第5話 ごくふつうの世直し譚

 

「痛いわアハト」

 旅に出て三日目の朝。

 俺はエレオノーラ様の髪をかしていた。

 山の朝は冷え込む。街ならまだガス灯の明かりが残るほど薄暗い空の下、エレオノーラ様はまるで王宮の一室にいるかのようなたたずまいだ。野宿でも気品を崩さないのはさすがだが――俺らは本来、こんな人里離れた辺鄙な場所で車中泊なんてせずに、温泉宿のベッドでのんびりと眠れているはずだった。

 それなのに、夕食後エレオノーラ様の部屋の窓から飛び込んできた紙飛行機を開いて見るなり、エレオノーラ様は「出かけるわよ」とのたまったのだ。

「本職じゃないんですみませんね。アリスに頼めば良いでしょう? どうせそこらにいるんでしょうし」

 平民の女性とは一線を画す貴族令嬢の美しい髪も、肌も、爪も、すべてはメイド達の努力あってのたまものだ。

 もちろん俺との二人旅で維持できるはずもなく、エレオノーラ様の身なりの手入れは、アリスやヴィヴィアンやクロエ達、昔からエレオノーラ様に仕えているメイド達が請け負っている。

 ――行き当たりばったりで車を留め入ったはずの高級温泉宿で、公爵家のメイド達がズラリと並んで出迎えていたときには、さすがにビビった。

 エレオノーラ様は当然のような顔をして、ショールを着せかけられたり帽子を手渡したりしていたけど。

 エレオノーラ様が案内された部屋は当然ながら最高級で、公爵家にいるのと遜色ないドレスや化粧品、肌や爪のケア用品が運び込まれていて、わらわらと現れたメイド達がエレオノーラ様の世話をせっせとしていた。

 温泉だって貸し切りで、公爵令嬢が一人で浸かったりはしない。何人ものメイドがお供する。

 俺? もちろん宿泊客用のフツーの大浴場ですが何か?

 それでもお湯の質に変わりはないし、伸び伸びと手足を伸ばして初めての温泉を満喫していたのだが……何をやらされてんだ、俺は今?

「アハト、もう少し丁寧にしてちょうだい。アリス達には別の任務を頼んでいるのだから、しようがないでしょう」

「……申し訳ありません、エレオノーラ様って、実は癖っ毛ですね」

「気にしていることを指摘しないでくれる? わたくしの髪は、アリス達の努力のたまものよ」

「メイドってすげぇですね」

「あなた最近、わたくしに対する態度がぞんざい過ぎやしなくて?」

「いえいえとんでもない」

 俺はしれっとくしを持ち直し、金色の髪をき直す。赤みがかったその髪は朝日に照らされて宝石みたいに輝いているけれど、俺の腕じゃ寝癖は直らないし、結い上げるなんて器用なまねもできやしない。

 アリスのクオリティは無理だろ、と内心ツッコミつつも、黙々とかした。

「……まあ、及第点ね」

 エレオノーラ様は少しばかり不満そうだけれど、俺にしちゃ上出来だ。

 朝食の用意はしていないし、とりあえず沸かしていた湯で紅茶を淹れた。

「本日のご予定をお聞きしても?」

「ここからさらに奥へ行った村で、盗賊被害があったそうよ。夜の内に着ければ良かったのだけれど、道がこれじゃあね」

 エレオノーラ様が肩をすくめて見た先では、車の車輪が泥にはまって動けなくなっている。

 街の石畳や煉瓦の道とは異なり、このへんの道は砂利が敷かれていれば良いほうで、たいていはむき出しの土に草がボウボウと生えている。

 車輪が大きな馬車ならともかく、車には厳しい道のりだ。

「引き返しますか?」

「車がこれで、どうやって? アハトがそんなに力持ちだとは知らなかったわ」

「まあ、助けに行くはずの村で馬でも借りて、引っ張り出すしかありませんかね」

「だから行く先はひとつよ。盗賊退治」

「世直しですね、はいはい」

 正義感なのかストレス解消なのか。ともかくエレオノーラ様が『世直し旅』というやつを気に入っているのは間違いない。王都じゃ大騒ぎになってるんだろうし、帰ったほうが良いんじゃないかなー、と俺の中のわずかな良識がもの申しているけれど、雇い主には逆らえない。借金もあるし。

