第7話 悪徳とバイオレンスの香り2

 ◇◇◇


 「アハト、少し外で見張っていて」

「かしこまりました」

 俺は外で周囲を警戒しながら、エレオノーラ様とマロニエの話を聞いていた。

 マロニエは、違法薬物を開発させられていたこと、その直接的な材料ではないものの、重要な触媒となる『アマギ草の根』がこの街近郊でしか手に入らないことを話した。

 そして、もう一人の老人、トロンに関しても。

 「トロンは、昔は大盗賊だったが、随分前に隠居して、盗人で貯めた金で孤児院をやっていたと言ってたよ。錠前じょうまえやぶりが得意で、それであいつらに目をつけられたんだ。孤児院を潰すぞ子ども達を傷つけるぞと脅されて、仕方なく盗人に戻った。けど、逃げないようにって連中に薬漬けにされたせいで、指が震えちまってね。盗みの役には立たないって下働きをさせられてた……馬鹿な連中だよ」

「……その方も、助けたいのね」

「ああそうだよ、トロンにはミナを逃がしてもらった恩がある。生きているかは分からんが、もし生きているなら……。エレオノーラ様よ、理由は何であれ、私は手を汚した。薬師としてやっちゃならんことをした。だから打ち首にされようと文句はないが、ミナとトロンは見逃してやっておくれ」

 エレオノーラ様はしばらく考え込んでいたが、やがてニヤリと笑った。

「残念ながらね、わたくしはただの通りすがりの悪役令嬢なの。官憲でも衛兵でもないわ。王太子妃の座も降ろされたばかり。貴女を打ち首にするなんてこと、できっこないわ」

 シワに隠れた目を見張るマロニエ婆さんに、エレオノーラ様はイタズラっぽく笑った。

「わたくしはワガママな公爵令嬢だから、友人の祖母を訪ねてきたついでに、気に入りの香油の原料を買い占めたって、ちっともおかしくはないわね。それが他の誰かに必要なものだったとしても、聞く耳を持つ必要はない」

「友人?」

「シェーヌから聞いたことがあるんでしょう? 学園に、変わった後輩がいるって。だからわたくしに話してくれた。違うかしら」

 ああ、と俺は内心納得した。マロニエ婆さんを最初に見たとき、誰かに似ていると思ったわけだ。髪の色と年格好こそ違うけれど、顔の作りなんかは、旅の始まりに関わった花屋のシェーヌ嬢そっくりだった。

 そういえば、行方不明の祖母がいるって言ってたっけ。

 この間、カミーユから受け取ったのは、この情報だったのか。エレオノーラ様は、シェーヌ嬢のおばあさんをずっと探していたに違いない。

「アハト、街に行くわよ」

「はいはい、どうせまた無茶なことをするんでしょう?」

「前から思っていたのだけれどね、執事の『はい』は一回よ」

「かしこまりましたエレオノーラ様」

 ◇◇◇

 朝市も終わりに近い時間のはずだが、街は活気に満ちていた。

 野菜や果物を売る露店、食べ物屋や装飾品、オモチャを売る店が軒を連ねている。

 エレオノーラ様は、一目で高級だと分かるドレスのまま、日傘を差して優雅に歩き、一件の煉瓦造りの建物の前で立ち止まった。

 商業ギルドだ。

 扉をくぐると、黒服の執事を従えた、見るからに高貴な身なりの令嬢の登場に、ギルド職員が飛んできた。

「お嬢様、本日はどのようなご用件でしょう」

「ギルド長に通してもらえる?」

 王太子妃教育でたたき込まれた高貴な微笑みに、ギルド職員はたじたじと後ずさる。……この微笑みが苦手で、鏡の前で何時間も何日もうんうん呻りながら練習していたとはとても思えない。

