第4話 汽車と勇敢な騎士3

  ◇◇◇


 翌朝、まだ開いてもいない花屋の戸をドンドンと叩く音がした。

「いるんだろ、シェーヌ!」

「借金を返さないのは、泥棒っつーんだよ、シェーヌちゃぁん?」

「あきらめて一緒に来いよぉ」

「こぉんなボロ花屋、壊すのはあっという間だぜぇ?」

 シェーヌ嬢が扉を開けると、その後ろからソールが飛び出して行った。

「おねえちゃんをいじめるな!」

「おっとボーズ、いじめられてるのはおじちゃん達のほうなんだぜ? お前の姉ちゃんは、借りた金を返さねぇ悪ぅい奴だからな」

「お金を返せと言いながら、毎日毎日、商売の邪魔をしているのは貴方たちでしょう! ソールっ、こっちに来て、お姉ちゃんの後ろに隠れてっ」

「オレだって、おねえちゃんを守るんだっ!」

「よく言ったわソール」

 突然響いた第三者の声に、男達はキョロキョロと周りを見回した。

 男達の視線が再びシェーヌ嬢に戻ったとき、シェーヌ嬢の前には深紅のドレスをまとったエレオノーラ様が凜と立ちはだかっていた。

「な、なんだ、誰だお前は!」

 男達の視線がエレオノーラ様に向いた隙に、俺はソールを回収している。

「わたくしは、新しいこの店のオーナーよ。この店は昨日からわたくしのものになったの」

「なんだと!?」

 ツバを飛ばす男達に一瞥すらくれずに、エレオノーラ様は少し離れた場所に停められた馬車へ目をやった。

「そこにいるんでしょう、イグニス男爵。隠れてないで出てらっしゃいな」

 側に着いていた馬丁がオロオロと馬車の中に伺いを立てると、馬車の扉が開いた。

 中から、良い身なりをしたでっぷりと太った中年男が踏み台をきしませて出てきた。

「どこのお嬢さんか知らないが、これは子どものごっこ遊びじゃないんだ。大人の真面目なお仕事なんだよ。そんな嘘をついて、大人を騙すもんじゃない」

「あら、騙してなんかいないわ。貴方は借金が回収できれば良いんでしょう? シェーヌ、見せておあげなさいな」

 コクリと頷いたシェーヌは、足下にあったケースを持ち上げ、男達やイグニス男爵に中身が見えるようパカリと開いた。

 ちなみにあのケース、シェーヌ嬢が男達に絡まれていたついさっきは存在しなかった。

 どう考えても神出鬼没なアリスの仕業だと思うけれど、シェーヌ嬢が当たり前にやってのけているあたり、あらかじめ打ち合わせてあったんだろう。

「表にだけ札を並べてんだろ? こんな子供だましが……」

 シェーヌのすぐ前にいた男が、ケースの中の札束をつかんだ。

 パラパラとめくり、それから顔色を変えて封を切った。次々に取り出しては封を切り、顔色がどんどんと青くなっていく。ケースの上に乗り切らなかくなった紙幣が、足下にヒラヒラと落ち小山になっていく。

 ああもったいない。

「だ、男爵様! 全部本物のカネですぜ!」

「なんだと……! 偽ガネじゃないのか……!?」

「ホンモノよ。確認なさって?」

 エレオノーラ様の魅惑的な微笑みに誘い込まれるように、イグニス男爵は駆け寄ってケースに手を突っ込んだ。

 札を手でこすり、光にすかして確認している。

「ご納得いただけたかしら? シェーヌが貴方から借りたという百万ルーラ、そこからわずか一ヶ月で膨らんだという利息をあわせて五千万ルーラ。これで、足りないはずはないわよね?」

「こ、こ、こんなことが……!」

「それにしても、随分と違法な利息よねぇ。国の法で決められた利息は年利20パーセントまで、月なら1.6パーセントまでよ。貴方の月利は4900パーセント。国王陛下から爵位をいただいている貴族が、まさかの悪徳金融業」