「この紅茶を飲み終わったら、出発しましょう」

「ええ、火の始末をしておきます」

 俺は野営道具を片付けながら、エレオノーラ様のドレスをチラリと横目で見た。

 旅装とは思えない高級品。これで盗賊退治に行くってんだから、ツッコミどころ満載だ。

 ◇◇◇

 村に着くと、すぐに異様な雰囲気に気づいた。人影はほぼなく、子どもたちの姿なんてまったくない。

 エレオノーラ様はため息混じりに言う。

「どうやら本当に困っているようね。来て良かったわ」

「とりあえず村長の家を探しますか、エレオノーラ様」

 俺は数少ない村人に尋ね、村長の家を探してノックした。

 白い眉毛に白い髪の老人が、不安そうにのぞき窓を開けた。

「ど、どちら様で?」

「旅の者です。この村で盗賊被害が続いていると聞きまして――」

 俺が説明しかけると、エレオノーラ様がずいと前に出た。

「わたくしはエレオノーラ・アロガンテ。あなた方を助けに来たのよ」

 おいおい、いきなりの本名。

 エレオノーラ様はかなり有名だし、むしろカタリだと思われるんじゃないかと心配したけれど、村長はすぐに戸を開けた。

 なんだろう、エレオノーラ様の迫力勝ち? 気品? それともどこかに消えたアリス達が根回しでもしていたんだろうか。

 中に通されると、粗末な椅子をすすめられ、村長がポツポツと語り出す。

 盗賊被害は想像以上に深刻だった。夜な夜な家畜や穀物が奪われ、村の若者も怪我をしたという。盗賊たちは顔を隠しているが、このへんの者ではなさそうだとのこと。

「なるほど……これは村人の手にはあまりますね」

「思った通りね。アハト、わたくしの護身用ステッキを持ってきてちょうだい」

「……了解です、エレオノーラ様」

 この人、絶対に楽しんでるな。

 俺はエレオノーラ様のステッキと自分用の短剣を用意する。執事なのに当たり前に剣を使えるのは、アリス達にしごかれたからだ。おっふ、思い出したくもない。


 ◇◇◇


 夜。村の穀物貯蔵庫の片隅で、俺とエレオノーラ様は息を潜めていた。

 こんな月明かりの夜は、ランタンを使わずに済むからか盗賊が現れる可能性が高いそうだ。

 エレオノーラ様の金色の髪が、銀色の光にキラキラときらめていてる。

「アハト、油断しないでね」

「ええ、エレオノーラ様。……って、俺に言う前にご自身も少しは警戒してください」

「わたくしはいつでも完璧よ。心配なのはあなたの方でしょう? ちょっとそそっかしいところがあるから」

「公爵様ほどじゃありませんよ」

「あら、お父様に言いつけちゃおうかしら」

 フフッと笑うエレオノーラ様は微塵も緊張している様子はない。

 小さい頃からこの人は、窮地に妙に強かった。俺が拾われた時もそうだった。あの時から、俺はこの人に振り回されてばかりだ。でもまあ、それほど嫌だとは思わないから、今日もこうして振り回されているわけだけど。

