第6話 悪徳とバイオレンスの香り1


 ◇◇◇

 旅に出て何日目だったか。俺はもう数えていない。

 エレオノーラ様の「世直し旅」は、やたらとトラブルを引き寄せる。盗賊退治なんて日常茶飯事だ。いや、違うな。エレオノーラ様自身が嬉々としてトラブルの中心に突っ込んでいくんだ。俺はそのたび、執事の皮を落っことしそうになりながら振り回される。

 この日もそうだった。

 山あいの小さな街。ここでしか手に入らない希少な香油の原料があるとかで、エレオノーラ様は上機嫌で朝市に向かっていた。この街まで乗ってきた公爵家の車は、メンテナンスを兼ねてホテルの駐車場に置いてきている。

 まだ珍しい最新式の車のオーバーホールまでできるとか、アリス達『影』メイドの万能感半端ない。

 それにしても、エレオノーラ様ってばちょっと張り切りすぎなんじゃないだろうか。まだ朝霧がまだ消えきらない時刻だ。

 こんな時間から開いている店があるのか?

「あら、アハト。何か問題が発生したみたいよ」

 エレオノーラ様が顎でしゃくって示した先では、三人のごろつきが、ひとりの老婆を囲んでいた。

「おいババア、逃げんなって言ってんだろ!」

「さっさと戻って薬作れや!」

「お前が拾ったガキもどうせこのへんにいるんだろう? 俺らの言うことが聞けねぇなら、どうなるか分かってるよなぁ?」

 ……うわぁ。絵に描いたような悪党だ。

 絡まれている老婆は小柄で、腰が曲がっている。白髪を後ろできゅっとまとめ、粗末なマントを羽織り、幾つもの小さな紙袋を抱えていた。

 なんだか、誰かに似ているというか、どこかで会ったような気がする。

 老婆の目におびえはなく、ただ唇を噛んで険しい表情をしている。

「アハト」

「はいはい、承知いたしましたエレオノーラ様」

 もう慣れたもんだ。俺は老婆のほうへとゆっくりと歩み寄り、エレオノーラ様は堂々とごろつきたちの前に立つ。

「おやめなさい。ご老人に乱暴するなんて、みっともないことこの上ないわ」

 エレオノーラ様の声がシンとした朝の町に朗々と響く。

 ごろつきたちは、最初こそ顔を見合わせていぶかしげな顔をしていたが、すぐにニヤついた顔でエレオノーラ様に近づいた。

「なんだお嬢ちゃん。金持ちの観光か?」

「よく見りゃ大層な美人だ、婆さん連れてくより金になるな。身ぐるみ剥いで売り飛ばしてやるよ。好奇心は猫をも殺すってな」

「ついでに楽しませてもらおうぜ」

 ……はいはい、テンプレ通りの展開ですね。

 エレオノーラ様はため息すらつかず、俺を横目で見る。

「聞いたわね?」

「あー、バッチリ聞きした」

「もういいわよね?」

「いいと思います」

 エレオノーラ様の黄金の右脚が、見事なフォームでごろつきの一人の股間を蹴り抜いた。

 赤いドレスの裾が舞い、真っ白い脚線美が目にまぶしい。

 けど、同じ男として、股間を蹴るのはできれば辞めて欲しい。あらぬところがヒュッとする。

「ぐえっ!」

 ごろつきは蛙を潰したような声をあげて、震えながら地面に座り込んだ。

「貴族の嗜みには、護身術も含まれるのよ。知らなかったのかしら?」

「こ、このアマ!」

 残りの二人がナイフを抜いて襲いかかる。

 俺は老婆をかばいつつも、エレオノーラ様の横に一歩進み、エレオノーラ様に向けられたナイフを蹴り飛ばすと一人の手首をひねり上げて地面に叩きつける。

「……あー、やっぱり俺、執事だけじゃなくて用心棒の給料も請求していいんじゃないか、これ? なんかどんどん鍛えられてってる気がする。主に実践で」

 自分で自分にツッコみつつ、最後の一人をエレオノーラ様が沈めるのを横目で確認した。

 ……ピンヒールで股間を踏むのはやめてあげてください。主に俺の精神衛生のために。

 ゴロツキ三人が泡を吹いて地面に転がるだけになると、エレオノーラ様は服の埃を払い、老婆へと向き直った。

「怪我はない?」

 老婆は俺たちをじっと見ていたが、やがて小さく頭を下げた。

「……助けてくれて、ありがとうよ」

「礼には及ばないわ。あいつらがわたくしの趣味じゃなかった、それだけの話ですもの」

 エレオノーラ様は、ニッと微笑む。その笑顔は正義の味方というより、むしろ悪役っぽい。けれど最高に魅力的だ。悪役の笑い方が似合いすぎるって、どうなんだ?

