俺の職業は、確か執事だと思ったが、なんていうか「苦労人」とかって名乗ったほうがいいんじゃないかと思っている今日この頃。毎日のように仕えている貴族のお嬢様に振り回され、怪しい事件に首を突っ込み、時には命賭けで走り回る。

　今日もまた、俺はお嬢様――エレオノーラ様の隣で、見知らぬ村の風景に頭を抱えていた。

　「アハト、あれ見て」

　エレオノーラ様が窓の外を指さす。

　俺は運転席から身を乗り出して、山あいから見え始めた村を見下ろした。いや、正確には「村の色」を見てしまった。

　「……なんだあれ。畑が全部、真っ赤じゃないですか」

　麦畑の黄金色も、稲の緑もない。地平線まで続く赤い絨毯。よく見ると花。花だ。しかも、どこかで見たことのある、あんまりありがたくない種類のやつ。

　「エレオノーラ様、これ……観賞用にしては、ちょっと派手すぎません？」

　「そうね。私も気になっていたの。地図によれば、この村は昔から穀物の名産地だったはずなのに……変よね」

　変だ、どころじゃない。

　俺のカンが、「一面の赤い花畑」イコール「ろくでもない事件」だと告げている。前にも似たような花で酷い目に遭った。ああ、嫌な予感しかしない。

　車を降りて村の道を歩く。道端では、赤い花を摘む子どもたちがちらほら見える。だが、みんな顔色が悪い。目の下にクマを作って、どこかぼんやりしている。

　大人たちも、背中を丸め肩を落として畑を歩いている。声をかけても、視線を合わせてくれない。

　――うん、これは完全に「何かを抱えている村」だ。関わりたくないけど、積極的に首を突っ込んでくのが、うちのエレオノーラ様なんだよな。

　「アハト、どう思う？」

　「……正直、気味悪いです。みんな、まるで『余所者は関わるな』って顔してますよ」

　「まあ、私たちは見た目が浮いてるしね。貴方なんか、都会の詐欺師みたいな顔してるし」

　「……どういう言い草ですか」

　エレオノーラ様は俺のツッコミを華麗にスルーして、広場の土を指先でこすった。乾いた赤い花びらの破片がヒラヒラと舞い落ちる。

　「この花の赤、どこかで見覚えがあるのよね……」

　「俺もです。……あ、あれじゃないですか？　『天使の唇』の原料だって、マロニエ婆さんが見せてくれたやつ」

　「そう、それだわ。マロニエが品種改良して、悪人達が違法薬物を作っていた花。でも、これは少し違う。原種じゃないかしら」

　エレオノーラ様は、近くに生えていた花の根元を引き抜き、熱心に観察している。

　俺はその様子を横目で見ながら、周囲の村人たちの会話を盗み聞きする。

　――いや、こういう時は「情報収集」って言うんだ。決して「盗み聞き」じゃない。

　「……今年も花ばっかりだ。もう米も麦もねぇ」

　「代官様が花を作れって言うから……。うちの子も、最近は元気がなくてなぁ」

　不穏な空気だ。

　エレオノーラ様も何かを察しているらしく、眉間にしわを寄せている。

　「アハト、子どもたちの手を見てちょうだい」

　言われてよく観察してみると、花を摘んでいる子どもの手が赤く腫れている。

「……これ、花の汁が原因ですか？」

