1945年7月31日(火)
源さんは朝から顔色が悪かった。店の戸を開ける手も、いつもより重い。
昨日から、高崎方面から人が流れてきている。彼らは皆、深い疲弊を顔に刻み、どこか遠い目をして、ただ黙って街を通り過ぎていく。中には、焼け焦げた服のまま、呆然と立ち尽くす者もいた。彼らの目には、体験したばかりの地獄が映っているようだった。
店の前の道を行き交う人々の足音が、これまでとは違う、重く、不安な響きを帯びていた。
「源さん、今日はもう店閉めた方がいいんじゃねえか?」
向かいの乾物屋の親父が、心配そうに声をかけてきた。親父の顔にも、深い皺が刻まれている。
「こんな時に菓子なんか、誰も買いやしねえよ」
源さんは黙って、店の奥の菓子棚に目をやった。品数は減り、甘い匂いも薄れた。
だが、ここで店を閉めたら、松月堂は終わりだ。松月堂は、源さんの、そして家族の生活そのものだった。家族を守るため、この店を守る。それが、今の自分にできる唯一のことだ。
源さんは、固く唇を結んだ。その決意だけが、揺らぐ心を支えていた。
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