 俺がそんなことを考えている間に、老婆は一歩、二歩と後ずさる。そのままじりじりと距離をとると、会釈して早足に歩み去った。

「なにか、ワケアリだったんでしょうか」

「薬を作れ、ガキがどうなるか分かるか、そんなことを言ってたわよね。このまま見過ごすには、ちょーっと不穏な台詞よね」

「まあ、こいつらを絞り上げれば、多少の情報は得られるんじゃないですかね」

「完全に同意」

 エレオノーラ様は悶絶しているゴロツキ達をつま先でちょいとつつくと、パンパンと手を叩いた。

「――お側に」

「アリス、お願いがあるの。こいつらの持っている情報、きれいに吐かせちゃってちょうだい」

「御意」

 アリスに続いて現れた、ヴィヴィアン、クロエの二人と共に、少女三人が一人ずつゴロツキを肩に担ぎ上げ、スッと消える。

 いやほんと、どうなってんだあの人達。

 あれを見ちゃってるから、エレオノーラ様のハイヒールでの全力疾走とかにさほど違和感を感じないんだよな。俺の中の貴族令嬢ってものの定義が揺らいできてる。むしろ俺、王都に帰って普通の貴族令嬢とか見たら、違和感感じまくりなんじゃないか?

「さあ、あいつらはアリス達に任せて、わたくしたちは朝市を目指しましょう。先ほどのご老人の身元も分かるかもしれないし」

 戦っている内に、朝霧が晴れてきた。

 俺が差しかけたレースの日傘を、エレオノーラ様はふふっと笑って奪い取り、クルクル回して自分の肩に乗せた。


 ◇◇◇

 ゴロツキから助けた老婆は、名をマロニエというらしい。

 しばらく前から街外れに小さな女の子と住み着いたけれど、街の人たちとはあまり関わってこなかった。けれど、たまたま女の子と遊んでいた商店の息子が怪我をして、傷薬を分けてもらったことから、マロニエが腕の良い薬師だと分かり、ちょうど街の薬師が一人もいなかったことから、皆で頼み込んで簡単な薬を作ってもらうことにしたと。

 マロニエ婆さんは人付き合いが苦手だから、自分で薬を売ることはなくて、いつも朝イチで商店に薬を卸しにやって来る。でも婆さんの薬は良く効くから、みんな感謝してるんだ。

 そんな話を朝市で仕入れたエレオノーラ様と俺は、さっそく街外れの小屋を訪れていた。

「ここよね?」

「小さい子がいるようにはとても見えませんね」

 戸を叩いても返事はない。腕の良い薬師の家どころか、むしろ廃屋だと言われた方がしっくりくる。

 首をかしげながらも裏庭をのぞくと、栗色の髪の小さな女の子が何かの草の葉っぱをむしっていた。

「こんにちは」

 エレオノーラ様が声をかけると、女の子はビクッと体を揺らして慌てて小屋の中へと駆け込んでいった。

「お前は家の中にいるんだっ」

「でもっ、ししょう」

 ガタガタと音がして、裏口からマロニエ婆さんが姿を現した。俺たちの姿を見て、こわばっていた肩の力が抜ける。

「なんだ、あんたらか。今朝は助かったけれど、こんなところまで何の用だい?」

「ししょう、知り合い?」

「今朝ゴロツキにからまれてね。この二人が助けてくれたんだよ」

「助けて? ししょうを? あ、ありがとう、ございましたっ」

「いいのよ。わたくしの趣味だから」

「しゅみ?」

 しゃがんで目線を合わせたエレオノーラ様に、女の子は首をかしげる。まあ普通、人助けが趣味なんて人間に巡り会う機会はないわな。

「ミナ、こっちに戻ってきな。助けてくれたからって、良い人とは限らないんだよ」

「でも、トロンじいちゃんは良い人だったよ」

「……トロンはね」

 女の子――ミナを自分の後ろに隠したマロニエ婆さんに、エレオノーラ様は裾の埃を払って立ち上がると、口の端をあげた。

「自己紹介がまだだったわね、わたくしはエレオノーラ・アロガンテ」

 老婆は目を見開いた。

「まさか、公爵令嬢……?」

「あらご存知だったかしら。わたくしの名を聞いて、何か思い当たることがあるなら、率直に話してちょうだい」

 マロニエ婆さんはしばらく迷うように黙っていたが、やがて観念したように口を開いた。

「……私はマロニエ。薬師だよ。だが、孫達と暮らしていた街で悪い連中に捕まって……この近くで違法な薬を作らされていたんだ」

「違法薬物、ね」

 エレオノーラ様の目が細くなる。

 俺も眉をひそめた。

「なぜ訴え出ないんです? 衛兵や自警団に頼れば――」

「頼れないんだよ。あの連中は、街の役人や兵士も買収している。老い先短いこの身、私だけなら構わないが、孫達やミナに害が及ぶのは耐えられないからね、なるべく目立たないように隠れ住んでたんだが……資金が尽きてね。こっそり薬を売り始めたら、あっさり奴らに見つかっちまった」

「ミナちゃんっていうのは、この子ですか」

「……私が奴らの言いなりになってたとき、親に捨てられて死にかけているこの子を拾ってね。やっぱり奴らに捕まって利用されてたトロンて爺さんと相談して、こんなところで子どもを育てるわけにゃ行かないと、老骨に鞭打って逃げ出す決心をしたんだよ。私らは逃げられたが……逃がしてくれたトロンはどうなったか」

 マロニエの声は震え、暗く沈んだ。

 「わたくしの美学に反するわ。安心してちょうだい、マロニエ、ミナ。わたくし、わたくしが美しくないと思うものを手直しする旅をしているの。貴女とミナ、そして貴女を助けてくれたトロンという方も、必ず助けるわ」

 エレオノーラ様は断言した。

 その言葉に、マロニエの目がわずかに潤んだ。

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