　「ええ。微量だけど神経毒が含まれているの。大人ならまだしも、子どもには危険よ」

　「やっぱり……。こういうの、役人は知らないんですかね」

　「知らないふりをしてるのかもしれないわね」

　エレオノーラ様は、花を摘んでいた子どもに近づき、ハンカチで手を拭いてやりながら、優しく声をかける。

　「この花の汁がついたら、すぐ水で流した方がいいわ。大丈夫よ。すぐによくなるからね」

「おねえちゃんたち、だれ？」

「ふふ、通りすがりのおせっかいよ」

　俺はその横で、革袋の水で子どもの手を洗い、薬箱から軟膏を取り出して子どもたちの手に塗る。

　俺の仕事の範囲外なんだけどなぁ、と思いつつも、子どもの健康には代えられない。

　貴族の執事のはずが、最近はほとんど何でも屋みたいなことばっかりしている気がする。

　その時、村の奥から怒号が響いた。

　「みんな、集まれ！　このままじゃ、子どもたちが死んじまうぞ！」

　農具を手にした男たちが、続々と広場に集まってくる。

　顔はやつれ、目は血走り、今にも暴れ出しそうな雰囲気だ。

　「アハト、これは……」

　「はい、間違いなく農民一揆の前兆でしょうね」

　「やっぱり。初めて見るわ。民衆の声の発露ね。ちょっとワクワクしてるの、私だけかしら？」

　「エレオノーラ様、普通の人はワクワクしませんよ、不謹慎です！」

　農民たちの怒号が広場を埋め尽くす。

　「代官のとこに行くんだ！　このままじゃ、みんな飢え死にだ！」

　「花ばっかり作らせやがって、金も食い物も寄越さねぇ！」

「力尽くででも交代してもらわにゃ、俺らのほうが死んじまう」

　エレオノーラ様が一歩前に出て、村の代表格らしい老人に声をかける。

　「少し、お話を聞かせていただけますか？」

　「……あんた、何者だ？」

　「困っている人を助けるのが趣味な旅人よ。何かできることがあれば、力になりたいと思っているの」

　――いや、趣味って言われても。普通信用されないでしょ。

　俺は心の中で全力ツッコミを入れるが、村人達は相当困っていたらしい。

「まあ、聞かれりゃ答えるけどよ。助けてくれるってんなら、アンタが悪魔でも魔物でもいいさ。すがれるもんなら藁だってな」

　老人は、ぽつりぽつりと語り始めた。

　「三年前、代官が変わったんだ。それから、赤い花を作れって……最初は少しだけだったが、今じゃ畑のほとんどが花、花、花だ。花は代官が全部買い上げるって言うから撒いたが、金はろくに払われねぇ。代わりに借用書ばっかりが増えていく」

　「穀物を作るなって命令されたの？」

　「“花のほうが金になる”ってさ。けど、誰だって食い物がなきゃ生きていけねぇ。畑の隅で細々と芋や豆を作ってたが、それも見つかれば兵士どもが踏み潰しやがる。もう限界だ、このままじゃ死人がでる」

　「子どもたちの症状は、いつから？」

　「前からかぶれやなんかはあったが、今年に入ってから深刻になってな。花の世話を手伝ってくれる子に多い。手がしびれる、腹が痛い、幻覚が見えるって……代官に訴えても、“気のせいだ”の一点張り。医者も呼んじゃくれねぇ」

