第3話 汽車と勇敢な騎士2
◇◇◇
次の日の朝、列車は高原の駅に到着した。
昨夜あれほど呑んだのに、エレオノーラ様は朝から完璧な見た目で、乗務員のエスコートで優雅にプラットホームに降り立った。こちとら頭痛と吐き気をこらえながら、あるじの衣装ケースだの何だのの積み下ろしをしているというのに、なんだこの差。どんな肝臓してるんだ。
駅の正面には、なぜか既に公爵家の紋章が入った黒塗りの自動車が待機していた。
「いや、え? なんでここに車が? 行き当たりばったりで決めたんじゃないんですか、この旅?」
「馬鹿ねアハト。寝台列車の一等車両は人気だと言ったでしょう? いくらオーナー一家といえど、昨日の今日で押さえられるはずがないじゃない」
「え。あれ、だって、一昨日婚約破棄されたのに?」
線路も馬もいらない馬車、自動車は最近量産され始めたばかりで、まだまだ高価で数がない。列車ほど速くはないし、ときどきオーバーヒートするし、運転できる人間も少ないし、馬と違って自分の判断で避けたりはしないし、こまめなメンテナンスが必要だしと欠点は数あるものの、目新しさと乗り心地の良さ、小回りがきく利便性から資産家のステータスになっている。
繰り返すけれど、高価で数がない。
確かに公爵家では十台以上所有しているものの、普通なら公爵家から遠く離れたこの地にあるはずがない。あらかじめ移動させていたのかとも思ったけれど、そんな時間はなかったはずだし……まさか、俺たちが乗っていた列車で運んできた?
俺が混乱している内に、誰もいなかったはずの車の横に、エレオノーラ様付きのメイド、アリスがスッと現れた。
ドアを開けてエレオノーラ様に一礼し、迎え入れる。
「お待ちしておりました、お嬢様」
「ご苦労さま、アリス。じゃあ、アハト、運転よろしく」
「……俺が運転ですか」
「当然でしょう? こんな土地勘のない場所で、自動車の運転技術を持つ者を一から探せと言うの? わたくし、一度貴方の運転する車に乗ってみたいと思っていたのよ」
「俺は運転士ではなく執事なんですが」
「ええ、貴方が執事業も運転もできる有能な人物なのは分かっていてよ。だから観念してさっさと乗りなさい」
俺は溜息をつきつつも、トランクに荷物を積み込んだ後、車の運転席に乗り込む。
確かに車の運転はできるけれど、エレオノーラ様を乗せて運転するということは命を預かるということ、万一事故でも起こしたら首と胴が泣き別れた。できれば遠慮したいところだけれど、「~なさい」と言い出したエレオノーラ様はテコでも動かない。
この型式の自動車は最新式で、まだ王都でもほとんど出回っていない代物だ。エンジンをかけると低い音が響き、車体が小さく震える。ハンドルを握り、慎重にアクセルを踏み込むと、車は想像以上に滑らかに走り出した。
安全運転、安全運転。
緊張に強張る指先を、軽くグーパーしてほぐす。
「……車まで用意してるって、どんだけ金かけたんですか」
「一等列車の貸し切り賃に比べたら、大したことなくてよ。車がなかったら汽車を降りた後が不便じゃない。ヒールの淑女を歩かせる気?」
「……なんか聞いた自分がアホらしくなってきました」
この人、いったいいくら持ってるんだろ。
公爵家の事業の他に自分の事業も展開しているエレオノーラ様は、個人資産だけでもえげつない。俺の雇用権ごとき、簡単に買い取れるわけだ。
石畳の道を進み、避暑地の高原を抜けていく。窓の外には、色とりどりの野花が咲き乱れ、遠くに小さな村が見える。
エレオノーラ様は助手席で風に飛ばされそうな帽子を押さえつつも楽しそうで、アリスは後部座席で気配なく控えている。
「このあたり、空気が澄んでいて気持ちいいですね」
「ええ、王都の喧騒とはまるで違うわ。こんな所で花屋なんてと思ったけれど、花を育てるには良い土地なんでしょうね」
「花屋? エレオノーラ様がやるんですか?」
「やるわけないでしょう。学園での友人の話よ。一学年上でね、シェーヌっていうの。シェーヌが育てる花は、一輪一輪、どの花も輝いていて素晴らしかったわ。シェーヌは本当に花が好きなの。卒業して故郷の街に戻って祖母の花屋を継ぐって言っていたから、一度訪ねてみたいと思っていたのだけれど――今回、手紙が届いたのよ」
