⑤
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なりすましアカウントは、本人に知られぬうちに、着実に成果を上げていた。一度誰かがフォローしてしまえば、倍々にフォロワーは増えてゆく。そしてついに、望月のアカウントにもフォローリクエストが承認された。
自室で息をつく。震えはなかったが、心臓だけがやけに喧しく跳ねていた。
なぜこんなことをしているのだろう、とふと思う時がある。
彼女はアイドルだ。アイドルが恋愛をしていた。ファンへの背信行為だ。
そんな月次な言葉に、自分が当てはまるだなんて到底思わない。これからすることに、これっぽちの憎悪もない。
望月が誰と付き合おうが、俺には関係ない。そう言ってきたし、思ってきたつもりだった。でも、気づけば目で追っている。彼女のことを知りたいという気持ちがとめどなく溢れていく。俺の記憶は望月で埋まっていた。その感情は、もはやファンの域を超えている。
それを認めたら全部が壊れる気がしていた。好きとか、興味あるとか、そんなわかりやすい言葉を使ったら、俺の中にあるなにかが、簡単に消えてしまいそうで。
だから突き放してきた。気づかれないように、目も合わせなかった。
けれど、本当は見てほしい。
秘密にたどり着いたこの俺を、どうか見つけてほしい。
パネルに指を走らせる。文字の入力にこれほど気持ちが乗るなんて、生まれて初めてだ。
「彩音、ちょっと話せないかな?」
宇佐美が送っている風に文体を寄せる。何度もなりきっているうちに慣れてしまった。
「大丈夫だよ」
「宇佐ちゃんどうしたの?」
望月から返信。取り巻きの女子と比べると、対応は幾分かそっけない。
「彩音の彼氏のことなんだけどさ」
「私、わかっちゃったんだよね」
動揺して返事が遅れるか、無視されるかもしれなかった。だが意外にも切り返しは早かった。
「もしかしてカマかけられてる?」
「みんなその話好きだよね」
探りを入れられていると勘違いしたようだ。そしてやはり、望月は彼氏がいることを否定してはこない。
真剣さを伝えるために長文を送ってみる。
「まず根本的なところから」
「修学旅行の二日目の夜。ホテル蜜蝋の月に私たちは泊まっていた。七時から七時半まで日記を書く時間があてがわれ、殆どの生徒が部屋にいた。彩音は七時十五分に連絡を受け取り、スマホを置いて部屋を出る。エレベーターに乗って屋上へ行って、ストラップを持って部屋に戻ってきたのは七時二十五分だった。これは合ってるよね?」
望月はステッカーで返信してきた。猫が抱腹絶倒するイラストは、肯定と捉えるべきか、それとも大真面目に語る宇佐美(俺)を嘲笑っているのか。
「アーカイブを見た限り、ストラップが話題に出たのは彩音が戻ってきてからだった」
「彩音は会った人からそのストラップを受け取ったんだ」
またはぐらかされると思いきや、「そうだよ、会ったときに貰ったの」と認めてしまった。
俺は肩透かしをくらいつつも話を続ける。
「彩音が部屋を出ていた十分間、他にも部屋を出ていた人がいた。藤代、榊原、三条、佐川先生の四人。いずれも単独で行動し、アリバイのない時間がある。この四人の中に彼氏はいる。どうかな彩音?」
望月の返答はない。沈黙は肯定と受け取った。
「でも、ホテルのホームページを見るとある事実が浮かんでくる」
「通常階段は八階までで屋上に通じていない。非常階段を宿泊客は使えない。残るエレベーターは彩音以外乗っていない」
「彩音が彼氏と密会していた時間、屋上は密室になってた」
一見すると、彼女は屋上という密室にいるように思える。けれどそれでは説明がつかない。密会の時間に、密室は破られていなくてはならない。
頭に三条の「密会などなかった」説が蘇る。あのときは論理性を失っためちゃくちゃな推理と捉えたが、発想自体は正解だった。全ては逆だった。上にいると思われた彼女は、実は下にいたのだ。
「エレベーターの扉、上半分がガラスでできてる。もししゃがみ込んだとしたら、だれも乗ってないように見えると思わない?」
望月の反応は早かった。
「実は屋上にいませんでしたってこと? 証拠はないじゃん」
問い詰められると証拠を求めるのは犯人のお約束だが、望月がそんな反応をするとは意外だった。
「彩音を乗せて屋上に向かったエレベーターが、すぐに一階まで降りていった」
「自動で一階に戻るシステムかもしれないけど、そうじゃないみたい。あれって数分から数十分で基準階に戻るんだよね。数秒で帰るはずがない。それこそ、ボタンを押さない限りは」