「あの、本日のアポはお持ちで?」

「このわたくしに、そんなものが必要だと?」

 名乗ってもいない相手の圧力に、職員はさらに一歩後ろにさがる。

 かわいそうに、とは思うけれど、チラチラとエレオノーラ様の髪や肌、アクセサリーに視線を飛ばすあたり、商業ギルドの職員らしくちゃんと相手を値踏みしているようだ。

 貴族令嬢の髪や肌というものは、惜しみないカネと手間暇がかけられた芸術品だ。そのへんの可愛い平民を着飾らせて出せる色艶ではないし、そんじょそこらの詐欺師に真似できるものでもない。

「しょ、少々お待ちくださいませ」


 ギルド長に会うと、話は早かった。商業ギルドの長まで務める人間が、アロガンテ公爵家の影響力を知らないはずがない。あっという間に、街中のアマギ草の根はエレオノーラ様のものになった。

 専売契約書にサインしたエレオノーラ様は、満足そうに赤い唇を吊り上げた。

「ありがとう、これで新しい商売が起こせるわ。香水のラストノートにこの香りを入れると、とても評判がいいのよ」

「いやあ、アロガンテ公爵家は香水にまで手を伸ばされますか。汽車や蒸気機関とは縁遠い分野かと思っておりましたが」

「これはわたくしのワガママなの。わたくしはこの香りが大好きなのよ。素敵でしょう?」

 ギルド長はエレオノーラ様の組んだ脚線美に見とれ、それからあわあわと同意した。

「ええ、大変お似合いです」

 クスリと笑ったエレオノーラ様は、背後に控えていた俺へと流し目をくれた。

「アハトはどう? この香りを一手に扱いたいというわたくしの乙女心、分かってくれて?」

「なんていうか、バイオレンスな香りですよね」

「あら、わたくしに似合わない?」

「いえいえ、たいそうお似合いですとも」

 ◇◇◇

 その日の夕暮れ時、マロニエ婆さんの小屋で少し遅めの午後の紅茶を淹れていると、ミナが怯えた顔で部屋に飛びこんできた。

「おばあちゃん! 外に変な人たちが来てる!」

「……来たか」

 マロニエ婆さんの顔が険しくなる。

 のぞき窓から外を伺うと、昼間のごろつきよりももっと厄介そうな連中が五人。ナイフや棍棒、銃まで持っている。

「ババア、さっさと出てこい!」

「アマギ草の根を買い占めた女が、ここにいるってネタはあがってんだよ!」

「タダで済むと思うなよ!」

「まさか俺らを出し抜いて、製法を売ったんじゃねぇだろうな!」

 エレオノーラ様は、白いレースの日傘を差し、悠然と彼らの前に立った。

 その傘は一見、繊細な貴族令嬢のアクセサリー。けれど、骨組みは特注の鋼鉄製、石突きには重みがある。

 本人いわく「護身用に父が仕立てさせた特注品」らしい。……いや、普通は護身用の武器に日傘は選ばないだろ。


「わたくしに何か用かしら?」

 エレオノーラ様が涼やかに言い放つ。

 悪党たちは一瞬面食らったが、すぐに下卑た笑みを浮かべた。

「おうおう、思った以上のいい女が出てきたじゃねぇか!」

「買い占めたアマギ草、おとなしく全部渡してもらおうか」

「ついでにオメェも売ってやらぁ」

 銃口をこちらに向けて舌なめずりする男に、俺は内心ため息をついた。

 ――ほんと、テンプレ通りの悪党だな。エレオノーラ様が、こいつらみたいな悪党を何人片付けてきたと思ってるんだ。

 エレオノーラ様は、日傘をくるりと回して構える。

「アハト、後ろは任せていいかしら?」

「はいはい、どうせやる羽目になると思ってましたよ!」

 連携なんて考えたこともないのか、まず一人目が、叫び声を上げながら棍棒を振り上げて突っ込んできた。これで銃の男は簡単に撃てなくなった。エレオノーラ様は、日傘の柄で棍棒を受け流す。

