🕙

 なりすましアカウントは、本人に知られぬうちに、着実に成果を上げていた。一度誰かがフォローしてしまえば、倍々にフォロワーは増えてゆく。そしてついに、望月のアカウントにもフォローリクエストが承認された。

 自室で息をつく。震えはなかったが、心臓だけがやけに喧しく跳ねていた。


 なぜこんなことをしているのだろう、とふと思う時がある。

 彼女はアイドルだ。アイドルが恋愛をしていた。ファンへの背信行為だ。

 そんな月次な言葉に、自分が当てはまるだなんて到底思わない。これからすることに、これっぽちの憎悪もない。

 望月が誰と付き合おうが、俺には関係ない。そう言ってきたし、思ってきたつもりだった。でも、気づけば目で追っている。彼女のことを知りたいという気持ちがとめどなく溢れていく。俺の記憶は望月で埋まっていた。その感情は、もはやファンの域を超えている。


 それを認めたら全部が壊れる気がしていた。好きとか、興味あるとか、そんなわかりやすい言葉を使ったら、俺の中にあるなにかが、簡単に消えてしまいそうで。

 だから突き放してきた。気づかれないように、目も合わせなかった。

 けれど、本当は見てほしい。

 秘密にたどり着いたこの俺を、どうか見つけてほしい。


 パネルに指を走らせる。文字の入力にこれほど気持ちが乗るなんて、生まれて初めてだ。

「彩音、ちょっと話せないかな?」

 宇佐美が送っている風に文体を寄せる。何度もなりきっているうちに慣れてしまった。

「大丈夫だよ」

「宇佐ちゃんどうしたの?」

 望月から返信。取り巻きの女子と比べると、対応は幾分かそっけない。


「彩音の彼氏のことなんだけどさ」

「私、わかっちゃったんだよね」

 動揺して返事が遅れるか、無視されるかもしれなかった。だが意外にも切り返しは早かった。

「もしかしてカマかけられてる?」

「みんなその話好きだよね」

 探りを入れられていると勘違いしたようだ。そしてやはり、望月は彼氏がいることを否定してはこない。


 真剣さを伝えるために長文を送ってみる。

「まず根本的なところから」

「修学旅行の二日目の夜。ホテル蜜蝋の月に私たちは泊まっていた。七時から七時半まで日記を書く時間があてがわれ、殆どの生徒が部屋にいた。彩音は七時十五分に連絡を受け取り、スマホを置いて部屋を出る。エレベーターに乗って屋上へ行って、ストラップを持って部屋に戻ってきたのは七時二十五分だった。これは合ってるよね?」

 望月はステッカーで返信してきた。猫が抱腹絶倒するイラストは、肯定と捉えるべきか、それとも大真面目に語る宇佐美(俺)を嘲笑っているのか。


「アーカイブを見た限り、ストラップが話題に出たのは彩音が戻ってきてからだった」

「彩音は会った人からそのストラップを受け取ったんだ」

 またはぐらかされると思いきや、「そうだよ、会ったときに貰ったの」と認めてしまった。

 俺は肩透かしをくらいつつも話を続ける。

「彩音が部屋を出ていた十分間、他にも部屋を出ていた人がいた。藤代、榊原、三条、佐川先生の四人。いずれも単独で行動し、アリバイのない時間がある。この四人の中に彼氏はいる。どうかな彩音?」

 望月の返答はない。沈黙は肯定と受け取った。


「でも、ホテルのホームページを見るとある事実が浮かんでくる」

「通常階段は八階までで屋上に通じていない。非常階段を宿泊客は使えない。残るエレベーターは彩音以外乗っていない」

「彩音が彼氏と密会していた時間、屋上は密室になってた」

 一見すると、彼女は屋上という密室にいるように思える。けれどそれでは説明がつかない。密会の時間に、密室は破られていなくてはならない。

 頭に三条の「密会などなかった」説が蘇る。あのときは論理性を失っためちゃくちゃな推理と捉えたが、発想自体は正解だった。全ては逆だった。上にいると思われた彼女は、実は下にいたのだ。


「エレベーターの扉、上半分がガラスでできてる。もししゃがみ込んだとしたら、だれも乗ってないように見えると思わない?」

 望月の反応は早かった。

「実は屋上にいませんでしたってこと? 証拠はないじゃん」

 問い詰められると証拠を求めるのは犯人のお約束だが、望月がそんな反応をするとは意外だった。

「彩音を乗せて屋上に向かったエレベーターが、すぐに一階まで降りていった」

「自動で一階に戻るシステムかもしれないけど、そうじゃないみたい。あれって数分から数十分で基準階に戻るんだよね。数秒で帰るはずがない。それこそ、ボタンを押さない限りは」