 外から枝や草を踏む音がした。

 足音は三つ、いや、四つ。盗賊たちが貯蔵庫に忍び込もうとしている。エレオノーラ様が静かに俺の手を叩く。

「アハト」

「はい」

 俺たちは物音を立てぬようこっそりと天窓から抜け出し、賊の後ろへ回り込む。盗賊たちは俺たちの存在に気づいていない。

 このまま殴り倒そうかと思ったそのとき、エレオノーラ様は堂々と声をかけた。

「あなたたち、そこで何をしているのかしら?」

 あちゃー、と頭を抱えた俺に一瞥すらくれることなく、エレオノーラ様は楽しそうに続ける。

「あなたたちが、この村を困らせている賊で間違いなくて? もし違うというなら、名を名乗りなさい」

「な、なんだお前ら!」

「わたくしはエレオノーラ・アロガンテ。村長の客よ。あなたたちが賊ではなく村人だと言うのなら、名を名乗りなさい」

 どうやら我があるじ、村民の名前を全部暗記してきたらしい。

 確かに見回りに来た村民を殴り倒しちゃマズイが、肝が据わり過ぎてないか。

「村人では……ないようね。それじゃあ、覚悟を決めなさい」

 月明かりにも、盗賊たちの顔が赤く染まる。

 向こうから見たら、ドレス姿の令嬢一人と白手袋の執事一人。楽勝だと思うのも無理はない。

「ふざけやがって!」

 一人が棒状のものを上段にかまえて突っ込んでくる。

 俺はエレオノーラ様の前に出て短剣で受け止め、手首を捻り上げる。盗賊が呻いて地面に倒れた。

「あらアハト、上出来じゃない。でも無理はしないでちょうだいよ」

「いや、むしろエレオノーラ様こそ……って、もう一人いってるし!」

 エレオノーラ様は、華麗な足さばきで後ろにいた盗賊の懐に入り、殴りかかろうとした賊の得物をかわしざま、ステッキで鳩尾を一撃した。賊は苦痛に呻きながらその場に崩れ落ちる。

 いやドレスにピンヒールでその身のこなし。貴族の令嬢って普通エスコートがなきゃ動けないってか、そんな動きする生き物じゃないだろ。

「な、なんだこの女……!」

「名乗ったでしょう? エレオノーラ・アロガンテよ。覚えておきなさい」

 エレオノーラ様は滑るように攻撃をかわしつつ、にこやかに言い放つ。

 そのうちにステッキが一人の肩を打ち付け、痛みにしゃがんだところを回し蹴りが吹っ飛ばす。

「ぐぅっ」

 反対から近づいた男がうなり、何かと思えばエレオノーラ様が腕をひねりあげていた。よく見れば、ピンヒールで男の足を踏んでいる。ありゃ痛い。

 残る一人は逃げ出そうとするが、最初の男を縛り上げ終わった俺が回り込み逃げ道を塞ぐ。

「もう降参しとけよ。うちのお嬢様は最恐だからな」

「アハト、今『最強』のニュアンスがおかしくなくて?」

「気のせいですよ、エレオノーラ様」

 俺の横を走り抜けようとした賊の首に、すれ違いざまに短剣をたたき込んだ。鞘に入ったままのそれで命は刈り取れないが、無事に意識はなくなったようだ。

「ふふ、わたくしの背中を任せられるのはアハトだけね」

「かいかぶりですよ」

 嬉しそうに微笑むエレオノーラ様に、俺は賊を縛り上げながら首をすくめた。

 それ令嬢じゃなくて武闘家の台詞だろ、と内心ツッコミながら。

 ◇◇◇

 盗賊たちは村人に引き渡され、村には平和が戻った。村人たちはエレオノーラ様に何度も頭を下げて感謝してくれて、無事に農耕馬で車を引っ張り上げてくれた。

 公爵家の最新式のお高い車は泥だらけになったけれど、とりあえず走れる状態には戻り、村から離れた場所へ移動した。また泥にはまったら目も当てられないし。

「本当にありがとうございました、お嬢様!」

「礼には及ばないわ。わたくしも車を救出してもらって助かったし、困った時はお互い様よ」

 エレオノーラ様はさらりと言うけれど、村人達は感激している。まあなんていうか、普通の貴族は気軽に平民と話したり感謝したりしないし、平民のために高い車を泥だらけにしたりしない。

