第16話 怨霊と剣と、決着の時

王都の春は、華やかな祝祭とざわめきに満ちていた。

けれど、その裏側では、グリムハルト侯爵家の失脚を巡る噂が、貴族社会をざわつかせていた。

俺たちアロガンテ公爵家は、カミーユや影メイド部隊の活躍で、危機一髪のところを切り抜けたばかりだ。

エレオノーラ様は、表向きは何事もなかったかのように振る舞っていたけれど――その目の奥に、まだ消えぬ影が揺れているのを、俺は見逃さなかった。

 そんなある日。

王宮から、エレオノーラ様に「王妃主催の晩餐会」の招待状が届いた。

「……行くのか?」

「ええ。王妃陛下のお招きなら、断れないもの」

エレオノーラ様は、淡々と答える。

「でも、グリムハルト侯爵も来るでしょう?」

「むしろ、そのために行くのよ」

その横顔は、決意に満ちていた。

◇◇◇

 晩餐会当日。

王宮の大広間は、金と宝石のきらめき、絹と香水の香りで満ちていた。

俺は執事として、エレオノーラ様の後ろに控える。

彼女は、赤みがかった金髪を高く結い上げ、深い紫のドレスを身にまとっている。

会場の誰よりも美しい――そう思うのは、俺の贔屓目だけじゃないはずだ。

 「……来たな」

アリスが、静かに囁いた。

会場の奥、王妃陛下の隣に、グリムハルト侯爵が姿を現した。

銀髪に口ひげ、威圧的な体躯。

その隣には、王太子殿下と新しい婚約者ソフィア嬢。

そして、王妃陛下――グリムハルト侯爵の妹だ。

 「アロガンテ公爵令嬢、よくぞ参られた」

王妃陛下は、穏やかな笑みでエレオノーラ様に声をかけた。

「お招き、光栄に存じます」

エレオノーラ様は、完璧な礼儀で応じる。

 そのとき、グリムハルト侯爵が、じろりとエレオノーラ様を睨んだ。

「ほう……。傷物になったと噂の公爵令嬢が、よくも堂々と顔を出せたものだ」

「まあ、失礼な」

俺は内心で舌打ちする。

……こいつ、まだそんなこと言うのか。

 エレオノーラ様は、微笑みを崩さずに言い返す。

「わたくし、傷物どころか、ますます美しさに磨きがかかったと評判ですのよ」

「ほう、強気だな。だがな――」

グリムハルト侯爵は、声を潜めて続けた。

「わしは知っているぞ。お前は偽物だろう!? アロガンテのエレオノーラは、わしが殺した! 確かにわしの剣は、お前の腹を貫いたんだ!」

会場のざわめきが、一瞬止まる。

 「……」

エレオノーラ様は、静かにグリムハルト侯爵を見返した。

「いいえ、怨霊ですわ。遺恨を晴らしに来ましたの」

「霊が物理で殴ってきてたまるか!」

「生前の恨みが深すぎると、物理で殴れるんですのよ」

「バカなことを……!」

グリムハルト侯爵の顔が、怒りと恐怖で歪む。

◇◇◇

 晩餐会の後、王妃陛下の計らいで、「関係者だけの茶会」が開かれた。

王妃、王太子とソフィア嬢、アロガンテ公爵家の面々、そしてグリムハルト侯爵。

俺はエレオノーラ様の背後に控えつつ、周囲の空気に神経を尖らせていた。

 「さて、グリムハルト侯爵」

王妃陛下が、静かに切り出す。

「このところ、あなたの領地や関係者に、不穏な噂が絶えません。ご説明いただけますか?」

「わしは何も知らぬ! すべてはアロガンテ公爵家の陰謀だ!」

グリムハルト侯爵は、机を叩いて叫ぶ。

「違法薬物も、人身売買も、すべてあやつらの仕業! わしを陥れるための罠だ!」

 「証拠は、すべてあなたの屋敷から見つかりましたが?」

王太子殿下が、冷静に告げる。

「王都の官憲も、あなたの家令も、すでに自白しています」

「で、ですが……!」

グリムハルト侯爵は、なおも食い下がる。

 「言い訳は聞き飽きました」

エレオノーラ様が、すっと立ち上がる。

「貴方がわたくしを排除しようとした理由――今こそ、明らかにしましょう」

◇◇◇

 ここで、物語は「幼い日のあの日」へと遡る――

 俺が初めてエレオノーラ様を守れなかった、あの悪夢の夜。

 ――

 エレオノーラ様がまだ十歳だった頃。

アロガンテ公爵家の別荘地で、家族や数人の従者とともに夏を過ごしていた。

その夜、王太子殿下――当時のエレオノーラ様の婚約者――が遊びに来ていた。

 俺は、まだ駆け出しの執事見習いだった。

