第14話 赤い花の村2

  

 代官が膝をつき、農民たちに頭を下げると、広場の怒号はだんだんと収まっていった。

 それでも、皆の顔には怒りと不安、それに疲労が色濃く残っている。

 静寂の中、どこからかカラスの鳴き声が響いた。

 ――いや、こういう時に限って不吉な演出はいらないんだが。

 その時、遠くから馬車の車輪が軋む音が聞こえてきた。

 村の坂道を、黒塗りの立派な馬車が駆け上がってくる。

 車体には、この地方を治める子爵家の紋章。

 ――ああ、やっと「本物」の偉い人が来たか。遅いよ、まったく。

 馬車が止まり、扉が勢いよく開く。

 中から出てきたのは、品の良い中年の男。

 顔色は悪く、汗だくで、いかにも「寝不足で胃がやられてます」って顔だ。

 ……偉い人も大変だな。いや、同情はしないけど。

 「ま、待ってくれ! 事情はすべて聞いた! 代官、貴様は何をしていたのだ!」

 子爵は、代官の襟首をつかんで揺さぶる。

「村の者たちを苦しめていたとは……私は知らなかった! すぐにでも責任を取らせる!」

 エレオノーラ様が一歩進み出る。

 その背筋はぴんと伸びて、まるで「ここからが本番」とでも言いたげだ。

 「領主殿、貴方の領地で起きていることを本当に知らなかったのですか?」

 子爵は、うろたえながらも頭を下げた。

 「……私の監督不行き届きだ。数年前の豪雨被害の復興で多額の借金を抱えてしまって……上からの圧力が強く、逆らえなかったのだ……。だが、これ以上村人を苦しめるわけにはいかない。どうか、もう一度だけ猶予をもらえないだろうか……」

 その言葉に、農民たちの間から怒りと落胆が入り混じった声が上がる。

 「結局、借金で俺たちを売ったのか!」

 「もう誰も信じられねぇ!」

 ――まあ、そりゃそうなるよな。

 俺だって、こんな状況なら「お上」なんて信じられない。

 エレオノーラ様は、静かに手を挙げてその声を制した。

 「いいえ。まだ手はあるわ。領主殿、わたくしが資金を提供します。その代わり、貴方には今後アロガンテ公爵家の派閥として、村の復興と農民の生活再建に尽力していただくのが条件です」

 子爵は目を見開き、しばし呆然とした。

 「公爵家の……お力添えを? しかし、なぜそこまで……」

 「わたくしの趣味です。美しくないものを手直しするのが。貴方が本気で村を立て直す気があるなら、わたくしも協力しましょう」

 男爵は、深々と頭を下げた。

 「……恩に着ます。必ずや、この村を立て直してみせます!」

 農民たちの間にも、安堵と希望の色が広がっていく。

 ――いや、希望って言うか、みんな「本当に信じていいのか?」って顔だな。

 まあ、無理もない。

 「まずは、畑を元に戻すことから始めましょう。赤い花は一部を残して、他は麦や豆、芋に植え替えるの。食料がなければ、わたくしが用意します。種芋も、食糧も、すぐに手配できるわ」