「彩音はエレベーターに乗って堂々と屋上を去った。そして、降りた一階で彼氏と会ったんだよね」
またしても望月は黙する。都合の悪い問いかけには徹底して応じないつもりか。
ならば良いだろう。俺は畳み掛ける。
「彩音が一階にいたなら、通常階段から会いに行ける」
「密会相手は、通常階段を使った」
「それともう一つ。彩音は彼氏から通知で呼び出された」
「密会相手は、通信手段を持っている」
次が最後。俺は特段慎重に入力する。
「三つ目はストラップ」
「映像ではたいやきって言われていたけど、違うよね」
「あれは
開梆。三大禅宗のひとつである
最初に班行動で萬福寺に訪れたいと言い出したのは望月である。彼女が開梆を知らぬはずがない。そして、あの開梆ストラップは萬福寺でのみ販売されている商品だった。彼女は班行動のルートが変更になったことで、密会相手から萬福寺のお土産を受け取った、と俺は見ている。
「彩音は密会相手から、萬福寺限定のストラップを貰った。密会相手は、萬福寺に訪れている」
すべての条件は出揃った。望月の彼氏は、通常階段を使い、通信手段を持っていて、萬福寺に訪れた人物。
「まず藤代。藤代は修学旅行のルールを守って、スマホを持ってこなかったよね。連絡手段がない」
軽薄そうに見えて妙なところで真面目だった藤代は、手持ち無沙汰を嘆いていた。残り三人。
「次に、榊原。スマホは持ってきていたけど、通常階段を使っていない」
宇佐美と付き合っていた榊原は、エレベーターホールを通っておらず、通常階段を使えなかった。残りは二人。
「そして最後、佐川先生はスマホと通常階段を使っていた。でも、修学旅行で生徒全体を指揮する先生は、萬福寺に行っていない」
厳しさの内に優しさを秘めた、望月からも好かれる佐川先生が候補から外れる。
最後の人物は、スマホを持ち、通常階段を使い、班行動で萬福寺に赴いた。六階の自販機に、飲み物を買いに行くといって席を立ち、五階にいる佐川先生に見つからず帰ってきた。大して急いだ様子でもないにもかかわらず、ぬるそうなドリンクが激しく泡を吹いたのは、今に思うと、あらかじめ買っておいたもので、班行動のときからずっと持っていたためではないだろうか。
望月に思いを馳せる。突然推理を聞かされた彼女は今、何を考えているのだろう。アイドルのこと、それとも学校のこと。
やはり彼氏である、三条のことだろうか。
「どうして彩音は泣いていたの?」
思わずきいてしまった。
三条と付き合っていたなら、あの修学旅行の夜、泣く理由なんてないはずじゃないか。でも俺は、その理由を自分の中から絞り出すことができなかった。
どうして。どうして。知りたい気持ちがとめどなくあふれてくるのは、俺のこの気持ち故だ。
スマホを持つ手が、汗ばんでいるのがわかる。
少しの沈黙のあと、望月から返ってきた言葉は、短く、そっけなかった。
「わからない?」
心臓が跳ねる。すぐに続けて文字が送られてくる。
「不安だったから」
「ううん、それもすこし違うかな」
「わたし、自分で決めてたんだ」
「もう誰にも迷惑かけたくなかったから」
画面の向こうの望月が、なにを言いたいのか、すぐには掴めなかった。
「親にも、マネージャーにも、事務所の人にも心配されたから」
「迷惑かけたから」
「だから今度は、自分で終わらせたかったんだよ」
終わらせる?
なにを――
「宇佐ちゃんの推理は穴だらけ」
「
俺は背筋が凍りついた。望月は気づいている。俺がどうしても補いきれない推理の穴を。そして、なぜその穴を埋めることができないのかを。
「だってきみは宇佐ちゃんじゃないから」
「宇佐ちゃんを装った偽物さんだから、無理やり整合性を持たせるしかなかった」
「そうだよね、片山くん」
名前を呼ばれて、息が止まった。
画面の中で、俺の正体が暴かれていく。
ひょっとすると、逆なのか。密会場所が屋上ではなく一階だったように、事件そのものが逆だったのではないのか。
「証拠ない前提、いっぱいあったよね?」
「例えばさ、エレベーターを彩音以外使ってないって、どうして言い切れたの?」
「それは、片山くんがホールでずっと見てたからでしょ?」
指先が震えて、スマホを落としそうになる。俺がすれ違いざまに望月を見たとき、彼女もまた俺を見ていた。どうして思い至らなかったのか。自分では気づいていながら、その可能性を意図的に消していたのか?