 おかしそうにクスクス笑うエレオノーラ様に、イグニス男爵は頭から湯気を出さんばかりに真っ赤になった。

「何をこしゃくな、この小娘がっ! お前ごときに国の法の何が分かると言うんだ、聞きかじった知識で偉そうに! 我ら貴族には、特権というものがあるんだ!」

「聞きかじった知識、ねぇ? わたくし、法学院の教授に『法学院卒業相当』とお墨付きをもらったのだけれど。なんなら資格も持っていてよ。この間、司法試験の合格通知が届いたから」

「は……?」

「貴族の特権の中に、国の法を無視して金利を勝手に決めて良い、なんてものはないわ」

 簡単に言っている。簡単に言ってくれているけれど、司法試験というのはめっっっちゃ難関だ。エレオノーラ様だって子どもの頃から何年も何年も教授に通ってもらって、努力して苦労してうんうん呻って夢にまでうなされて、昨年ようやく合格した。

 俺は知っている。

 けれどそんな努力、微塵も表に出さないのが、エレオノーラ・アロガンテというヒトだ。

「それに貴方、不当に圧力をかけて、シェーヌが取引していた結婚式場と葬儀場、娼館を二つ潰したわね。シェーヌの花屋も潰すのは簡単だったんでしょうけれど、それだとシェーヌ自身は手に入らない。だから借金という形でシェーヌを縛った。でもこれで借金はなくなったわ。むしろ出資法違反で今度は貴方が訴えられる番。さあ、どうするつもりかしら」

 イグニス男爵は青筋を立て、わなわなと震えた。

「貴様……貴様、何者だっ!」

「あら、わたくしの顔を知らないとはモグリね。わたくしはエレオノーラ・アロガンテ。つまりこの花屋は公爵家の持ち物になったの。男爵ごときに潰せるものなら、潰して見せなさい」

「公爵家……!? これはとんだご無礼をっ」

 イグニス男爵の顔から一気に血の気が引き、膝をつこうとして……その足が、グッと踏みとどまった。

 周囲をゆっくりと見回す。

 視線が、ソールを抱えた俺と、車の横にひかえたアリスへと順番に止まり、ゆっくりと口元が吊り上がっていった。

「公爵家……アロガンテ公爵家のエレオノーラ! つい今朝の新聞で読んだぞ、王太子殿下に婚約破棄された傷物令嬢か! おおかた、公爵家から追い出されて、王都から遠く離れたこんな場所まで逃げてきたんだろう!? 供が二人しかいないのがいい証拠だ! 公爵家の名に危うく騙されるところだった。このわしが、お前ごとき小娘に恐れ入らねばならぬ理由はないっ」

「あら、随分と耳が早いこと」

「単なるハッタリで、大人を煙に巻けると思うなよ。この多勢に無勢、公爵家の威光もなしに、どうするつもりだねお嬢さん? ああ、借金を返すと言っていたんだったか。ここはわしの領地だ。その金も、お前さんも、全部わしのものにしてやろう。捨てられたとはいえ、さすがの美しさだ。あの方も、シェーヌ以上に気に入ってくださるやもしれぬしなぁ」

 ひょひょひょ、と笑った男爵が、エレオノーラ様の腕を掴んだ。

 男爵に抵抗するでもなく、エレオノーラ様は横目に俺を見て薄く微笑んだ。

「見たわね?」

 心得た俺は心から同意した。

「確かに見ました」

「もういいわよね?」

「いいと思います」

 エレオノーラ様の黄金の右脚が、見事な脚線美を露わに男爵の膝裏を打ち抜いた。ぐらりと揺れた男爵の腹に、遠心力を乗せた回し蹴りがさらに決まり、エレオノーラ様の倍以上あろうかという体重が吹っ飛ぶ。

「ぐえぇっ!」

 ドゴン! という音とともに男爵は塀に背を打ち付け、土埃の中悶絶する。

「知らないのかしら? 貴族の嗜みには、戦闘力も含まれるのよ」

「このアマ、男爵様に何しやがるっ!」

 取り巻きの一人がエレオノーラ様に殴りかかった瞬間、彼女は一歩踏み込むと、難なく拳を避け、すれ違いざまに男の襟元を掴み、体ごと引きずり倒した。

 「うぐっ……!」

 呻く男爵としたたかに地面へ後頭部をぶつけた男の顔を、エレオノーラ様は冷ややかに見下ろした。

 「女性に暴力を振るおうとするなんて、最低の奴らね」

 呆気にとられていた他のゴロツキたちも、怒鳴りながらエレオノーラ様に詰め寄る。普通の貴族女性なら気を失ってもおかしくない迫力だが、エレオノーラ様は一歩も引かず、体を低く構えた。