エレオノーラ様がひらりと取り出した白い封筒には、公爵家へ無事に届いたのが不思議なくらいの大きくて曲がっていて間違った宛名と、料金不足の赤いスタンプが押してあった。
「子どもの字に見えますが?」
「そうよ。シェーヌの勇敢な騎士から届いたの」
エレオノーラ様は微笑ましそうに白い指先で宛名を撫でた。
俺はエレオノーラ様の指示通り、車を村の中心部に向けて走らせた。
村の広場に着くと、まだ朝早いせいか、人影はほとんどなかった。
けれど、道端に立って口をへの字にした、小さな男の子が目に入る。年の頃は五つか六つ。ぼろぼろの帽子をかぶり、手にはしおれた花束を握りしめている。よく見ると涙目だ。
「アハト、止めてちょうだい」
「はいエレオノーラ様」
車を停めて降りると、エレオノーラ様は男の子に歩み寄った。
「貴方がソールね?」
こくり、と頷いた男の子の目からぼたぼたと涙がこぼれ、鼻水も落っこちた。
その涙と鼻水を乱暴に袖でぬぐうと、男の子は震える声で叫んだ。
「おねえちゃんを、助けてくだざいっ……」
「分かったわ」
こともなさげに頷くエレオノーラ様に、男の子――ソールは目を丸くしてから、一気にしゃべり出した。
「おねえちゃんとこに、悪いやつがくるんだっ! オレ、あいつら大っきらい……! お金を返さないと、お店つぶすって! おねえちゃん、悪いことしてないのにっ、このままだとおねえちゃん連れて行かれちゃうっ! お願いしますっ、これ、これあげるから! うち花屋だから、花しかないけど、助けてくれたらもっともっといっぱいあげるから、おねえちゃん、をっ」
ソールは涙をこぼしながらも、エレオノーラ様に花束を差し出した。ソールが作っただろうそれは、ずっと握りしめられていたせいでクタリとしおれていたけれど、エレオノーラ様は笑顔で受け取った。
「大丈夫よ、これで充分。花屋まで案内してくれるかしら?」
「うん……うん……本当に? おねえちゃんを助けてくれる?」
「このわたくしが請け負ったのだから、安心しなさい」
「うん……ねえちゃん、なんかめっちゃ強そうだもんね」
「ブハッ」
思わず吹き出した俺の額に、スコンとエレオノーラ様が投げた扇子が当たった。それほど痛くはなかったけれど、ついでにジロリとにらまれる。
「運転士は黙って付いて来なさい」
「しゃべってはいませんでしたが」
「気配がうるさいのよ」
「そんなご無体な」
落ちた扇子を拾いエレオノーラ様に差し出してから、ソールが指さす方へ俺たちは歩き出した。
エレオノーラ様は途中でソールの花束に顔を近づけ、ふと表情を緩めた。「ふふ、シェーヌの花だわ」と小さくつぶやくのが聞こえた。学園の中まで執事はついて行けないから俺はシェーヌという人を知らなかったが、よほど良い友人だったらしい。
さっきのソールの話からすると、借金をしてそのカタに店を取られそうだとかそういうことだろうか。資金援助ならエレオノーラ様には容易い。『世直し旅』とか言ってた割に、友達を助けたに来たかっただけだったのか。エレオノーラ様にしちゃ微笑ましい着地点じゃないか。学生っぽい青い春だな。
によによと見守っていると、ふとこちらを向いたエレオノーラ様と目が合った。
「アハト、ソールを肩車してちょうだい」
「唐突ですね」
「なんだか不愉快なことを考えている気配がしたのよ」
「理不尽!」
六歳にもなる男の子は結構重い。それでも生殺与奪を握っているあるじの言うことは絶対だ。よいしょと肩に乗せて立ち上がると、ソールは「うわぁ高い!」と歓声をあげた。
エレオノーラ様もニコニコしているし、怒っているか泣いているかしか見ていないソールが楽しそうなら、腰を痛める危険を冒した甲斐があったってもんだ。
くるくる回ったりゆらゆら揺らしたりして歩いているうちに、小さな花屋が見えてきた。木造のかわいらしい建物で、店先には色とりどりの花が並んでいる。
だが近づくほどに、その花が折れたり、植木鉢ごと倒されたりしているのが目に付いた。
「……シェーヌの花に、なんてこと」
エレオノーラ様の背後に暗雲が見えたのは俺だけか。
ソールを地面に降ろすと、ソールは「おねえちゃんっ」と花屋に駆け込んでいく。
花屋の店内はひどく荒らされていた。棚は倒れ、花瓶は割れ、床に散らばった花々は踏み荒らされている。亜麻色の髪の女性が、その中央に呆然と座り込んでいた。
「……シェーヌ」
エレオノーラ様の声に、女性はビクッと振り返った。