「彩音はエレベーターに乗って堂々と屋上を去った。そして、降りた一階で彼氏と会ったんだよね」


 またしても望月は黙する。都合の悪い問いかけには徹底して応じないつもりか。

 ならば良いだろう。俺は畳み掛ける。

「彩音が一階にいたなら、通常階段から会いに行ける」

「密会相手は、通常階段を使った」

「それともう一つ。彩音は彼氏から通知で呼び出された」

「密会相手は、通信手段を持っている」


 次が最後。俺は特段慎重に入力する。

「三つ目はストラップ」

「映像ではたいやきって言われていたけど、違うよね」

「あれは開梆かいぱん。木魚の原型になった、って話は彩音なら知ってるでしょ?」


 開梆。三大禅宗のひとつである黄檗宗おうばくしゅう、その総本山の萬福寺まんぷくじを創建した隠元和尚いんげんおしょうが、中国から持ち込んだ鳴り物だ。

 最初に班行動で萬福寺に訪れたいと言い出したのは望月である。彼女が開梆を知らぬはずがない。そして、あの開梆ストラップは萬福寺でのみ販売されている商品だった。彼女は班行動のルートが変更になったことで、密会相手から萬福寺のお土産を受け取った、と俺は見ている。


「彩音は密会相手から、萬福寺限定のストラップを貰った。密会相手は、萬福寺に訪れている」

 すべての条件は出揃った。望月の彼氏は、通常階段を使い、通信手段を持っていて、萬福寺に訪れた人物。


「まず藤代。藤代は修学旅行のルールを守って、スマホを持ってこなかったよね。連絡手段がない」

 軽薄そうに見えて妙なところで真面目だった藤代は、手持ち無沙汰を嘆いていた。残り三人。


「次に、榊原。スマホは持ってきていたけど、通常階段を使っていない」

 宇佐美と付き合っていた榊原は、エレベーターホールを通っておらず、通常階段を使えなかった。残りは二人。


「そして最後、佐川先生はスマホと通常階段を使っていた。でも、修学旅行で生徒全体を指揮する先生は、萬福寺に行っていない」

 厳しさの内に優しさを秘めた、望月からも好かれる佐川先生が候補から外れる。


 最後の人物は、スマホを持ち、通常階段を使い、班行動で萬福寺に赴いた。六階の自販機に、飲み物を買いに行くといって席を立ち、五階にいる佐川先生に見つからず帰ってきた。大して急いだ様子でもないにもかかわらず、ぬるそうなドリンクが激しく泡を吹いたのは、今に思うと、あらかじめ買っておいたもので、班行動のときからずっと持っていたためではないだろうか。

 望月に思いを馳せる。突然推理を聞かされた彼女は今、何を考えているのだろう。アイドルのこと、それとも学校のこと。

 やはり彼氏である、三条のことだろうか。


「どうして彩音は泣いていたの?」

 思わずきいてしまった。

 三条と付き合っていたなら、あの修学旅行の夜、泣く理由なんてないはずじゃないか。でも俺は、その理由を自分の中から絞り出すことができなかった。

 どうして。どうして。知りたい気持ちがとめどなくあふれてくるのは、俺のこの気持ち故だ。


 スマホを持つ手が、汗ばんでいるのがわかる。

 少しの沈黙のあと、望月から返ってきた言葉は、短く、そっけなかった。

「わからない?」

 心臓が跳ねる。すぐに続けて文字が送られてくる。

「不安だったから」

「ううん、それもすこし違うかな」

「わたし、自分で決めてたんだ」

「もう誰にも迷惑かけたくなかったから」


 画面の向こうの望月が、なにを言いたいのか、すぐには掴めなかった。

「親にも、マネージャーにも、事務所の人にも心配されたから」

「迷惑かけたから」

「だから今度は、自分で終わらせたかったんだよ」

 終わらせる?

 なにを――


「宇佐ちゃんの推理は穴だらけ」

大翔ひろとって答えは正解なのになんで穴があるのか」

 俺は背筋が凍りついた。望月は気づいている。俺がどうしても補いきれない推理の穴を。そして、なぜその穴を埋めることができないのかを。

「だってきみは宇佐ちゃんじゃないから」

「宇佐ちゃんを装った偽物さんだから、無理やり整合性を持たせるしかなかった」

「そうだよね、片山くん」


 名前を呼ばれて、息が止まった。

 画面の中で、俺の正体が暴かれていく。

 ひょっとすると、逆なのか。密会場所が屋上ではなく一階だったように、事件そのものが逆だったのではないのか。


「証拠ない前提、いっぱいあったよね?」

「例えばさ、エレベーターを彩音以外使ってないって、どうして言い切れたの?」

「それは、片山くんがホールでずっと見てたからでしょ?」

 指先が震えて、スマホを落としそうになる。俺がすれ違いざまに望月を見たとき、彼女もまた俺を見ていた。どうして思い至らなかったのか。自分では気づいていながら、その可能性を意図的に消していたのか?

