1945年7月15日(日)

 夜明け前の薄闇を、けたたましいサイレンの音が引き裂いた。キン、カン、キン、カン――。心臓が喉の奥で跳ね上がる。空襲警報だ。隣で寝ていたケンちゃんが、物音に驚いて小さく声を上げた。母のハナは、間髪入れずにその小さな体を強く抱きしめ、毛布を頭からすっぽり被せる。薄い布越しにも、ケンちゃんの震えが伝わってくる。

 外からは、壕へ急ぐ近所の足音が、土埃を巻き上げながら聞こえてきた。ドタドタと、いくつもの足音が遠ざかっていく。

 サイレンは、長く、不吉に響き続けた後、ようやく解除を告げる音がした。しかし、耳の奥には警笛の残響が、まるで皮膚に刺さった小骨のように、長く、冷たく、まとわりついて消えない。


 空は、何事もなかったかのように、抜けるような青さだった。太陽が昇り始め、松月堂の店先にも朝の光が差し込む。源さんが店の戸を開ける音が、ひどく日常的で、それがかえって不気味に感じられた。

 朝の井戸端会議では、配給の米がまた減ると、誰かが諦めたように話していた。水桶に映る自分の顔が、ひどく疲れているように見える。ハナは、軒下で小さな竹箒を握り、店先を掃き始めた。ケンちゃんは、庭の隅で蟻の行列をじっと眺めている。小さな世界では、まだ蟻の行列が、日常だった。

 遠くから、竹槍訓練の気合いの声が、砂を噛むように響く日曜だった。その声は、街の静けさの中に、いかにも不釣り合いに響いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る