　エレオノーラ様はしばらく黙って話を聞いていたが、やがて静かに言った。

　「分かりました。わたくしが必ず、解決してみせましょう」

　「……あんた、何者だ？　信用していいのか？」

　「ええ。わたくしは約束は破らない主義なの」

　老人は、わずかに目を細めてエレオノーラ様を見つめた。

　「……あんた、変わってるな」

　「よく言われます」

　エレオノーラ様は、にっこりと微笑んだ。

　――こういう時のエレオノーラ様は、生き生きとしていて実に魅力的だ。

　俺は、またとんでもない事件に巻き込まれる予感を覚えつつ、腹を括った。

　◇◇◇

　夕暮れが近づくにつれて、村の空気はどんどんピリピリしてきた。

　広場には、農民たちが三々五々集まり始めている。

　鍬や鎌、棒切れを手にした男たちの目は、昼間とは打って変わってギラギラしていた。

　「……エレオノーラ様、これ、本当に大丈夫なんですかね？」

　「何が？」

　「いや、その……一揆って、下手したら死人が出ますよ？」

　「そうね。でも、何もしなければもっと多くの人が死ぬ、彼らはそう思っているんでしょう」

　――いや、確かにそうなんだけど、貴族のお嬢様がさらっと言うセリフじゃないと思うんだ。

　村の子どもたちが、物陰から不安そうに様子をうかがっている。

　その視線が、どこか俺たちに期待しているようにも見えて、妙なプレッシャーを感じる。

　「アハト、ちょっと来てちょうだい」

　エレオノーラ様が俺の腕を引っ張る。

　連れて行かれたのは、村外れの納屋だった。その中では、アリスが何やら荷物を広げていた。

　「お嬢様、変装の準備が整いました」

　「ありがとう、アリス」

「変装ですか？　まさか農民に紛れ込むつもりで？　こぉんなゴージャスな農民、いっこないでしょう？　何着たとこでバレますよ！」

「褒め言葉だと受け取っておくわ」

「超ポジティブ！」

「何を人ごとみたいに行っているの、アハトも変装するのよ。さっさとこれを着て」

　差し出されたのは、泥だらけの農民服――という名の、エレオノーラ様お手製「高級生地に泥を塗っただけ」のコスプレ衣装だ。

　……いや、繰り返すけど、絶対バレるだろコレ。

　俺は内心でツッコミを入れつつ、仕方なく袖を通す。

　「エレオノーラ様、どうせなら本物の農民服を用意できませんでした？」

　「だって、村人に頼んだら迷惑でしょ？　それに、貴方は顔が地味だから、服さえ地味なら目立たないわ」

　「……悪かったですね、地味顔で」

　「褒めてるのよ。地味は武器よ、アハト」

　――いや、絶対褒めてないだろ。

　エレオノーラ様は自分の髪を布で隠し、顔に泥を塗って変装を仕上げる。

　どう見ても、どこかの劇団の女優が無理やり農民役を演じているようにしか見えない。

　だが、本人は完璧に溶け込んだつもりらしい。

　アリスは、すでにどこかへ消えていた。さすが神出鬼没の『影』メイド、抜かりがない。

　「じゃあ、行くわよ」

　エレオノーラ様は颯爽と広場へ向かう。

　俺も渋々その後を追う。

　広場では、農民たちの怒号が最高潮に達していた。

　「もう我慢できねぇ！　代官を引きずり出してやる！」

　「俺らの畑を返せ、金をよこせ！　このままじゃ子どもが死んじまう！」

　その熱気に押されて、俺たちも自然と人の波に飲み込まれていく。

　「おい、あんたらも来たのか？」

　「ええ、村の子どもたちを見殺しにはできないから」

　エレオノーラ様が即答する。

　俺は心の中で「いや、俺は反対したんですよ」とつぶやいたが、もちろん口には出さない。

　「感謝するよ。だが、よそ者のアンタが俺らのために死ぬこたぁない。命だけは大事にしてくれ」

　「ありがとう。でも、命より大事なものがあるの」

　――お嬢様、命は大事にしてください。本当に。

　農民たちの怒号に混じって、若い母親が泣きながら叫ぶ。

　「うちの子を治して！　もう、今朝から動けないのよ！」

　その姿に、俺の胸も少しだけ熱くなる。