「自分が見張っていたとは言えないよね」
「だって偽物だから」
頭の奥で、警報のような音が鳴っていた。お前は入ってはいけない場所に踏み込んだ。もうおしまいだ。そう伝えようと、頭の中をサイレンがかき乱した。
「あと」
「候補は藤代、榊原、三条、佐川先生の四人ってことだけど」
「どうして片山くんは入ってないのかな」
「それは、片山くんが混ざると、エレベーターを誰も使えなかった、っていう前提が崩れるから」
「そして」
「きみ自身が片山くんの潔白を知っているから」
俺は大変な間違いを犯した。彼女はすべてを計画していた。このままでは俺の正体にとどまらず、俺の、彼女に関する、最も危険な秘密を引き出してしまう。
「そうだよね、片山くん?」
もうやめてくれ。
「さいごに」
「どうしてきみはあのストラップがたい焼きじゃなく、開梆だって知っているのかな」
俺は踊らされていた。彼女の目論見通り、以前盗んだ鍵を使って、再び彼女の家に訪れてしまった。
「映像にストラップは映ってないのに」
「それは簡単」
「片山くんがわたしの部屋に上がったから」
その一文とともに、映像が送られてくる。タップして再生すると、薄暗い室内が映っている。見覚えのあるものだった。
数秒してドアがゆっくりと開かれる。そこに映っているのは、見間違いようもなく、俺の姿だった。部屋を見回し、目を見開いたまま深呼吸している。部屋を物色し始め、やがて画面の下に潜り込んだ。
ピロン、と望月からチャット。
「よく撮れてるでしょ」
「片山くんが使ったカメラと同じ会社のなんだよ」
「これはスピーカータイプで値段も高いんだから」
笑い声でも聞こえてくるかのように、望月の言葉が頭を叩く。机に備えてあったスピーカー。あれが盗撮用のカメラだったのだ。そんなことにも気づかず、俺は思いのままに部屋を物色してしまった。
「みんなにも協力してもらったんだよ」
「鍵がなくなった体育の日、もう片山くんが怪しいってわかってたから」
「大翔にも、先生にも相談したし」
「片山くんを止められるならって、みんな演技してくれたんだよ?」
三条、宇佐美、藤代、榊原、佐川先生。
頭の中で、声がざわざわと蘇る。
全部、演技――だったのか。
「まあ凡ミスもあったけどね」
「ライブ配信を公開アカでやるつもりが鍵アカにしちゃっててさ」
「でも大翔がカバーして助けてくれた」
「ほんと、大翔は最後まで片山くんのこと、信じてたんだよ」
息が苦しい。
三条が俺を信じていた?
何度も思い返したあの視線。それすら、俺は裏切った。
三条はなりすましアカウントのことを話すと、明らかに動揺していた。それは彼が俺を信頼していたからだった。あの瞬間、三条が俺を嗜めてきたあの瞬間だけは、演技ではなかったのだ。
画面に文字が浮かぶ。
「この映像、警察に出すから」
視界がぐしゃぐしゃになる。
スマホの画面が滲む。
「ずっと見張られて、怖かったんだよ」
「泣いたのは、不安だったからじゃない」
「おしまいにしたかっただけ」
おしまい――
俺はただ、きみのことを知りたくて。けれど知られる勇気がなかった。それだけなのに。
スマホを持つ手が、震えたまま止まらない。
爪を噛んで震えを止めようとしたけれど、もう何も止められなかった。
通報されたらどうなる。少年法に護られるとはいえ、少年院に送られたりするのだろうか。
そうなれば、俺ははじき出される。学校から、家族から、社会から。
そして望月にとっても、ただの厄介なファンの一人として忘れられる。そんなもの、俺の望んだ結末じゃない。
「大翔がどれだけ庇っても、関係なかったけどね」
でも。
望月はずっと笑っているのだろうか。もう泣かないのだろうか。そうだといいと、ほんの少しだけ思った。この気持ちは、純粋な愛ではないのか。
ピロン、と画面が最後に鳴った。
「わたし、やられたらやり返すタイプだから」
密行 Sora Jinnai @nagassan
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