「自分が見張っていたとは言えないよね」

「だって偽物だから」


 頭の奥で、警報のような音が鳴っていた。お前は入ってはいけない場所に踏み込んだ。もうおしまいだ。そう伝えようと、頭の中をサイレンがかき乱した。

「あと」

「候補は藤代、榊原、三条、佐川先生の四人ってことだけど」

「どうして片山くんは入ってないのかな」

「それは、片山くんが混ざると、エレベーターを誰も使えなかった、っていう前提が崩れるから」

「そして」

「きみ自身が片山くんの潔白を知っているから」


 俺は大変な間違いを犯した。彼女はすべてを計画していた。このままでは俺の正体にとどまらず、俺の、彼女に関する、最も危険な秘密を引き出してしまう。

「そうだよね、片山くん?」

 もうやめてくれ。


「さいごに」

「どうしてきみはあのストラップがたい焼きじゃなく、開梆だって知っているのかな」

 俺は踊らされていた。彼女の目論見通り、以前盗んだ鍵を使って、再び彼女の家に訪れてしまった。


「映像にストラップは映ってないのに」

「それは簡単」

「片山くんがわたしの部屋に上がったから」

 その一文とともに、映像が送られてくる。タップして再生すると、薄暗い室内が映っている。見覚えのあるものだった。

 数秒してドアがゆっくりと開かれる。そこに映っているのは、見間違いようもなく、俺の姿だった。部屋を見回し、目を見開いたまま深呼吸している。部屋を物色し始め、やがて画面の下に潜り込んだ。


 ピロン、と望月からチャット。

「よく撮れてるでしょ」

「片山くんが使ったカメラと同じ会社のなんだよ」

「これはスピーカータイプで値段も高いんだから」

 笑い声でも聞こえてくるかのように、望月の言葉が頭を叩く。机に備えてあったスピーカー。あれが盗撮用のカメラだったのだ。そんなことにも気づかず、俺は思いのままに部屋を物色してしまった。


「みんなにも協力してもらったんだよ」

「鍵がなくなった体育の日、もう片山くんが怪しいってわかってたから」

「大翔にも、先生にも相談したし」

「片山くんを止められるならって、みんな演技してくれたんだよ?」

 三条、宇佐美、藤代、榊原、佐川先生。

 頭の中で、声がざわざわと蘇る。

 全部、演技――だったのか。


「まあ凡ミスもあったけどね」

「ライブ配信を公開アカでやるつもりが鍵アカにしちゃっててさ」

「でも大翔がカバーして助けてくれた」

「ほんと、大翔は最後まで片山くんのこと、信じてたんだよ」

 息が苦しい。

 三条が俺を信じていた?

 何度も思い返したあの視線。それすら、俺は裏切った。

 三条はなりすましアカウントのことを話すと、明らかに動揺していた。それは彼が俺を信頼していたからだった。あの瞬間、三条が俺を嗜めてきたあの瞬間だけは、演技ではなかったのだ。


 画面に文字が浮かぶ。

「この映像、警察に出すから」

 視界がぐしゃぐしゃになる。

 スマホの画面が滲む。

「ずっと見張られて、怖かったんだよ」

「泣いたのは、不安だったからじゃない」

「おしまいにしたかっただけ」

 おしまい――


 俺はただ、きみのことを知りたくて。けれど知られる勇気がなかった。それだけなのに。

 スマホを持つ手が、震えたまま止まらない。

 爪を噛んで震えを止めようとしたけれど、もう何も止められなかった。

 通報されたらどうなる。少年法に護られるとはいえ、少年院に送られたりするのだろうか。

 そうなれば、俺ははじき出される。学校から、家族から、社会から。

 そして望月にとっても、ただの厄介なファンの一人として忘れられる。そんなもの、俺の望んだ結末じゃない。


「大翔がどれだけ庇っても、関係なかったけどね」

 でも。

 望月はずっと笑っているのだろうか。もう泣かないのだろうか。そうだといいと、ほんの少しだけ思った。この気持ちは、純粋な愛ではないのか。

 ピロン、と画面が最後に鳴った。

「わたし、やられたらやり返すタイプだから」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

密行 Sora Jinnai @nagassan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