「エレオノーラ様!? どうしてここに!?」
「貴女の勇敢な騎士に手紙をもらったの。おねえちゃんを助けてください、って」
エレオノーラ様が口元に当てて『ふふっ』と笑った封筒を見て、ソールを見て、事態を把握したらしい女性――シェーヌ嬢の目が段々と丸くなった。
「ソール! あなた、まさか公爵家に手紙を出したの!? 私たちみたいな平民が、公爵家のお嬢様に……」
「だって、友達だって言ってたじゃないか。えれおのーら様がいらした学園なら、こんなむほうは通らないのに、って。だからオレ、えれおのーら様が来てくれればおねえちゃんを助けてくれるって思って」
「あれは、学園だったからよ。卒業してしまえば、身分差は……」
ぎゅっとソールを抱きしめてうつむいたシェーヌの肩に、エレオノーラ様が手を乗せた。
「卒業しようと、友人は友人よ。わたくしは変わらないし、変わるつもりもないわ。それに、貴女に作ってもらった生花の髪飾り、とても素敵だったわ。あれで初めて、『綺麗だ』って言ってもらえたの。感謝しているのよ。恩を返させてちょうだいな」
「そんな、恩だなんて」
あわあわと手を振ってシェーヌ嬢は動揺しているけれど、俺も内心別の意味で動揺していた。
『初めて綺麗だと言われた』? 誰に? やっぱり、王太子殿下にだろうか。
エレオノーラ様、傷ついてないって顔をしてたけど、そんな些細な思い出を大切にしているほど、本当は王太子殿下のことが好きだったのか。
なんだか胸のどこかがチクチク痛んだ気がした。
「それで、何があったの?」
エレオノーラ様がうながすと、シェーヌ嬢は一度目を伏せ、それから意を決したように話し出した。
「それが……いくつもの納入先が、突然倒産してしまって……。今までのお金が回収できなくて、花屋の資金繰りが焦げ付いてどうにもならず、領主様に借金をしてしまいました。でもしばらくすると領主様の部下だって人達が来て、お店を荒らすようになって。こんなんじゃ普通のお客さんは来てくれません。借金を返せないなら、領主様の妾になるか、店を売れって……。このお店は、おばあちゃんが大切にしていたお店なのに……!」
話している内に感情がこみ上げてきたのか、シェーヌ嬢の瞳から涙がこぼれた。
「納入先が……? それは多分、はめられたわね。目的はシェーラかこの土地か、あるいは両方か」
エレオノーラ様は顎に指を当ててしばらく沈思していたけれど、すぐに後ろへと視線を向けた。
「アリス、ちょっと調べてきてちょうだい。領主……イグニス男爵の内情と、誰かの紐がついてないかもね」
「はっ」
エレオノーラ様に一礼し、アリスはスッと消えた。
俺は見慣れているけれど、ソールはお化けでも見たような顔をした。
「えっ、今のヒト、いつのまにうちにいた? ……いたよね? えっ、いない?」
まあ、アリスはメイドもやるけど、公爵家の『影』って言われてる職種の一族だからなぁ。一般人が目で追えないのはしょうがない。
「世の中には、人間に化けてお仕事してる、妖怪ってのがいてだな。さっきのおねえさんは、実は化け猫……」
ソールの側にしゃがみ、ごまかすために適当なことを言っていると、スパーンッとスリッパが飛んできて俺の後頭部にクリーンヒットした。どうやらまだ聞こえる範囲にいたらしい。
「……やたらに噂するとこうなるから、ナイショな、ナイショ」
しーっと人差し指を口に当てれば、ソールはコクコクと頷いた。
素直でよろしい。
スリッパだったから助かったが、次に花瓶でも飛んできたら大惨事だ。
一方でエレオノーラ様は、シェーヌ嬢の涙をポンポンとハンカチで拭い、ふっと不敵に笑った。
「そうね、わたくしにいい考えがあるわ」
「……なんか嫌な予感がしますね」
「黙りなさいアハト。次はハイヒールの靴を飛ばすわよ」
ジロリとにらまれて、俺は慌てて口を押さえた。
エレオノーラ様は改めてシェーヌ嬢にニッコリと微笑みかける。
「とりあえずの解決策として、この店を売りましょう」
「ええっ!?」
「だからそれをしたくないって悩んでるんでしょうよ」
思わず突っ込むと、エレオノーラ様は相変わらずの完璧に整った笑みを浮かべる。
「誰が男爵に売れと言ったの。売るのは、このわたくしによ」
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