「なっ、女の腕力じゃ――」

「貴族の嗜みよ」

 日傘の石突きが、驚きに一瞬固まった男の脇腹に鋭く突き刺さる。

「ぐえっ!」

 男は膝から崩れ落ちた。

 その隙に二人目が背後からナイフで襲いかかる。エレオノーラ様は、振り向きざまに傘の先端で男の手首を弾き飛ばし、ナイフを落とさせる。傘ってのは、いわば長柄の武器だ。敵がナイフなら圧倒的に有利。

「お行儀が悪いわね」

 優雅な動きで、男の顎をすくい上げたと思ったら、男が白目をむいて倒れた。

 まあ顎ってのは、人体の急所だからなぁ。

 三人目と四人目は、俺の方に向かってきた。

「こいつのほうが弱そうだ! 執事風情が護衛のマネしやがって」

「婆さんとガキをよこせ!」

 エレオノーラ様が前に出ている分、守らなきゃいけない人たちを受け持つのが俺の役割だから、まあこうなるのはしょうがない。

 俺は短剣を抜いて、銃を構えた男へと向き直る。

 一回に一つしか撃てない銃弾を避けるのはそう難しくないが、俺が避ければマロニエ婆さんに当たる。

「悪いが、うちのあるじは人使いが荒いんでな。執事業だけさせといてくれないんだ」

 ジャリッ、と俺の革靴が音を立てた。それでも男の視線は俺の短剣にある。まあ、敵が武器を握ってたら、そっちを注視するのは人のサガだ。男が引き金を引く前に、俺は足下の砂を蹴り上げて目潰しをかました。

「ぐっ……! 卑怯だぞっ」

「悪党相手に卑怯も何もあるかいっ」

 懐に飛び込み、短剣の柄で思いっきり銃を地面へ叩き落とす。

 もう一人の巨漢が棍棒を振り下ろしてくるが、俺はしゃがんでかわし、足払いをかけて転ばせた。

「お前ら、もう少し頭使えよ……!」

 俺が戦っている間にも、五人目がエレオノーラ様を狙って背後から襲いかかる。だが、エレオノーラ様は微塵も動じない。

 日傘を閉じ、柄を逆手に持ち替えると――

「女が調子に乗りやがって! ……っ」

「お黙りなさい」

 日傘の柄が、男の鳩尾に一直線に吸い込まれる。

「がはっ……!」

 男はその場に崩れ落ちた。

 俺がせっせと縛り上げている間に、エレオノーラ様は日傘を軽く払って、埃を落とす。軽く開いて壊れていないかチェックした後、くるりとまとめた。

「アハト、最後は援護を感謝するわ」

「あれ、気づいてました? まあ余計なお世話かとも思ったんですけどね」

 俺が五人目の後頭部に石を当て、注意をそらしたのに気づいていたらしい。

「さすがエレオノーラ様。相変わらずの破壊力ですね」

「暴力は最終手段よ? でも、必要な時は遠慮なく使う主義なの」

 日傘を片手に姿勢良く立つエレオノーラ様は、どう見ても優雅な貴婦人だ。

 けれど、その足元には悪党どもが死屍累々と転がって呻いている。このギャップ、さすがはエレオノーラ・アロガンテだとしか言い様がない。

 「さて、何か欲しい物があるなら、わたくしと正面から交渉なさいな」

「……」

 男たちは完全に動けなくなっている。何なら数人は意識もない。


 俺は彼らの懐から金や薬物の小袋を回収し、証拠として袋に詰めていく。

 薬の成分だのなんだのは、後でアリス達が調べてくれるだろ。

「ふふ、悪人は徹底的に叩くのが一番ね」

 ミナがエレオノーラ様に駆け寄った。

「おねえちゃん、すごい、つよい……! かっこいい!」

「ふふ、ありがとう。でも、まだ終わりじゃないわ。貴女の師匠を苦しめている元凶を、根こそぎ叩き潰さないとね」

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