……というか、正直言えば、拾われて間もない「居候」みたいなものだった。

けれど、エレオノーラ様は、俺を「アハト」と呼び、対等に扱ってくれた。

 その夜――

突然、屋敷の灯りが消えた。

悲鳴と怒号。

護衛の騎士たちが、何者かに倒されていく。

 俺は、エレオノーラ様を連れて裏口から逃げようとした。

けれど、追手は容赦なかった。

「逃がすか、小娘!」

銀髪の男――グリムハルト侯爵が、剣を抜いて俺たちの前に立ちはだかった。

 「アロガンテの娘よ、王妃の座など、分不相応だ!」

「……あなたは」

エレオノーラ様は、震えながらも俺の前に立った。

「アハト、逃げて。わたくしは――」

「何言ってるんですか、エレオノーラ様!」

俺は、咄嗟にエレオノーラ様をかばった。

けれど、グリムハルト侯爵の剣は速かった。

 鋭い痛み。

俺の肩口を、剣が貫いた。

「アハト!」

エレオノーラ様が叫ぶ。

 「邪魔だ、下郎!」

グリムハルト侯爵は、なおも剣を振り下ろす。

俺は、動けなかった。

――そして、エレオノーラ様の腹に、剣が突き立った。

 「……」

俺は、絶望の中で、エレオノーラ様の手を握った。

「……アハト、ごめんなさい。わたくし、怖いの」

「大丈夫です、絶対に、助けますから」

俺は、心の奥底に封じていた“力”を解放した。

◇◇◇

 イェシル帝国――俺の生まれ故郷。

そこでは、皇家に生まれた者だけが「魔法」を使うことを許されていた。

けれど、俺は奴隷出身の母を持つ「第五皇子」。

身分も後ろ盾もなく、ただ一つ、強い治癒魔法だけが取り柄だった。

 「決して使ってはならない」

母は、そう言っていた。

だが、俺は迷わなかった。

 ――エレオノーラ様を、助けるためなら。

 俺の手が、淡く光る。

血まみれのエレオノーラ様の傷口に、癒しの光が流れ込む。

「……あ、あったかい」

エレオノーラ様が、かすかに微笑んだ。

「アハト、あなた……」

「喋らないでください。今は、俺に全部、任せてください」

 俺は、全身の力を使い果たし、意識を失った。

◇◇◇

 気がついたとき、俺はアロガンテ公爵家の医務室にいた。

エレオノーラ様は、ベッドで眠っていた。

俺の手を、しっかりと握って。

 「……助かったのですね」

「ええ。アハトが、命を賭して守ってくれたのです」

公爵様が、静かに言った。

 「……」

俺は、ただ黙ってエレオノーラ様の寝顔を見つめていた。

◇◇◇

 王都に戻った後、事件は「野盗の襲撃」として処理された。

本当の黒幕がグリムハルト侯爵だと気づいたのは、ずっと後になってからだ。

◇◇◇

 ――現在。

 エレオノーラ様は、グリムハルト侯爵に向かって、静かに言った。

「貴方の剣は、確かにわたくしの腹を貫きました。けれど、わたくしは生きています」

「バカな……! あのとき、確かに……!」

「貴方がどれほどわたくしを憎もうと、わたくしは何度でも立ち上がります。なぜなら、わたくしの側には、アハトがいるから」

「……」

俺は、エレオノーラ様の背中を見つめながら、胸の奥が熱くなるのを感じていた。

 「グリムハルト侯爵。貴方の悪事は、すべて明らかになりました」

王妃陛下が、冷たく告げる。

「王命により、あなたを爵位剥奪、領地没収、王都追放とする」

「そ、そんな……!」

グリムハルト侯爵は、膝から崩れ落ちた。

◇◇◇

 茶会が終わり、王宮の庭園で、俺とエレオノーラ様は二人きりになった。

 「……これで、全部終わったんでしょうか」

「ええ。わたくしの“世直し旅”も、一区切りね」

「……エレオノーラ様」

「なに?」

「俺は、あの夜のことを、ずっと悔やんでいました。守れなかったことを」

「違うわ。貴方は、わたくしを救ってくれた」

エレオノーラ様は、そっと俺の手を取る。

「ありがとう、アハト。貴方がいてくれたから、わたくしは何度でも立ち上がれたのよ」

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悪役令嬢世直し旅ときどき下僕 @yuki-terao

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