1945年7月28日(土)

 土曜の朝、ケンちゃんはなんだか落ち着かなかった。庭の隅に咲いた朝顔の青が、いつもよりずっと鮮やかに見えた。

 昨日まで、空には大きな白い飛行機雲がよく見えたのに、今日はそれがまるで切り裂かれたみたいに、細かく、途切れ途切れになっていた。

 小さなホオズキは真っ赤に実っているのに、誰もそれを見て笑わない。お母さんの顔は、なんだか遠い空の向こうを見ているようで、ケンちゃんには少し寂しく感じられた。


 昼間、お母さんは松月堂でいつもよりずっと長い時間、菓子の木型を磨いていた。ガリガリと硬質な音がして、ケンちゃんの耳の奥で響く。

 いつもは甘い匂いがするお店なのに、今日は焦げ付いたような、乾いた匂いが混じっている気がした。夕方、遠くから聞いたことのない、低い、腹に響くような音が聞こえた。それは、雷とは違う、もっと重く、地を這うような音だった。お母さんが、その音を聞いたとたん、いきなりケンちゃんの小さな顔を両手で覆った。暗闇の中、ケンちゃんは、ただお母さんの手のひらの温もりと、慣れた匂いだけを感じていた。その手が、幼いケンちゃんの心に、微かながらも確かな恐怖を植え付けた。

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