 一人目が大振りの拳で殴りかかる。エレオノーラ様はその腕を外から払い、相手の懐に素早く踏み込む。優美な肘が無慈悲に腹にめり込み、男は息を詰まらせて崩れ落ちた。

 二人目が横から抱きつこうとしたが、エレオノーラ様は素早く体をひねり、相手の手首を逆にねじり上げる。野太い悲鳴が上がり、男はそのまま地面へ投げられた。

 三人目が突進してきた。エレオノーラ様は重心を低く落とし、相手の膝に自分の踵を打ち込んだ。モノはピンヒール。あれは痛い。めっちゃ痛い。

 四人目、ナイフを持った男の手首を掴んで背負うように壁に叩きつける。ナイフが床に落ち、男はうめき声をあげて倒れ込む。

 その間に俺も、ソールを肩車して避難させつつ、なるべくシェーヌ嬢をかばう位置に立ち、エレオノーラ様に突っ込んでいく男に足を引っかけて転ばせたり、落ちたナイフを蹴飛ばして届かないようにしたり、倒れた男達の頭に花瓶を投げたりして援護している。

 まあ、俺は手が塞がっているわけだし、このあたりで勘弁してもらおう。

 まったく危なげないし。

 アリスもこそこそ動き回っては、エレオノーラ様が倒した相手の意識を刈り取ったり縛り上げたりしている。地味にアイツのほうがヤバくないか?

 やがて店の前は、男爵とその取り巻きが床に転がって呻く声だけになった。

 エレオノーラ様は乱れた髪を整えながら、スカートの裾を直す。

 「これで全員かしら?」

 俺は興奮して『すげーっ』と暴れているソールを落とさないよう気遣いながら頷いた。

 「ええ。さすがです、エレオノーラ様」

 エレオノーラ様は男爵の方に歩み寄り、冷たい――実に魅力的な冷笑で見下した。

 「貴方には、少し聞きたいことがあるの。公爵令嬢に無断で触れて、無事に日の目を見られるとは思わないことね」

「ひぃぃ」

 アリスが軽くハンドサインを送ると、どこに隠れていたのか『影』達がわらわらと現れて男爵達を拘束、連れ去っていった。

 いやいるならお嬢様に戦わせずに最初から捕まえろよ、と思わなくもないけれど、エレオノーラ様のストレス解消も兼ねているんだろう、きっと。

 なにせ『世直し旅』なわけだし。

 男爵たちが乱雑に馬車に乗せられていなくなったあと、シェーヌ嬢は呆然と立ち尽くしていた。よいしょ、と降ろしたソールが一目散に姉の元へ駆け寄る。

 「おねえちゃん! 良かった、良かったねぇ!」

「ソール……! 怪我はない? 大丈夫?」

「にいちゃんが肩車してくれてたからね!」

 シェーヌ嬢はしっかりとソールを抱きしめた。

 エレオノーラ様は、すっかり乱れた花壇や倒れた花瓶、踏み散らかされた花々を見回し、少しだけため息をついた。

「ごめんなさいね、シェーヌ。ちょっと散らかしすぎたわ。アハト、少し片付けを手伝ってちょうだい」

「かしこまりました」

 俺はゴロツキの上に落とした花瓶や、踏みつけられた鉢植えを拾い上げる。シェーヌ嬢も我に返ったように、慌てて花壇の花を守ろうと動き出した。

「本当に……ありがとうございました。まさか、ソールの手紙でエレオノーラ様が助けに来てくださるなんて……」

「お礼なんていらないわ。わたくし、貴女の花が本当に好きなのよ。便宜上この店は買い取ったけれど、貴女の好きに経営してくれていいわ。ただし、しばらくの間は、まだ公爵家の名義にしておいたほうがいいと思うの」

