなもどかしさだけが、残された。


 捜査を阻まれた俺は、無心で関わりのありそうな情報を探している。

 望月のSNS、クラスメイトの投稿、ホテルのホームページ。いずれも、表向きの情報しかない。誰もが見ていいと思って書いた、つまらない記録。

 そんな中に、密会の痕跡なんてあるはずがない。


「リクエスト、承認されねえな」

 三条がぼそりと呟く。まぶたを擦りながら、スマホをのぞき込む顔は、どこか諦めの色を帯びていた。

 俺も眠い。でも、それを見せるわけにはいかない。気を緩めたら、こいつまで諦めそうな気がした。

「なあ、片山ってアーカイブを見せてくれそうな女友達とか、いないわけ?」

「いるわけないでしょ」

「だよな」

 三条は腕を組んで背もたれに沈む。口ぶりからして、彼もいないのだろう。三条は笑うでもなく、悔しがるでもなく、ただ静かに共感してくれた。


 たしかに正攻法で見ることは叶わないが、抜け道は存在する。

 アカウントをなりすますのだ。

 取り巻きと仲が良い人物のアカウントであると誤認させ、フォローリクエストを承認してもらう。

 たとえバレたとしても、せいぜい悪質なイタズラ扱い。俺が誰かまでは辿れない。

 もちろん、グレーな方法だとは分かっている。危ない橋は、可能な限り渡らない。短い人生で学んだ教訓だ。


 正直、俺は葛藤している。

 本当にもし、なにかの拍子で、俺が望月の密会相手を探っているとバレたら、彼女になんと思われるだろう。俺はこれまでどおり生活できる自信がない。

 だが今回の場合、リスクと成果を天秤にかければ、やる価値は十分あるように思える。


 俺は三条から見えないように角度をつけ、スマホの写真アプリを開く。望月の写真フォルダーにある渾身の一枚。俺が彼女の初ライブで撮影したものだ。

 白い肌、うねる髪、輝く瞳、躍動する体躯。そのどれもが、この世のものとは思えないほど美しい。

 やはりそうだ。俺は、彼女のことが知りたい。


 心を決めた俺はさっそく新しいアカウントを開設した。

 なりすます相手は宇佐美。近すぎず、遠すぎない。取り巻きの目には、ちょうど信じられそうな距離感に映るはずだ。

 それに、宇佐美はSNSをやっていない。新しく始めたと謳えば、フォロワー数がゼロの出来たてアカウントでも信じてもらえる。

 アイコンには修学旅行の画像を用いる。そもそも彼女の写真など持っていないため、学校に提出するために撮影した写真を使うことに決めた。班のグループチャットからダウンロードし、宇佐美の顔の部分だけを丸くトリミングする。萬福寺の総門が映り込んではいるが、違和感を感じるほどではなかった。


 あっという間に作業は終わった。俺はフォローのボタンをタップしようとした。

「片山、なにやってんの」

 三条がぼけーとした顔できく。俺はとっさにホーム画面に戻り、あたりを見回す。皆、寝るかスマホを見るかしていて、こちらの話を聞く心配はなかった。

 俺はそっと耳をうつ。

「なりすましのアカウントを作ってる」

「お前本気で言ってる?」

「……当たり前じゃん。今フォローリクエストを送る」

 彼は耳を疑い、真剣な表情を露わにする。一瞬、何が引っかかったのか分からなかった。

 逡巡の後、彼がこの方法を嫌がっていることに気づいた。


「なんでそんなに嫌がる」つい、口にしてしまう。

「なりすましってさ、要するに騙すってことだろ。そういうの、さすがにマズイだろ」

 たしなめるように言ってくる。トゲのない言葉が、重みを増してのしかかってきた。

「それってさ、オレオレ詐欺と変わらないっていうか。損させてないとしても」

 詐欺? それは違う。俺たちはただ、真実に近づこうとしてるだけではないか。

「バレなきゃいいとか、そういう問題じゃなくてさ。そこまでしなくても、いいだろ?」

 そうだろうか。

 今や誰だって、ちょっとした情報を探るくらいなら平気でやってる。たかがSNS。アカウントを作った時点で、誰にだって見られる覚悟くらいあるはずだろ。


 沈黙。走行音だけがふたりの間に響いた。

 見つめるうちに、彼は顔を伏せた。迷っているというより、俺と目を合わせたくないように見えた。

「こういうのってさ、法律とかに引っかかったりするのかな」

 三条はぼそっと食い下がる。

「……だったら何だよ」

 俺は声のトーンを落とす。これは会話ではない。三条が自分の正義感で独り相撲をとっているだけだ。

「だからさ。そこまでして、やる意味あるか」


 三条は肩を落としたまま言う。「あいつが相手なんじゃないかって、もう見当はついてるんだ」

 ピクリと耳が動く。三条も三条なりに真相に迫っていたのか。

「誰なんだ」

「それを言う前にこれを見てくれ」


 三条が見せたのはホテルのフロアマップだった。

 屋上階の簡易的な見取り図が表示されている。エレベーターホールを囲うようにガラス戸が設けられ、広々とした展望テラスが広がる。左上に小さく非常階段が書き込まれ、他の階よりシンプルだ。


