第3話:其は、慟哭より生まれし雷

 翌朝

 鳥のさえずりに目を覚ます。

 草原を渡る風が、爽やかな匂いを鼻先に運んできた。


 「おはよう。よく眠れたかいのう?」


 すでに起きていた廉三が、優しげな笑みを向けてくる。

 昨日はあれだけ泣きはらした後、気づいたら眠っていたようだ。


 「おはようございます。おかげさまで、よく眠れました」


 「そうかそうか。それは良かった」


 満足そうにうなずいた廉三は、今日も台所に立ち、朝食を作ってくれている。

 鼻をくすぐるような香りが部屋の中を満たしていた。


 「やっと起きたね、お兄ちゃん。ほら、ご飯運ぶの手伝って」


 奥の部屋から白が顔を出す。

 目の周りはまだ赤く腫れていたが、昨日より顔色はいいように見えた。


 「はいはい。言われなくてもやるって」


 「もう、相変わらずお兄ちゃんは一言多いんだから」


 そんなやりとりを、廉三は「ホッホッホ」と笑いながら見守っていた。


 三人で朝食を終えると、その日は皆で狩りに出かけることになった。

 普段は隔日でやって来る民政部の移動型露店から食糧を買っているらしいが、と  きおり自ら狩猟に出かけ、獲物を捕まえたり野草を採ったりしているのだという。


 「お二人さん、狩猟の経験はあるかい?」


 廉三はそう言って、二本の弓矢を手渡してきた。


 「俺は父さんと何度か行ったことがあるけど……白は?」


 「ううん。私は危ないからって、連れてってもらえなかった」


 少し不安そうに弓を受け取る白。

 俺は自然と、父と過ごした狩猟の日々を思い出す。

 構え方、足音の消し方、動物の習性――全部、父が教えてくれた。


 「そうかそうか。大丈夫じゃよ。危ない相手には近づかん。まずは経験じゃ」


 弓と刀を携え、背に大きな荷物を背負った廉三が、俺たちの頭を軽く撫でる。


 「さあ、行くぞ」


 笑い声を残して玄関の戸を開ける廉三。その背に、俺たちも続いた。


 狩猟に出てから三十分ほど。

 ふと、廉三が足を止めた。


 「二人とも、ちょっと腰を下ろしてごらん」


 言われた通り草の上に座ると、彼が前方を指さす。


 「あそこに、緑小豚りょくしょうぶたが二頭いるのが見えるかい?」


 目を凝らすと、確かに草と見分けがつきにくい緑色の小さな体が、のっそりと動いていた。


 「すごい……一瞬で見つけるなんて」


 驚きの声を漏らす。

 年齢を感じさせない鋭い眼差しだった。


 「まずは、見ておきなさい」


 弓を構えた廉三の顔が、静かに引き締まる。

 緊張が空気を包む。白も思わずごくりと喉を鳴らす。

 矢が放たれた瞬間、音もなく緑小豚の頭部を貫いた。


 「ピギ!」


 もう一頭が悲鳴のような鳴き声を上げて逃げ去っていく。


 「すごい……」


 白が息を呑む。

 一矢必中。とても老人とは思えない精確さだった。


 「ふぅ……これでよし。さて、捌いて持って帰るとしようかのう」


 息絶えた獲物の傍に腰を下ろすと、廉三は静かに目を閉じ、手を合わせた。

 俺と白もそれにならって手を合わせた。


 「動物の捌きなら、俺と白も手伝えます。母さんの手伝いでよくやってたんです」


 「ふんすっ!」


 白が拳を握り、意気込みを見せる。


 「ホッホッホ。頼もしいのう」


 あらかじめ用意していたのか、廉三は二本のナイフを差し出してくれた。


 緑小豚を捌いている最中、廉三がふと口を開く。


 「そういえば、お二人さんは神核しんかくを持っておるのか?」


 神核しんかく――理弩羅りどらを使うための根源であり、神から授かったと言われる力の源。先天性であり、後天的に発症する事は、無いと決定づけられている。

 これがなければ、理弩羅は使えない。


 「いえ、俺も白も無核むかくです」


 母は神核持ちだったが、どうやら父の血を継いだらしい。


 「なら、儂と同じじゃのう」


 笑う廉三。

 無核は人類の約六割。珍しい話では、無い。


 「神の力があれば、狩りももう少し楽になるかもしれんのう」


 その言葉に、白が反応した。


 「……でも私は、人間の力が好き。手間もかかるし、面倒くさいけど……みんなで頑張って、最後に『お疲れさま』って笑い合う――そういうのが好き」


 白は遠くを見つめるように言った。


 「でもお前、家の手伝い面倒ってダダこねてただろ」


 「そ、それはそれ!全然別なの!」


 白が焦ったように抗議する。


 「えー、都合のいいやつだなー」


 「もう!お兄ちゃんだってサボってたくせに!」


 「いや、休憩してただけだし」


 「それこそ都合のいい言い訳じゃん!」


 そんな軽口をたたく二人を、廉三は目を細めて見守っていた。