 「そ、そんなことが……!」  「ありがてぇ、ありがてぇ……!」

 農民たちが次々にエレオノーラ様の前にひざまずき、涙を流す者もいた。

 ――いや、泣くのは分かるけど、俺の足元で鼻水をつけるのはやめてくれ。

 「子ども達の治療も急ぎましょう。アリス、医師団と薬師を手配して。必要な薬や食糧は、すぐに村へ運ばせるのよ」

 「はっ。すでに手配済みです、お嬢様」

 アリスは、いつものように気配もなく現れ、すぐさま手際よく指示を飛ばしていく。

 その様子に、村人たちはぽかんと見とれていた。

 「さて、赤い花の処遇ですが……」

 その時、村の外れから見慣れた赤茶色の髪が風に揺れた。

 カミーユ――紅狐が、馬を駆ってやって来る。馬の背には、マロニエ婆さんがしっかりとしがみついていた。

 「ごきげんよう、エレオノーラ様! お待たせ、特急で連れてきたわよぉ!」

 「マロニエ婆さん!」

 「アハト、久しぶりだね」

 マロニエ婆さんは、すぐに倒れている子ども達のもとへ駆け寄る。

「……やっぱり、この花の成分が原因だ。だが、適切な処置をすれば後遺症は残らない。すぐに薬を作るよ」

 カミーユは、エレオノーラ様の耳元でこっそり囁く。

 「この花、痛み止めとしては優秀よ。香料にも使えるし、ちゃんと管理すれば新しい産業になるわ」

 エレオノーラ様は、にやりと笑った。

 「そうね。村の新たな産業にしましょう。薬草としての栽培技術、加工法は公爵家で指導する。農民たちが自分で管理し、収益を得られる仕組みを整えるわ」

 男爵も、村人たちも驚きの声を上げる。

 「そんな……俺たちが、この花で食っていけるのか?」  「今度はちゃんと、俺たちの手で売れるのか?」

 「ええ。公爵家の名にかけて約束するわ。必要な技術も販路も、すべて用意する。村の誰もが飢えることのないようにね」

 マロニエ婆さんが、子ども達の治療を終えて戻ってきた。

 「この花は、正しく使えば人を救う。悪用されないよう、ちゃんと管理するんだよ」

 「はい、先生!」

 村の子ども達が元気を取り戻し、農民たちの顔にもようやく笑顔が戻る。

 「さあ、これからが本番よ。畑を耕し直して、新しい種を蒔くの。みんなで力を合わせれば、必ず村は蘇るわ」

 「エレオノーラ様、ありがとうございました!」  「公爵家万歳!」  「アロガンテ様、ばんざーい!」

 歓声と拍手が村中に広がっていく。

 エレオノーラ様は、どこか照れくさそうに微笑んだ。

 「お礼なんていらないわ。わたくしの趣味だから。美しくないものを、美しく。これが、わたくしの世直し旅よ」

 俺はその横顔を見ながら、心の底から思った。

 ――この人に一生ついていこう、と。

 ◇ ◇ ◇

 その後の村の復興は、すさまじいスピードだった。

 アリスが手配した食糧と薬が、翌日には馬車で届けられ、マロニエ婆さんの指導で子どもたちはみるみる回復した。

 男爵は、エレオノーラ様の監督のもとで村の会議に毎日顔を出し、農民たちと一緒に畑を耕し直した。

 ――いや、正直、最初は「貴族が鍬なんか持てるのかよ」と思ったが、案外様になっているのが面白いところだ。

 赤い花は一部を薬草園にまとめ、残りの畑には麦や豆、そして村人たちが自分で選んだ作物が植えられた。

「自分の畑に好きなものを植える」――それだけのことが、どれほど尊いか、村の人々は噛みしめていた。

 エレオノーラ様は、村の子どもたちと一緒に芋掘りをしたり、料理を手伝ったりもした。

 ――いや、料理は……うん、まあ、味はともかく「努力賞」だ。

 「アハト、これ、焼き芋よ! 美味しいわよ!」

 「は、はい……(真っ黒だけど、まあ、気持ちが大事ですね)」

 村の子どもたちは、エレオノーラ様の焼き芋を「おいしい!」と無邪気にほおばっていた。

 ――子どもは正直だな。いや、もしかして遠慮してるだけか?

 カミーユは、村の若い娘たちに薬草の摘み方や、花の加工法を教えて回っていた。

 マロニエ婆さんは、村の古老たちと一緒に新しい薬のレシピを研究し、時には夜遅くまでランプの灯りの下で語り合っていた。

 夜、村の広場では焚き火が焚かれ、みんなで歌を歌った。

 エレオノーラ様も、珍しく村人たちと一緒に手を叩いていた。

 ――こういうの、悪くないな。

 俺は、焚き火の炎を見つめながら、そう思った。

 「アハト、どうしたの?」

 「いえ、ちょっと感傷的になってただけです」

 「ふふ、似合わないわよ、アハトには」

 「ひどいですね」

 エレオノーラ様は、少しだけ頬を染めて笑った。

 ◇ ◇ ◇

 数日後、村を発つ日が来た。

 村人たちは、手作りの花冠や、焼きたてのパンを持たせてくれた。

 「アハト兄ちゃん、また来てね!」  「エレオノーラ様、今度はお祭りの時に来てください!」

 「ええ、必ず。また、みんなの顔を見に来るわ」

 馬車に乗り込む直前、エレオノーラ様は村の広場を振り返った。

 「美しい村になったわね」

 「ええ、本当に」

 俺は、心からそう思った。

 赤い花も、麦畑も、子どもたちの笑顔も――全部が輝いて見えた。

 「さあ、アハト。次の村へ行きましょう。世直し旅は、まだまだ終わらないわよ」

 「……はいはい、お嬢様」

 ――こうして、俺たちの旅は続く。

 次は、どんな「美しくないもの」に出会うのか。

 その時はまた、エレオノーラ様と一緒に、全力でツッコんでやろうと思う。

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