　――いや、俺は基本的に巻き込まれ体質だけど、こういうのは放っておけない性分なんだ。

　エレオノーラ様が突っ走るのも、分からなくはない。

　やがて、農民たちは一つの塊になって、代官屋敷へと雪崩れ込む。

　俺たちも、その中に紛れ込んだ。

　代官屋敷の門前には、武装した兵士たちがずらりと並んでいる。

　鎧に身を包み、槍や棍棒を手にした男たちが、明らかに「本気で来い」と言わんばかりの構えだ。

　「下がれ！　暴動は許さん！」

　「下がらなければ、力ずくで排除する！」

　兵士たちの怒鳴り声に、一瞬農民たちがひるむ。

　だが、エレオノーラ様は一歩も引かない。

　「おやめなさい！」

　その声は、怒号の中でもはっきりと響いた。

　農民たちも兵士たちも、一瞬動きを止める。

　「……誰だ、あんたは？」

　エレオノーラ様は、帽子を脱いで泥を拭い、堂々と名乗る。

　「わたくしはエレオノーラ・アロガンテ」

　農民たちがざわめき、兵士たちも明らかに動揺している。

　「アロガンテって、公爵家……？」

「あの新聞に載ってた……？」

　「そうよ。公爵家の名において代官との面会を求めるわ。この村の子どもたちに危害を加えることは許さない。逃げ隠れせずに顔を見せなさい！」

「う、嘘だ、そんな泥だらけの公爵令嬢がいるはずがない！」

「公爵家の名を騙る偽者め！」

　うん、なんかデジャヴ。

　ついこの間も、本物じゃないって言われて凹んでたのどこの誰でしたっけね。それなのにあえて泥だらけになって農民に紛れ込むとか。

　偽者呼ばわりした兵士を叩き伏せてたから、エレオノーラ様自身、ちょっと気にしているのかもしれない。

　それに兵士たちが右往左往している隙に、農民たちの怒号が再び高まる。

　「公爵家が味方なら怖くねぇ！」

　「今だ、門を開けろ！」

　勢いに押されて、ついに門が破られる。

　俺は、兵士の棍棒をかわしながらエレオノーラ様の背中を守る。

　「アハト、やっていい？」

　「どうぞ、どうぞ、お嬢様」

　エレオノーラ様の黄金の右脚が、兵士の腹を思い切り蹴り飛ばす。

　――ウチのお嬢様が戦闘民族すぎる件。

　俺も短剣で棍棒を受け流し、相手の手首をひねり上げて投げ飛ばす。

　農民たちも、恐る恐るだが兵士たちに立ち向かう。

「うわ！　やめろ、俺たちは命令に従っただけだ！」

「命令なら子どもを虐げていいってのか！」

　兵士たちは数で圧倒され、ついに屋敷の玄関まで押し込まれる。

　中から、太った男が慌てて飛び出してきた。

　絹の服に金の鎖、いかにも成金趣味の悪代官だ。

　「な、なんだ貴様らは！　無断で屋敷に入るとは何事だ！」

　エレオノーラ様は群衆から一歩前に進み、冷ややかに言い放つ。

　「わたくしはアロガンテ公爵家のエレオノーラ。この村の不正を問いただしに来たのよ。説明してもらいましょうか、なぜこの村の畑に危険な赤い花ばかりを作らせ、子どもたちを危険に晒しているのか」

　代官は最初こそ虚勢を張っていたが、農民たちの怒号とエレオノーラ様の迫力に気圧され、しだいに顔色が青くなっていく。

　「そ、それは……上からの命令で……。わ、私は逆らえない筋が……」

　「“上”とは誰？　言えないようなおうちなのかしら？」

　「わ、わたしは……ただ、借金が……。断れなかっただけで……」

　エレオノーラ様は、ふっと息を吐いて代官を見下ろす。

　「貴方の借金の尻拭いのために、どれだけの子どもが苦しんだか分かっているの？」

　「そ、そんなつもりじゃ……！」

　「言い訳は聞き飽きたわ。アリス！」

　どこからともなく現れたアリスが、代官の背後にすっと立つ。

　「はい、お嬢様。証拠書類、すべて押さえております」

　「よろしい。代官、貴方には責任を取ってもらうわ。今ここで、村の民に謝罪しなさい」

　代官は、膝をついて震えながら頭を下げた。

　「す、すまん……すまん……！」

　農民たちの怒号が、やがて静かな嗚咽と溜息に変わっていく。

　――まあ、これで一応、死人が出る事態は回避できたか？

　俺はふぅと息を吐いた。