 「……よし、これで終わりじゃな。そろそろ帰るとしよう」


 捌き終え、ひと息ついた廉三が片付けを始める。

 連牙と白もそれに続いた。


 「…そういえば最近、はばねえから手紙来てねえな」


 徐に呟く。

 はば姉は、白と連牙の幼馴染であり年上の姉貴的な存在で昔は、よく一緒に遊んでくれていた。

 ある日、急に「私は、夢を叶えに行く」とか言って都心部の方に引っ越してしまったが時々手紙を寄こしてくれていた。


 「はば姉、夢叶えられてたら良いなぁ」


 白が遠くを見つめるように呟く。

 そんな中片付けは、順調に終わった。


 「ふいー……」


 白が汗を拭う。

 だがその瞬間、廉三の動きが止まった。


 「……お爺さん?」


 白が不思議そうに尋ねる。

 廉三の視線を追って、俺も前方を見る。


 「……なに、あれ……?」


 遠くの草むらに、狼のような何かが立っていた。

 ……いや、違う。

 “狼のような姿をした何か”が、こっちを見据えて立っている。


 「お兄ちゃん……」


 白が震える指でそれを指さす。

 見間違いであってほしかった。だが――違った。


 「白!連牙!走れ!!今すぐ逃げ――」


 廉三の怒号が響くより先に、目の前に“それ”が現れた。

 瞬きの間に。まるで瞬間移動のように。


 「……へ?」


 現実とは思えない状況に声が漏れる。

 “それ”――亜獣が、俺たちを見下ろしていた。


 廉三が即座に刀を抜き、俺と白の前に立ちふさがる。


 「逃げるんじゃ!!」


 爪が振り下ろされ、廉三がそれを受け止める。

 だが衝撃に耐えきれず、鋭い爪が彼の肩に突き刺さった。


 「ぐあっ!」


 「廉三さん!」


 「儂のことはええ!早く逃げんか!!」


 「でも……!」


 「言ったじゃろう!生きることを諦めるなと!!」


 「それじゃ廉三さんが!」


 「大丈夫じゃ……儂も死ぬ気はない……ちゃんと、生きて帰る」


 刀に込めた気迫が風を震わせた。


 「何をしておる!今は……走れぇ!!」


 その声を合図に、俺は白の腕を掴んで駆けだしていた。


 後方で響く激突音。

 だが、数秒後には音が止んだ。


 「……っ!」


 振り返った俺の目に映ったのは――血に染まって倒れる廉三の姿だった。


 「廉三さん!!」


 「いや……もう、いや…!」


 白が泣きそうな顔で震えていた。


 走れ。今は、走るしかない。

 廉三がくれた命のバトンを、繋がなければ。


 だが――


 「あ……」


 白がつまずき、草むらに倒れ込んだ。


 「いった……!」


 「白!」


 駆け寄ろうとした瞬間、白の背後に巨大な影が伸びた。


 「やめ……」


 絶望の声が漏れる。


 「お兄ちゃん……」


 助けて――そう言わなくても伝わる。

 俺が手を伸ばす。白も手を伸ばす。だが――


 振り下ろされた爪が、白の体を引き裂いた。

 

 「……あ」


 夕暮れの草原に、鮮血が広がる。

 白の小さな体が倒れ、動かなくなった。


 「あ……あぁ……」


 大事な人たちの命が呆気無く散る。

 絶望は、更なる絶望を呼ぶ。


 「なん…で……」

 

 意味の無い問いかけが空に漂い消える。


 「なんで……俺たちは……ただ、生きたいだけなのに……」


 理不尽。

 ただ、それだけが目の前に立っていた。


 絶望のどん底に堕とされた人間は、涙も出ないらしい。

 代わりに体の奥底から湧いてきたのは、火種のような怒りだった。


 「……もういい」


 神? 亜獣?

 この世界すべてが牙を剥くというのなら――


 「壊さなきゃ……俺が、全部壊さなきゃ……」


 呟くように、狂った玩具のように。

 その瞬間、亜獣が腕を振り上げた。


 「ぶっ壊してやる!!」


 鬼の形相で亜獣を、世界を睨みつける。

 次の瞬間。


 ――一筋の黒き雷が空を裂き連牙の体を貫いたのだった。


 「ぐあああああああああ!!」


 轟く雷鳴。世界が震える。

 辺り一帯に衝撃をまき散らし、たまらず亜獣も連牙から距離を取る。


 「あああああああああああああああ!!」


 焼けるような痛みが全身を走る。

 一瞬でも気を許せば気を失ってしまう程の痛烈な痛み。


 だが何故かその痛みが妙に心地よかった。


 まるで己の怒りに呼応するかのように俺の全身から、黒い雷が放たれていた。


 ――その後の事は、よく覚えていない。

 気づけば廉三から受け取ったナイフを片手に横たわる亜獣の傍で立ち尽くしていた。

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