「次にこれ」

 ページを下にスクロールする。八階は俺たちが泊まった四階と異なり、エレベーター脇のソファがあったスペースに、自動販売機が設置されている。一部屋あたりの広さも広く取られている。あとの作りは同じだ。凹型に伸びる廊下の先に、東は通常階段、西は非常階段がある。


 地図を目に焼き付けるようにじっくりと見る。「それで?」

「気づかないか。東の階段は八階で終わってる。通常階段じゃ屋上に出られないんだよ」

 そういうことか。屋上へ通じるエレベーターを使用したのは、望月ただひとり。といっても、俺がトイレに行っていた一分で、誰もエレベーターを使っていないという、三条の供述を前提にしているわけだが。

 だから、密会相手はエレベーター以外で屋上へ上がる必要がある。三条の言わんとすることは、つまり――


「通常階段を使った人は、密会相手じゃない」

「そう。密会相手は、彩音が屋上にいた間、部屋を出ていて、かつ通常階段を使っていない人しかありえねえ」

 言い切ると、三条は遠くの座席に目をやった。

「俺はそう考えてる。密会相手は、榊原」


 榊原は、彼に似てぱっとしない男子の集団の中で、まわりと似たように寝顔を晒していた。

「……マジでそう思ってるの?」

 眉をひそめて、三条に問い返す。「榊原に、それができたとは思えないけど」

「なんでだよ。トイレに行くって言って、榊原は四階の西側に向かった。そのままトイレに入らないで、非常階段で屋上に上がったんだよ。スマホで彩音を呼び出して、密会が終わったら、また非常階段を使ってトイレに戻ればいい」


 三条は淡々と、だが焦るように言葉を続けた。

「非常階段は使えない」俺は割り込むように反論する。

「え?」

「非常時以外は鍵がかかってるって、ホテルのホームページに書いてあった。調べてたなら、見落とすはずないと思うけど」

 三条の目からみるみる力が抜けていく。がっくり肩を落とし、視線を膝のあたりに落とす。あの馴れ馴れしくて元気だった彼とは、まるで別人だ。


「じゃあ逆だ」ぼそっとなにか呟く。

「逆?」

「逆だったんだよ。密会なんてなかったんだ。お前、榊原がトイレの個室で電話してたって言ったよな。あいつはずっと、望月と電話してたんだよ」

 あまりに唐突で、投げやりな推理だ。自信なく震える声は、逃避するような色を含んでいる。

 こいつ、本当は榊原じゃないってわかってるんじゃないか?


「お前、さっきから何が言いたいわけ?」口調が少しだけ強くなっていたのを、自分でも感じた。

「彩音の彼氏は榊原なんだよ。だからなりすましなんて、やる必要ないだろ?」

 なりすましアカウントのことを伝えたとき、まるで俺が悪人であるかのようにたしなめてきた。

 榊原説も、俺の行動を止めるための「嘘の推理」なのではないか。

「片山は、そんな事するやつじゃないだろ」 

 三条が静かに言った。まるで俺が間違った道から戻ることを信じているような声音だった。

 どうしてそこまで俺に期待する?


「……わかったよ」

「ありがとう」

 三条が、ほっとしたように息をついた。

 だが、俺はその希望を踏み砕くつもりだった。

 彼にとって、最も残酷で、取り返しのつかぬ形で拒絶しようとしている。

「でも、証拠が弱いよな。俺も納得したいけど、このままだと弱すぎる」

「それは、まあ」

「そこでだ。今から榊原のスマホを見る」


 つとめて無表情に、言葉は淡々と、まるで予定された作業のように。

 「望月との通話履歴があれば、信じてみるよ」

 三条の顔から、みるみる血の気が引いた。

「やめとけよ、無理だよ。パスワードもあるし」

「……大丈夫。班行動のときに、ちょっと画面が見えた」

 嘘だった。だが、彼は疑おうとはしない。疑ってそれを否定してしまえば、彼自身の「望み」が壊れてしまうのだろう。

 三条は無念そうに沈黙した。口では最後まで抵抗していたが、俺の理屈の前に膝を折ったのだ。思い通りに人を動かした心地よさが、じわじわと満ちてゆく。

 だが同時に、冷たい違和感もあった。勝ち誇ったはずの自分の胸に、かすかなざらつきが残っている。


 あれは引き返せる最後の声だったかも知れない。だが、もう過ぎてしまったことだし、気にしても仕様がない。

 俺は静かにスマホを持ち直し、なりすましたアカウントでフォローリクエストを送信する。

 バレずに上手くできるだろうか。指先はわずかに震えていた。 

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