「まだ、なにか?」

「公爵家の名は虫除けにはちょうどいいってだけの話よ。貴女が必要じゃなくなるまではね。もろもろ終わったら、連絡するわ」

 シェーヌは何度か瞬きし、やがて涙を浮かべて頭を下げる。

 「……ありがとうございます。エレオノーラ様」

 ソールも、姉の背中にしがみつきながら、ぺこりと頭を下げた。

「えれおのーら様、おねえちゃんを助けてくれて、ありがとう!」

「ふふ、いいのよ。勇敢な騎士の頼みですものね」

「へへっ」

 得意げに鼻の下をこすったソールは、店の奥へと走り込んでいった。

 それから間もなく、赤い花をひとまとめにして紫の紙と金色のリボンをかけたものを大事そうに持ってやって来た。

 「これ、えれおのーら様に、お礼!」

「わたくしに?」

 見たこともない真紅の花は、花弁は厚く、艶やかで、まるで絹を重ねたような質感だ。

「えれおのーら様みたいでしょ? きれいで、かっこいい」

「まあ、何よりの褒め言葉だわ」

 シェーヌ嬢はソールの頭を撫でると、エレオノーラ様に微笑んだ。

「受け取ってください。祖母が品種改良した、うちにしかない花なんです。祖母は二年ほど前に行方不明になってしまったんですが、この花をとても大切にしていて。エレオノーラ様が守ってくださった花です。私にできるお礼はほとんどありませんが、これからは、この花をエレオノーラ様のためだけに育てます」

「何よりの礼よ、シェーヌ。これからもこの花を守っていってちょうだい」

 ソールが差し出した花束を、エレオノーラ様は嬉しそうに受け取った。

 「さすがはシェーヌ。とても素敵だわ……ありがとう」

 「はい!」

 シェーヌとソールの顔が、誇らしげに輝く。

 公爵家の影達も手伝ってくれたおかげで、片付けは思いのほか早く済んだ。

 「じゃあアハト、行きましょう」

「え、もういいんですか?」

「ええ勇敢な騎士にも会えたし、シェーヌの店と花も守れた。やるべきことはやったもの。あとは、旅の続きを楽しむだけよ」

 エレオノーラ様は、赤い花を手に車の方へ歩き出す。その背中はまっすぐ伸びてどこまでも美しく、堂々としていて、あの男爵が言ったような『傷物令嬢』だなんて少しも思えない。

 俺は、シェーヌ嬢とソールに軽く会釈してから、エレオノーラ様の後を追った。

 車に乗り込むと、エレオノーラ様は助手席で花を見つめながら、ふっと息をついた。

「良かったわ、間に合って。アハト、確かにわたくしは王太子妃にはならないけれど、わたくしに守れるものはまだまだあるわね。だってわたくし、お金と権力だけは、腐るほどあるんだもの」

 俺は思わず苦笑する。

「さっきのは純然たる暴力でしたよね?」

「たまには必要なのよ。貴族の嗜みってやつね」

「……なるほど?」

 車は村を離れ、再び高原の道を走り始める。エレオノーラ様は、助手席で赤い花を嬉しそうに抱えていた。

 「さて、次はどこへ行こうかしら」

「え、シェーヌ嬢のところが目的地だったんじゃないんですか?」

「何を言っているのアハト、世直し旅だって言ったじゃない。一人を助けて帰る世直し旅がいったいどこにあるの」

「……公爵様は、帰ってきて欲しいんじゃないですかね」

「お父様ったらもう少し娘離れして欲しいものだわ」

 さらっと言い放つと、エレオノーラ様は窓の外を指さした。

「さあ行くわよアハト。わたくし、行ってみたいところがまだまだあるの」

「かしこまりました、エレオノーラ様。とりあえず、このまま進むと温泉地ですかね」

「まあ温泉? わたくしまだ行ったことがないわ」

 エレオノーラ様は、満足げに微笑んだ。

 車窓の外には、朝日を浴びた高原の花畑が広がっている。俺たちの旅は、まだまだ始まったばかりだ。

  

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