 高慢で完璧主義で、だけど本当は誰よりも優しい。

 俺は仕えてるだけだけど、そんなエレオノーラ様が認められると、なんだか嬉しい。

 夜が明けて出発するという際に、村の子供たちが花冠をエレオノーラ様に差し出した。エレオノーラ様は一瞬戸惑いながらも、それを受け取り、頭に載せる。

「これで合ってるかしら?」

「似合ってますよ、エレオノーラ様」

「……馬鹿にしてるんじゃないでしょうね?」

「滅相もない。とてもお似合いです」

 エレオノーラ様は、ふいに頬を赤らめてそっぽを向く。「まあ、悪い気はしないわ」なんて、素直じゃないにもほどがある。

 子ども達にはちゃんとお礼を言っていたから、まあいいか。

 ◇◇◇

 村を少し離れた車の手前で、森の中からひらりと赤茶色の人影が現れた。

 細身の美女――公爵家出入りの新聞記者、カミーユだ。相変わらず艶やかな赤茶の髪をなびかせ、琥珀色の瞳を細めてこちらを見ている。

 どう見ても女盛りの美人だが、これで中身は三十路の男だ。

「ごきげんよう、エレオノーラ様、執事さん? お二人とも相変わらず仲良しねぇ?」

「カミーユ、どうしてここに? エレオノーラ様の記事を書きに来たのか?」

 警戒気味にエレオノーラ様の前に出ると、カミーユはコロコロと笑った。

「王太子殿下の婚約破棄と新しい婚約者の件なら、もうとっくに記事になってるわよぉ。エレオノーラ様が落ち込んでないか様子を見て来て欲しいって、アドリアン様に言われて来たのよ。あら、アハト、車中泊で夜通し見張りでもしたのかしら? お肌に悪いわよぉ?」

 どこから見ていたのか、ズバリと言い当てるカミーユに俺は苦い顔をする。

 ちなみにアドリアン様ってのはエレオノーラ様の兄君だ。仕事嫌いで軽いけれど、優秀でそれなりに妹思いだ。

「ありがた迷惑ってやつですね。俺は執事なんで、仕事の内です」

「ふふ、相変わらず愛想がないわねぇ。で、盗賊退治はもう終わった?」

「ホントにどこから見てたんですか」

「あら、有益だったでしょう? アタシの情報」

 カミーユは、ちらりと俺を見てウインクする。理解した。あのときエレオノーラ様が手に取った紙飛行機、あれはカミーユがよこしたものだったのか。

「でもね、エレオノーラ様。あいつらホンモノの盗賊じゃないわ。気づいていて?」

「……武器が、壊れた鋤や鍬、農具だったわね」

 俺は思わずエレオノーラ様を凝視した。

 棍棒か何か棒状のものだとしか思わなかったが、あの暗闇でたたき落とした相手の武器まで確認していたのか。

「どこからか流れてきた、別の村の農民ってことですか」

「農民は土地を大切にするわ。それなのに、農民崩れの盗賊があちこちで現れているらしいの。大規模な災害の話は聞かないし、何か人為的な理由があるはずよ。……わたくしの助けを求める民が、まだまだいるってことね」

「アタシ、ちょっと調べたから、詳しい報告書は後でまとめて渡すわ。とりあえず、エレオノーラ様からご依頼のあった次の目的地はこっちよ」

 カミーユは地図を広げ、次の村へのルートを示す。どうやら、エレオノーラ様は俺に言っていない目的がまだあるらしい。

「ありがとう、カミーユ。行ってみるわ。調査の方も引き付きお願い」

「もちろんよ、エレオノーラ様のためですもの。アタシに任せて」

 エレオノーラ様は楽しげに微笑み、車に乗り込んだ。

 公爵令嬢が乗るとは到底思えないような、泥だらけの車だ。洗えば傷だってできてるだろう。

 それなのに、その姿は凜として誰よりも美しかった。

「どうしたの、アハト?」

「いえいえ、ただいま参ります」

 見惚れてたなんておくびにも出さずに、俺は運転席へと慌てて乗り込んだ。



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