1945年8月3日(金)

 朝、ハナはケンちゃんの熱を測った。

 まだ微熱が続く。疲れた顔色で店に出ると、今日も配給の列が長かった。隣の女性が

「あの高崎の人たち、みんな避難所じゃなくて、親戚の家を探してるんだってさ」

 と耳打ちした。街には不穏な噂が渦巻いている。

 ハナはケンちゃんを抱きしめる力が、また少しだけ強くなった気がした。


 昼下がり、店で菓子を作った。甘くない乾いた匂い。

 手が動くたびに、ケンちゃんの小さい咳が耳の奥で響く。

 夕方、台所で洗い物をしていると、遠くで低い音がした。ハナは思わず手を止めた。ケンちゃんが怖がるあの音。振り返ると、ケンちゃんが小さな体で、怯えたように源さんの影に隠れていた。

 ハナは、ケンちゃんの髪をゆっくり撫でた。細い髪の感触が、指先に残る。その小さな頭を撫でながら、ハナは祈るような気持ちで目を閉じた。

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